第12話 葵くんと花音


「い、いきなり名前で呼ばれたから、驚いちゃって……」


「そ、そう?」


「そりゃそうだよ。俺のことを名前で呼ぶのなんて……親、くらいだし……」


 一応、あと1人、親友だったアイツが俺のことを名前で呼んではいたが、そこは今はノーカウントとしている。

 だいたいアイツは葵くんではなく「おいくん」だったしなぁ……


「そうなの? 勿体無い! 爽やかで、良い名前だと私思うよ! 香月 葵……うん、すごくかっこいい!」


 花守さんはさらりとそう言って来るもんだから、恥ずかしくて仕方がなかった。


「て、てか……なんで急に?」


「だ、だって、さすがにもう"苗字"呼びは変な気がしたから……」


「変か……?」


「変だよ! 確かに私たちが仲良くなったのは最近かもしれないけどさ、でももう思い出はたくさんあるもん! 葵くんはわたしにとって、とっても好きな人なんだもん! とっても好きな君のことを、もう苗字で呼べないよ!」


 あまりに"好き"を連呼されて、いつも通り勘違いしそうになる。


 違うぞ、あくまで花守さんの口にする"好き"はそういう意味ではないぞ……!


「ま、まぁ、そこまでいうのなら……」


「だから、その、えっと……私のことも、"花音"って、これからは呼んでくれたら嬉しいなぁ……?」


 またこの人は、いきなり無茶なことを言い出して……だけど、実は学校で存在を知ってから、密かに"花音"という名前の響きが気に入っていたりして。それにここで拒否ったら、たぶん悲しそうな顔をしそうだし……


「わかっ、た……」


 恥ずかしさを堪えつつ、そう回答する。


「わぁ! ありがと〜! じゃあ早速!」


 花守さんを改めーー"花音"は青い瞳をキラキラと輝かせ、俺の顔をじっと見つめてくる。


 これはおそらく期待の視線。で、付き合いは短いけど、結構濃厚な時間を花音とは過ごしてきたわけで、彼女から何を求められているのか、聞かずともわかったり。


「なんでわざわざ……」


「良いから、お願い! 葵くんの声から聞きたいの!」


「……か、か……花音、さん……」


「さんは無しで! はい、もう一回!」


「うぐっ……か、花音……」


 ずっと憧れていた名前が自分の口から出た途端、顔から火が出るんじゃないほどの熱を持つ。


 そしてなぜか、花音も俺と一緒になって顔を真っ赤に染めている。


「んふふ……も、もう一回……!」


「花音……」


「んんー! もう一回!」


「花音!」


「もう一回っ!」


「花音っ!」


「わぁ! なんかすっごくうれしいぃ! いっぱい呼んでくれて、ありがと葵くん!」


 なんで何回も名前を呼ぶことを強要されたかはよくわからない。

でも、なんだか花音は嬉しそうだし、俺自身も名前を呼ばれて結構嬉しかったら、まぁよしとしよう。


しかしやはり気になる点が……


「あのさ、なんで俺には"くん"つけるわけ? 自分は"さん"は付けるなっていうのに」


「葵くんは葵くんの方がぽいし、可愛い気がするから!」


「か、可愛いって……」


 俺、かっこいい方が好みなんですけど……


「じゃあ、やっぱり俺も"花音さん"で」


「えーやだよ、そんなの! 私は呼び捨て! これ絶対! これ、私なりの葵くんへのリスペクトだから!」


「リスペクト?」


「だって葵くんは、私のキャンプの先生でもあるわけだし!」


「なら"葵さん"でもよくね?」


「それは可愛くないし、なんか違う!」


 前回のキャンプに時に比べて、俺と花音は自然と会話ができるようになっていた。


 こうなったのはさまざまなトラブルを一緒に経験したからだろう。


 そして何よりも、俺は花音とこうした関係を築くことで、今はもう疎遠となってしまった親友のことを思い出していたのだった。


●●●


 朝食を終えた俺と花音は、それぞれの後処理を開始した。


 本来の予定では、カヌー遊びでも体験しようと考えていた。


 だけど花音はまず、服をどうにかしなければならない。


 そういうわけで、彼女はこのキャンプ場の近くにある観光ホテルでコインランドリーを借りるべく、そこへ向かってゆく。

ついでに温泉施設も利用して来るようで。


 その間に俺は雨でびしょびしょになった花音のレンタルテントと、自分のテントを乾かしたり、キャンプギアを片付けたり。

そうのこうの忙しくしているうちに、チェックアウト時間の12時が迫ってきた。


「ただいまぁ〜!」


 といった元気な声と共に、いつものマウンテンパーカールックに戻った花音がサイトに帰ってくる。


 濡れたせいでガビガビなっていた金髪と汚れでくすんでいた肌は、艶と白さを取り戻していた。

やっぱり花音には、こうした綺麗な格好がよく似合うと思う。


「葵くんも入ってくれば良いのに。きもち良いよ?」


「良いよ、俺は家帰ってからで、いつもそうして……うわぁ!?」


 驚きのあまり尻餅をついてしまう。

だって、花音がいきなり最接近してきて、クンクンと鼻を動かしていたものだから。


「確かに臭くないなぁ……っていうか、うん、なんかすごく好き!」


「す、好きぃ!? なにがだよ!」


「ほのかに香る焚き火の残り香と、葵くんの匂いがうまくマッチしている感じが!」


「なんだよ、それ……」


「ってわけで、もっと嗅がせて♩」


 ジリジリと花音が近づいて来るものだがら、俺は反射的にその場から走り去る。


 野外でのそんな羞恥プレイに耐えられそうもないからだ。


「ほほう、帰宅部の分際で、運動部の私から逃げられると思っているのかね、葵くん!」


 なんか、花音がものすごい勢いで追っかけて来る。


 なんであんな大きな胸してて、そんなに早く走れんのよ!?


 落ち込んでしおらしくなったり、こうやって突然妙な口調で追っかけまわしてきたり。


 こうやって触れ合えば触れ合うほど、花守花音っていう女の子が、色々な面をもつ魅力的な子なんだと理解し始める。

そしてこうした時間は楽しいとさえ感じ始めている。


 だけど、もうこのお祭りはおしまいの頃合いとなり、キャンプ場をチェックアウトし、花音を見送るためにバス停に向かう。


「もう終わりだねぇ。なんかもう一泊くらいしたかったかも」


「そ、そうか?」


「うん、そうだよ! 私、葵くんとのキャンプ、すごく楽しくて好き!」


 まるでタイミングを見計らったかのようにバスが目の間に止まった。

花音はやや寂しげな雰囲気で荷物を担いで立ち上がる。


「じゃあ、行くね」


「あ、うん、また……」


「明日学校でね! あと嫌じゃなかったら、また私とキャンプしてね!」


 しかし最後は爽やかな笑顔と共に、花音はバスへ乗り込み、俺の目の前から姿を消した。


「葵くんに、花音、ね……」


 バス停で1人、青空を見上げてそうポツリ。


 せっかくここまで仲良くなれたのだから、学校でももう少し花音との距離を詰めたい。


 俺はそんなことを考えつつ、スーパーカブで帰路に着くのだった。

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