第32話 水難救助


「ぼ、僕、やっぱり止めーー」


「や、止める必要ないって……!」


 列から離れようとしていた樹に、そう声をかける。


「で、でも……」


「良いから! 今、離れたならカヤック体験できないだろ?」


「……」


「したいだろ、カヤック? だったらそっちの気持ちの方を優先しろって」


「んっ! ……ありがと、おいくん……」


「ね、ねぇ! 葵くんっ! なんか、このカヤック体験、激流スポットもあるらしいよ!」


 まるで俺と樹の間へ割って入るかのように、花音が声を響かせ、スマホの画面を見せてくる。

たぶん、花音なりの気の使い方なのだろう。

 そんな花音の厚意に甘える形で、話に乗ることに。


 しかし花音と話してる最中も、少し樹のことが気になって視線を寄せてみる。


「……」


  樹は耳にBluetoothイヤホンをはめ、ただ前だけを見続けているのだった。


 そらからカヤック体験が始まり、まずはインストラクターから、注意事項や陸上でパドルを使った漕ぎ方のレクチャーを受ける。

そしてまずは流れのない浅瀬にカヤックを浮かべて、実際に練習してみることに。


「うおぉっ……! い、意外に難しいぃ……!」


 カヤックの方が漕ぎやすいって嘘じゃないかと思った。

現に俺は船体をうまく前進できずにいる。


 と、そんな情けない俺の傍で、


「わぁ! ひゃぁ! 葵くーん! はやくこっち来なよー!」


「うぐっ! そんな、こっち来いって、上手く前に進まない……!」


「ゆっくりでいいから、ほらぁ!」


 スイスイと上手にカヤックを操る花音の姿が。

悔しいが花音は部活でスポーツもやっているし、こうしたことが得意なのだろう。

 ほんと、花音って俺と違って、色々持っている凄い子なんだと、改めて思い知る。


「みなさーん! 上手く漕げない方は、こちらの方のをご参考にください! 木村さん、よろしくお願いします!」


 と、インストラクターの声が聞こえて、そちらへ視線を寄せると。


「ーーっ! ーーっ!」


 綺麗な前進。そして華麗なターン。

そんな風にカヤックを操るのは、木村 樹。


 本人は注目をされて少々恥ずかしそうだったが、それでも操作技術は素人目で見ても、鮮やかだと思う。


 やっぱり樹はスポーツに関しちゃ、凄いのな。

今じゃ、スポーツ推薦が取れるほどのガチな水泳選手で、本気でオリンピックを目指し始めているっていうし。

しかもカヤックも水を扱うスポーツだから、得意中の得意?


「……?」


 ふと、みなさんの注目の視線を掻い潜り、樹の視線がこちらへ向かってきたような気がする。

でも、どう答えて良いのやら、皆目検討がつかなかった俺は、何も答えず樹から視線を外す。

視界の隅で、カヤックに乗る樹が、やや視線を俯かせたような気がした。


「では! ここからが本番です! 救命道具はありますので、安心してついてきてくださいね!」


 かくして練習も終わり、俺たちはインストラクターを先頭に、いよいよ本格的なカヤック体験に乗り出して行くこととなる。


「なんか、ほんと冒険している感あるよね」


 花音は横に並んで、そう言ってくる。


 確かに俺たちは今、山々の間の大河を悠々と漕ぎ進んでいる。

なかなかにワクワクする状況だ。


 俺と花音よりも前を進む樹もまた、カヤックを上手に操りつつ、キョロキョロと周囲を見渡している。

こういうの好きそうだもんな、アイツ……。


「みなさーん! そろそろ激流ポイントですよ! 気を引き締めてくださぁーい!」


 インストラクターが大声で、そう叫んできた。

そういえば、さっきから漕いで居ないのにカヤックが前に進んでいるよな……!?」


「うわぁぁぁぁーーーー!?」


「ひやぁーーーーっ!」


 俺と花音は対照的な叫びを上げつつ、白波の立つ激流に飲み込まれてゆく。


 今まで以上に船体がぐらんぐらんと揺れて、顔にはバシャバシャと水飛沫がかかってくる。


 カヤックは構造上、転覆しにくいと聞くが、油断をしているととんでもないことになりかねない!

……と、意気込むものの、俺はただ転覆していないだけで、川の流れにただただ翻弄されるのみ。


しかし花音はしっかりとしたパドル捌きで、上手く激流の中を進んでいっている。


でも花音以上に凄いのが、やはり樹だ。


 樹はインストラクターとほぼ同等か、互角なパドル捌きで、激流をものともせず降っている。

正直、その姿は見惚れてしまうほどかっこいい。


 そんな中突然、樹はインストラクターに船体を寄せ、何かを叫んでいた。

するとインストラクターの背筋が僅かに伸びたように見えた。


 何話してんだろ……? なにかあったのか……?


 少し気になって目を凝らしてみると、樹たちの前に妙なものが浮き沈みしていることに気がつく。


「あれって……まさか人!?」


 人のあたまのようなものが浮き沈みを繰り返し、川の流れに翻弄されていた。

さらに岸には、それを追いかけるように走る若い夫婦の姿が……って、あれは田端さん!?

じゃあ、今流されるのって、宗二くんなのか!?


 今すぐ救出しなければならないのは明らか。


 でもどうやって……そう思っていた次の瞬間、突然樹の操っていたカヤックが転覆する。


 やがて、水面から樹の頭が浮かび上がり、なんとあいつは川を体一つで降り始めたのだ。


「バカ樹が……! 何を考えて!」


 いくら泳ぎが得意な樹だろうと、水難救助はお門違いも甚だしい。


 気づくと俺は無我夢中でパドルを動かし、どんどん先頭へと進んでゆく。


 樹が乗り捨てて、岸に打ち上がったカヤックを過ぎ、なんとかインストラクターの後ろについて。 


 小さな男の子を必死に抱きしめつつ、流れに翻弄される樹の脇を過ぎて。


「後続が来るから気をつけろ! 絶対にぶつかるんじゃないぞ!」


 樹にそう叫び伝える。

 俺とインストラクターはカヤックを接岸させ、久方ぶりに地面へ戻る。


「俺、水難救助の講習を受けた経験あります! 手伝います!」


 俺はインストラクターにそう告げて、同行を許してもらう。

 これもキャンプアシスタント時代に、師匠に言われて受けたものである。

 

 インストラクターはカヤックの先端から紐付きのカラフルなバックを手に取った。

 

 これは"スローバック"という救命道具であり、ベスト水難救助アイテムともいわれれものだ。


 インストラクターと俺は2人で川と、流されている樹の状況を確認。


 だんだんとライフジャケットを着た、樹がこっちへ近づいてきているのがみえる。


 インストラクターはロープの端をしっかり手にもち、スローバックをオーバースローで川へ投げ込む。だが、樹は投げ込まれたバックを掴み損ねてしまった。


 インストラクターはロープを引いて、迅速に水面からスローバックの回収を始めるも、その間にも樹はどんどん流されてしまっている。


「すみません、これ借ります!」


「お、おいきみ!?」


「もう一投できるよう準備しててください!」


 俺はインストラクターが腰に巻いていた、予備のスローバックを奪い取り、樹を追い抜いて、川を下ってゆく。


 俺は講習を受けただけで、実際に救助をしたことはない。

だけど、ただ手をこまねいているのはどうしてもできなかった。

だが、本当に上手くできるか、不安なのも確か。


「大丈夫だ、俺が失敗しても、インストラクターさんが最後の一投を……何もしないより、何かをした方が良いはず……!」


 そう自分にいい聞かせ、奮い立たせ、樹を追って川をくだりつづける。


「樹ぃぃぃ! 掴めぇぇぇぇぇーーーっ!」


 ここだというタイミングで川へ向かって救命袋を投げた。

 袋からスルスルとロープが伸びてゆく。


「っ!」


 流れ着いてきた樹は、今度こそとても良いタイミングで、救命袋を掴んでくれた。


 袋さえ掴んでくれれば、あとは安心。俺がロープを引っ張って、流れの穏やかな岸の方へ誘導すればいい。川自体の流れも穏やかな場所に差し掛かっていたのも幸いしていた。


「大丈夫だぞ、樹! だから落ち着いてこっちまで泳いでこい!」


 樹の心が挫けないよう、そう声を張り上げつつ、ロープを岸へ誘導する。

樹は素直に従ってくれて、ようやく抱えた小さな男の子とともに、岸へ戻るのだった。


「宗二!」


「しゅうくんっ!」


 ずっと並走し続けていた田端さんと恵さんは、まっさきに樹の抱えている宗ニくんへかけよる。


「だから勝手に先に行ったり、川に入っちゃダメだって言ったでしょうが! お父さんとお母さん、すごく心配して悲しかったんだからね!」


「ごめんなさい……」


 どうやら宗二くんは恵さんにどやされても、受け答えできるほど無事なのはわかった。

これはたぶん、樹が宗ニへ水を飲ませないよう、しっかりと抱えていてくれたからだろう。


「みなさん、ご迷惑をおかけしました! ありがとうございました!」


 田端さんは深々とお礼を述べ、インストラクターと共に、宗ニくんを運んでゆく。

会話の感じから宗二くんを念の為に病院へ行くらしい。


「はぁ……はぁ……」


 そんな人の輪から少し離れたところで、樹はちょこんと1人体育座りをして、呼吸を荒げている。たとえ樹が水泳選手であろうとも、流石に疲れているのだろう。


 俺は色々な感情がないまぜとなった心持ちで、迷わず樹へ近づいてゆく。


「おい、樹!」


「あ、おいくん……」


「あ! じゃねぇ! なに無茶してんだよ、このバカっ! 心配しただろうが!」


「ーーっ!?」


 

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