第4話


 よく考えると、おかしい。ヒューイは思った。


 コンスタンティン・グランヴェルは、確かに絵に描いたような強欲ジジイだ。若く美しい令嬢を、金の力で自分のものにした、という話にあまり違和感はないように思えるが、何かおかしい気がする。幼い頃からグランヴェル家に出入りし、コンスタンティンのやることを近くで見ていたからこそ感じる違和感だ。それから、商人としての勘だ。


 あの男が、ただ若い令嬢を囲いたいのなら、正妻にはしないだろうと思うのだ。女のために大金を使うなんて、そんな面倒な事をするとは思えない。それにマリアンヌは社交界での評判があまり良くない。お高く留まった女を金で買ったことを自慢したいクズもいるだろうが、コンスタンティンはそういう方向のクズではない。となると、フローレンティア伯爵家自体が欲しいという事か。しかもグランヴェル家としてではなくコンスタンティン本人が。

 コンスタンティンが大金を使うのは、必ず安定した収益が見込まれる時だ。大きな投資をできるだけ楽に、低リスクでやる。リスクが高い、面倒くさいと深追いせずに撤退するのがコンスタンティンのスタイルだ。フローレンティア伯爵家には、なにか金になる可能性が高いものがあるのだ。おそらく。


 であれば、ヒントがあるのはグランヴェル侯爵家ではない。コンスタンティンの事業は、ここ10年はアーヴィング商会を使っている。


「アドリアン様、しばらく商会の方に行ってきます。数日は戻らないと思いますがよろしいでしょうか?」


「もちろんだ。こちらは気にするな。私はしばらく屋敷にいるからな。必要な事があればいつでもいいなさい」


 アドリアンとコンスタンティンの関係は悪い。表面上は、優秀な息子に任せる英断をしたと言われているし、二人ともそのように演じている。

しかしコンスタンティンは侯爵としての仕事より自分の財産を築くことを重要視しており、その行動に問題を感じたアドリアンが何とか説得、交渉して爵位を譲らせたのだ。

コンスタンティンも侯爵でいるより自由に動ける方が自分の利になると判断していたようだが、あの手この手で交渉された結果、多くの財産、安定した事業をコンスタンティン個人に渡してしまった。


 さすがにお家騒動には深くかかわらなかったので、世間の噂以上のことで知っているのはこのくらいだ。あとはアドリアンが心の底からコンスタンティンを軽蔑している、というのが本当であるという事くらい。


 それと……


 ヒューイは考える。ヒューイの父ジョージは、コンスタンティンのおかげで立身出世したため、コンスタンティンには頭が上がらない。しかし、当主がアドリアンになってほっとした顔をしていた。侯爵家お家騒動の時期は忙しそうだったし……おそらく、自分の家にもヒントがある。


 フローレンティア家への投資の価値。入り込む価値。


 コンスタンティンに財を成した、ジョージ・アーヴィングの事業。


 二年前の男爵家の褒章。一年前の侯爵家のお家騒動と代替わり。


 思いつく限りの資料を集めるのだ。何かしら、ホコリが出てくるはずだ。


 ……必ず、婚約解消させてやる。





 マリアンヌは自室から窓の外を見る。

 雨粒が枯れた花壇にぽつぽつと落ち、薄暗い空気が漂う。石畳は苔に覆われ、雨を吸って濃い色を見せている。雨の音だけが部屋に響いていた。


 それを見て、学園の温室を思う。

 雨の日の温室はガラスの外壁を伝う雨粒が外をあいまいにし、サラサラと雨音が響く。湿った土の匂い、花の甘い香り。

 今は何の花が咲いているかしら。晴れの日も雨の日も、温室のことを思い出す。


 学園に休学して、もう3か月だ。勉強したのに、試験も受けられなかった。ヒューイに挨拶もできなかった。


 今までありがとう、ただのマリアンヌのことを覚えていてねと、伝えたかったのに。


 3カ月前に来たコンスタンティン・グランヴェルとの婚約話は粛々と進んでいる。コンスタンティンは数年前に奥方を亡くし、今は隠居していて、領地経営や家の切り盛りは、すべて息子が行っているらしい。マリアンヌには小さな別邸を与えるので、そこで穏やかに過ごしてほしい、そんなことを伝えられた。

一度挨拶したが、マリアンヌが覚悟していたよりもずっと紳士的な対応で、無理なことはしないと約束してくれた。コンスタンティンはマリアンヌが嫁ぐ代わりに、伯爵家の今、そして未来に不安がないようにすると約束してくれたらしい。


 マリアンヌはせめて学園を卒業させてくれないかと両親に頼んでみたが、家族にしてみれば婚活のためだったのだし、なぜ勉強したいのか理解してもらえなかった。


 婚約中は休学し、結婚を機に退学。それが今の決定事項だった。


「しかたないわ……しかたない……」


 コンスタンティンはお金持ちだ。あまり気にせずに本をたくさん買ってもらえるかも。

 それにこの話には、ヒューイがきっと絡んでいる。また会えるかもしれないと、それだけが楽しみだ。


「お嬢様、旦那様がお呼びです」


 メイドがあわただしい様子で呼びに来た。連れられて執務室に入ると伯爵は真っ青な顔で一通の書状を手にしていた。


「マリアンヌ……いったい何をしたんだ……コンスタンティン様から婚約解消の申し出だ。」


「!?」


「書状には、お前に非があったわけではないと書かれているが、何か心当たりはないか?」


「ございませんわ……」


 困惑する二人に、執事が口をはさんだ。


「旦那様、侯爵家の使いの方が、今この場で早急にお返事をいただくようにと申し使っているとのこと。お待ちいただいておりますが、いかがいたしましょうか」


「……ああ、否ということなどできないとわかっているだろうに! ……わかった!! ここへ通せ。仕方がない。こうなったらしっかりと慰謝料請求してやろうではないか!!」


 伯爵が半ば自棄になって書状をしたためていると、使用人に連れられ、侯爵の使者がやってきた。


「アドリアン・グランヴェル侯爵の代理として参上仕りました。フローレンティア伯爵そしてお嬢様にお目通りかないまして恐悦至極に存じます」


 使者の男は、財力を見せつけるようにギラギラと着飾っている。よく言えば伝統的、悪く言えば古臭い、あまり色のないフローレンティア邸で、そこだけが異質に輝いていた。そして男は大仰な身振りで一礼した。


「……!!」


 それは見間違えることはない、ヒューイ本人だった。


 侯爵家の使用人だったのか。マリアンヌは衝撃を受けた。……もしかして、それで、前侯爵に我が家を紹介したのだろうか。つまり私は好意を寄せていた人から、父より年上の方を紹介されたのか、と思うと、途端に悲しくなった。


 でも。それではどうして、早く顔を見せてくれなかったのかしら。ちゃんと説明してくれなかったのかしら。そうしたら、少しは楽しみにできたかもしれないのに。

 ヒューイの口利きだと思って、先方と交流する時には、使用人にそれとなく目を光らせていたが、今まで見かけたことはなかった。


 ヒューイは、伯爵が嫌々サインした書状を恭しく受け取る。一向にマリアンヌの方を見ない。わざと見ないようにしているように見える。


「フローレンティア伯爵、確かにお預かりいたしました」


「慰謝料については別途であること、必ずお伝えしろよ」


「もちろんでございます。今回の事、当代当主アドリアン・グランヴェルとしては大変に遺憾であり、必ず伯爵のご満足行くように取り計らうとお伝えするように、強く申しつけられております。そしてお嬢様のことでございますが、侯爵も大変案じておりまして。……その件で実はもう一通、別のお宅から、書状を預かっております。どうか今お目通しを」


 ヒューイはもう一通封書を取り出した。

 伯爵は差出人を見て眉を顰める。


「なに? アーヴィングだと? 成り上がりの男爵家じゃないか。うちは何のつながりもないだろう、なんだ?」


「アドリアン・グランヴェル侯爵からも是非目を通していただくよう申しつかっております。フローレンティア伯爵にとってもよいお話しかと存じます。どうか、ご一読を」


 伯爵の眉間にしわが寄っている。伝統を重んじる伯爵は、平民から成り上がった新興貴族をよく思っていない。しかし侯爵からの紹介があれば読まないわけにはいかない。しぶしぶといった感じで開封する。


「……マリアンヌ。お前が学園でアーヴィング男爵家の嫡男、ハーバート・アーヴィングと親しくし、我が家に婚約の打診をするところまで話が進んでいた……が、連絡が取れなくなっていて困惑している……ということになっているのだが……どういうことだ……?」


「え?」


 アーヴィング家は大きな商会を運営する家だ。たしか、数年前に男爵位を賜ったと聞いている。


 ……そういえばヒューイが得意なのは、商売に向いている科目だった。

 ハーバート……ヒューイという呼び方もあり得る。ああ、だからこっそり名簿を見てもわからなかった!


 思わずヒューイを見るが、ヒューイは素知らぬ顔をしている。


「マリアンヌ、心当たりは?」


「……ええ、ええと、そのようなお話があったのですが、侯爵家とのお話しがございましたのでなくなったものかと……」


 なんだか胸がいっぱいになって苦しい。慌ててごまかす。


「……侯爵家の話が先では仕方がなかったか。まあいい。それに貴族とはいえ、商人の家だろう。受けられる条件かどうか、確認が必要だが……この手紙には、婚約の条件として学園の卒業とある。とりあえず休学は取り消し、できるだけ早く復学しなさい。それから、家同士のはなしも……」


 伯爵は混乱している様子でぶつぶつとつぶやく。ヒューイがちらりとマリアンヌに視線を投げ、にやっと笑って見せた。


 ギラギラに着飾ったヒューイは、胡散臭さが増していて、王子に扮装した怪盗のようだな、と、マリアンヌは思った。






 侯爵家の自室で、アドリアンは弟分の成長をかみしめていた。

 自分で行くと言ってきかないので、侯爵家の使者として伯爵家がドン引きするほど飾り立ててやった。見栄えのいい男性使用人は裕福さの証でもある。この結婚、侯爵家は本気で支援するつもりで、金にはなる、というメッセージは伯爵に通じただろうか。


 一生懸命考えたんだろう。まとめられた資料から、その努力が見える。

 ヒューイは徹底的に、伯爵領の価値を探った。それから商会の資料を調べ、徹底的にこれまでのコンスタンティンへの金の流れを洗った。脱税や着服などの悪事は実はすぐに出てきたらしい。しかし、それでは、今の侯爵家や男爵家にも影響が出てしまう。


 ヒューイはもう一歩踏み込んだ。今後、コンスタンティンになんの利益をもたらす可能性があるかを考えた。

 近い将来、伯爵領に莫大な利益がもたらされ、その多くがコンスタンティンの懐に流れる……伯爵領を運営しても、さらに利益が出るような。そんなものがあるのではないかと探したようだ。そこに、国や侯爵家への裏切りが含まれていれば、アドリアンが侯爵家のために動くことができる。


 そしてヒューイはそれを見つけた。魔鉱石の加工を違法に行おうとしているのではないか、という事だった。この加工技術はアーヴィング商会の機密事項にあったらしい。伯爵領には条件が整った広大な土地があった。この技術に関してはアドリアンも知らない事だった。おそらくコンスタンティンが公表を止めていたのではないかと思う。

 その内容をもとに、思い通りにはならない事を伝え、何とか婚約解消の書面を書かせた。

 アドリアンが説得に成功した時、ヒューイは生意気に、「これで許してあげますんで、ダンスパーティー企画してください」と言った。


 盛大なパーティを企画してやろう。出会いのシーンは演出できなかったけれど、堂々とエスコートするヒューイも見たいものだ。


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