脳が壊れるASMR

アズー

脳が壊れるASMR


 はい、先生。

 あ、昨日のことですか。

 はい、話します。うまく話せるかわからないんですけど。

 はい、でも、頑張って話します。はい。

 口下手なんで、わかりづらいところあったらすみません。

 えっと、ASMRってあるじゃないですか。

 いわゆる囁きボイスとか、耳かき音とか……あ、咀嚼音とかもありますよね。

 ASMR——Autonomous Sensory Meridian Responseの略で、自律感覚絶頂反応っていう意味らしいです。まあ、ふわっと知っている程度なんですけど、脳がとろけるような、耳からの刺激で快感を覚えるジャンルのことを総称してASMRっていうんですよ。

 動画配信サイトでASMRって検索すると、可愛い女の子のイラストとか、格好いい男の人のイラストとかがサムネイルを飾った音声作品が良く出てくると思いますし、いわゆるオタク系の人が好むジャンルなんじゃないかって思う人も多いかと思います。センスティブな作品が多いんじゃない? って思うかもですけど、でも意外と、実写系とか、そもそも何も写さない健全なタイプのASMRも多いんです。

 え、僕はどっちのタイプだって?

 僕はどっちも好きなタイプですね。

 特に好きなのはボイス付きの耳かきASMRですかね。

 可愛い女の子の声で「今日もお疲れ様」とか、癒されたいっていうか、ぱりぱりって耳垢が取れるリアルな音にぞくぞくするっていうか。

 ああ、すみません話が逸れちゃいましたね。

 で、昨日もつけてたんです、ワイヤレスイヤホン。

 三万円もしたいいやつなんですよ。音質にも拘ってて、重低音がしっかり聞こえて、それでいて耳を下にして横になっても耳が痛くなりにくいんですね。

 いわゆる寝ホン向けのワイヤレスイヤホンなわけです。

 寝ホンについて?

 ああ、寝ながらイヤホン使うことを寝ホンっていうんですよ。ASMRとかネットラジオとかゲーム実況とか睡眠導入ミュージックを聴きながら寝落ちするっていうか。

 音があると寝られないっていう人いますけど、逆に音にだけ集中することで寝つきが良くなるタイプもいるんですよね。寝れないなあって時があったら、一回試してみてください。最初はゾワゾワして気になるかもしれませんが、慣れるとそれが癖になっていくんですよね。

 すみません、また話が逸れてしまいました。

 えっと、そうですね。

 昨日の夜も僕は寝ホンをしていたわけです。

 いつも聞いている音声作品をつけて、イヤホンをして、ホットアイマスクして、まあ癒しの準備万端って感じでベッドに横になって。

 深海ミツキさんって配信者の方の音声作品でした。深海ミツキさんのASMRすっごくいいんですよ。収録用マイクも一番いいダミーヘッドマイクを使ってて、本当に彼女が僕の耳の側で囁いてくれてるっていうか、添い寝してくれてるっていうか、そういう臨場感がある作品が多くあるんです。ぜひ、先生も試しに聞いてみてください。毎週金曜日の夜にASMR配信をしてくれてて……。

 ああ、すみません、学校じゃこういう話ってなかなかできる相手がいなくって。すみません。

 ええっとそうでしたね、深海ミツキさんの作品をつけたんです。 

 でもずっと音楽を聴きっぱなしも良くないっていうじゃないですか。

 なんでしたっけ?

 まあ音量にもよるんでしょうけど、あんまり何時間もつけっぱなしにするとイヤホン難聴になるって話じゃないですか。だから僕は動画サイトについているタイマー機能を使って、一時間で止まるように設定していたんですね。

 で、そのまま寝落ちしたんです。

 いつもなら大体二〇分も聞かないうちに寝落ちしちゃうんですけど、その日はかなり疲れてたみたいで、深海ミツキさんの作品の導入部分だけ聞いてすぐに寝ちゃったみたいです。

 そこでふと、目が覚めたんですよ。

 なんか耳がこそばゆいなって。

 僕って結構眠りが深いタイプで、一回寝ると朝までぐっすりなんですけど、なんかその日に限って目が覚めちゃって。真っ暗な中、なんで目が覚めたんだろうって不思議に思いながら、でも、耳元でこしょこしょと何かが囁いてるのに気がついたんです。こそばゆさの原因はこの音だって。

 そこで、あ、まだベッドに入って一時間も経ってないんだなって思ったんです。だってタイマーセットしてますからね。音が聞こえるってことは、つまり、まだ時間が来ていないってことで。じゃあ、そのまま深海ミツキさんの作品を聴こうって思ったんですよ。

 目を瞑って、ベッドに深く潜って、ええ、そうです。深海さんの声を聞きながら、もう一回、寝ようって。

 で、気づいたんですよ。

 こしょこしょと耳元で聞こえてる音っていうのが、声っていうのが、深海ミツキさんのそれじゃないって。


 ……、。

 ……、。


 なんていうか、雑な音というか。ノイズ混じりというか。

 クリアな音質でいい音を届けるASMR作品には不釣り合いな、ひどい音に混じって何か聞こえるんです。


 ……、ん。

 ……、ん。


 って、ノイズの奥から聞こえるんです。

 深海ミツキさんの声じゃない、別の、低い、低い、女の子の声が。おおよそASMRに相応しくない、作っていない、アニメっぽくない、普通の女性の、どこか暗い声が。

 え、どういうことだろうって思ったんですけど。

 すぐに僕はこう思うことにしたんです。

 あ、きっと別の誰かの作品にジャンプしちゃったんだなって。

 ワイヤレスイヤホンって、イヤホンを特定回数タップすることでスマホの操作とかもできちゃうんですよ。だから僕、きっと、半分眠りながらイヤホンを触って、別の誰かの作品に飛んだんだろうって。心臓バクバクしながらそう思うことにしたんです。

 布団を頭の先まで被って、ブルブル震えてました。

 でも布団って結局ただの布団なんです。僕を守ってくれることはなかったですね。

 僕、気づいちゃったんですよ。


 ……、ゃん。

 ……、ゃん。


 ノイズに混じって聞こえてくる女の子の声っていうのが、だんだん大きくなって来てるってことに。

 ガリガリ、ガリガリ、って頭の中を引っ掻くみたいなノイズ音が響き渡ってて、あ、これ爪で引っ掻いてる音だって、なぜだかはっきりと分かったんです。僕の頭の中を引っ掻き回している音だって。

 それがまた痛いんですよ。大きい音を聞くと耳がきんとするじゃないですか。鼓膜がビリビリと破れていくような、そんな痛みと言いますか、奥の奥まで硬い耳かき棒を突っ込んでバリバリと無遠慮に耳道を擦られてるみたいな、そんな痛みと音がするんです。


 ……、ちゃん。

 ……、ちゃん。


 でも、僕は半泣きになりながらも、そういうシチュエーションのASMRに飛んだんだって、思おうとしたんです。幽霊少女に取り憑かれて耳かきされるとか、美少女宇宙人に拉致されて耳かきされるとか、まぁ、あんまりみないシチュエーションですけど、ホラーテイストなASMRっていうのは、なくはないんです。

 きっとそうだって。そうに違いないんだって。

 スマホを触る勇気はありませんでした。画面を見たら、どんなものが表示されてるかわからないじゃないですか。怖いですよ。もし、画面を開いて、何も映ってなかったら? 動画アプリが落ちていたら? 一時間以上経っていたら? じゃあこのイヤホンから聞こえる音ってなんなんだろうって、怖くなるじゃないですか。


 ……、うちゃん。

 ……、うちゃん。


 バリバリ、バリバリ、って引っ掻く音がどんどん大きくなっていって、女の人の声もどんどん近づいてくるような気がして。

 で、分かったんです。

 ひどいノイズの中で女の人が繰り返す言葉の意味が。


 ……こうちゃん。

 ……こうちゃん。


 あ、人を呼んでるんだって。

 それで、僕、ああ、ダメだなって思いました。

 僕、康太って名前なんです。

 こうちゃんって、僕のことだって、この声が僕を呼んでるんだって思った時。

 今まで、ボソボソと呟くような、語りかけるような、そんな感じだった女の人の声が、こうちゃん、ってぱあっと嬉しそうな色に変わって。


 こうちゃん、こうちゃん、こうちゃん、こうちゃんこうちゃんこうちゃんこうちゃんこうちゃんこうちゃんこうちゃんこうちゃんこうちゃんこうちゃんこうちゃんこうちゃんこうちゃんこうちゃんこうちゃんこうちゃんこうちゃんこうちゃんこうちゃんこうちゃんこうちゃんこうちゃんこうちゃんこうちゃんこうちゃんこうちゃんこうちゃんこうちゃんこうちゃんこうちゃん……通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた通じた……


 もう、最後の方はなんて言ってたんだか覚えてないんですけど、鼓膜が破れるくらいの大声で、僕の耳元で、そんな絶叫が何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も続いたんです。もう痛くて痛くて痛くて痛くて苦しくて苦しくて苦しくて。

 僕も多分、叫んでたんだと思います。

 両親が何事だって、びっくりした様子で僕の部屋に飛び込んできて、もう、泣きながら半狂乱になってる僕を必死に押さえ込んで、何があったんだって。いや、僕が聞きたいくらいだったんですけど。何が起きてるんだって。

 僕は何度もイヤホンが、イヤホンが、って繰り返してたらしいです。なんていうか、正直あの時は苦痛すぎて、早く、この音をどうにかしたいって思ってて、とにかく何か叫んでました。

 で、僕、耳に刺さってるワイヤレスイヤホンをとってくれって、父さんと母さんに縋り付いてたみたいです。

 父さんと母さんはきょとんとした様子で、お前何言ってるんだって。

 え、どう言うことって僕聞いたんです。


 そしたら父さん、イヤホンならベッドの上にあるじゃないかって。


 僕、イヤホンつけてなかったみたいなんです。

 しわくちゃになったベッドシーツの上に転がってました。イヤホン。

 それに気づいたら、不思議と、あれまで聞こえていたガリガリ、って音とか、女の人の狂ったような声とかがパタリと消えて。

 両親にもちゃんと伝えました。今話したこと全部。

 そしたら、先生のところに行きなさいって。はい。

 心の病気かもしれないから、先生に治療してもらおうって。


 それで、あの、お願いなんですけど。


 イヤホン外してるのに、今も聞こえるんです。

 はい、今も、話している途中から聞こえてきました。怖いです。

 聞こえちゃうんです。

 女の人の声。嗄れてて、割れてる女の人の声です。

 ガリガリって、爪で引っ掻くみたいな音がするんですよ。

 僕の頭の中に入って、脳みそを引っ掻き回してるみたいな……、僕の脳を壊していってるみたいな、そんな音が。


 これ病気ですか?

 僕、病気ですか?

 お薬で治せますか?

 治してくれますか?


 彼女、言ってるんです。

 笑ってるんです。

 僕の耳元で囁いているんです。


 先生にはどうしようにもできないって。

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脳が壊れるASMR アズー @azyu51

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