万引き士

中田ろじ

前編

 今日は僕のデビュー戦だ。この日のために今までの歳月があったと言っても過言ではないだろう。この競技でのプロが認められたあの瞬間から、僕の人生は動き出したのだ。

 過去を教訓に。この言葉は親族一同に言われたし、社会に出たときのレッテル貼りは予想以上にひどいものだった。この世が残酷で人間が残酷であることを嫌というほど味わった。

 過去を糧にしろ。師匠に出会ってようやく、僕の人生に一筋の光が差した。犯罪者への視線には同情と嫌悪と好奇心がブレンドされている。だけれど師匠の視線は違った。慈しみ。言うなればそれだった。僕は初めて、犯罪者家族以外の視線を味わった。

 私のところに来なさい。

 師匠はそう言った。来るか? ではなかった。あたかも敷かれていたレールのように。師匠は僕の文字通り道しるべとなってくれた。

 朝。家を出るとき師匠は言った。

「全力だ」

 僕は何も言わなかった。ただ、まっすぐ師匠の顔を見て大きく頷いてみせた。僕と師匠の関係だ。お互い親身になりすぎて、最近では言葉でのコミュニケーションがいらないくらいになっていた。

 やってやる。デビュー戦を勝利で飾ってやる。僕はやる気に満ちていた。犯罪の過去はもはや武器にさえなっていた。やってやる。僕はやってやる。そして、ルーキーとして世間を圧倒するプロになってやる。

 プロの万引き士に。






 デビュー戦を飾る舞台はコンビニエンスストアだった。過去の汚点をアドバンテージにするのならスーパーマーケットの方が良いと思ったけれど、それではどこか過去を利用した卑怯な戦法を使っているような気がしてしまう。だからコンビニというのは求めていた舞台でもあった。

 実況席と客席の声は聞こえない。おそらくコンビニに設置している無数のカメラを介してのテレビ中継ならびにパブリックビューイングが行われていることだろう。観客が見えないのは万引きをやるうえでのマナーのようなものだ。ゴルフは観客が音を出さないのがマナーであるのと同じように、万引きでは視線をあてないことが基本的なマナーだ。死角をつくのが万引きの闘いでの重要なポイントなので、たとえ観戦といえども視線にはさらされたくないのが心情というものだ。

 入店すれば競技が始まる。その前のチェックを、コンビニの駐車場で行う。おそらく地方をイメージしているのだろう。店に対して駐車場のスペースがかなり大きくとられていた。

 駐車場には乗用車が一台止まっていて、車の近くには作業着を着た男性二人組がいた。おそらく今日の設定はお昼休みなのかもしれない。どこかくたびれた感じの男性二人が僕に手招きをする。

「入店前のチェックを行います」

 万引きは日常の中で繰り広げられる。それゆえに審判や店員も競技を意識させるようなコスチュームはしていない。あくまで日常の一コマを演出することを意識している。

 入店前のチェック。これはいわば万引きの際の戦法の確認である。

 万引きは人数が多いほど成功率は高くなる。しかし連携ポイントやフォーメーションポイントが厳しく設けられており、下手な手を打てば盗んだ品物が大物であっても高得点は狙えない。しかも団体になってしまえば、プレイヤー個人による演技点も低くなる。あくまで物をとりたいときや確実に点数を狙いたいときに団体が多く使われる。そしてもう一つ、団体が多く用いられる場合がある。ルーキーにありがちな戦法がこの団体なのだ。

 ルーキー戦の観客は、万引き観戦が初めてだという人の割合が多い。それだけ分かりやすい万引きが繰り広げられることが多いからだ。団体を使用する場合、フォーメーションが目につきやすく、いかにも『事件現場』の臨場感が出るのだ。陣形の動き方によっては躍動感あふれる盗みの瞬間を見ることが出来るし、それに加えてフォーメーションの鮮やかさも堪能することができる。もちろん、うまくいけばの話ではあるけれど。

 決して団体を軽視しているわけではない。団体の醍醐味は陣形の素晴らしさにある。かの伝説を残した『チーム麻上』は、その魔術的なカモフラージュによって、店中のポテトチップスをすべて盗むという、後世に語り継がれるあの有名な『ロスト・ポテチ』を起こした団体だ。あの鮮やかな技の連続は、何度観てもしびれる。だから決して団体だからと侮ってはいけない。ただデビュー戦は団体が多いというだけだ。

「入店人数は?」

 作業着の男性が訊いてくる。団体か個人か。男性はおそらく団体だと決めてかかっている。彼の目がそう言っていた。どうせルーキーは団体だろう、と。

「一人でお願いします」

 男性の目の色が変わった。目で問うてくる。俺の聞き間違いか?

「個人でお願います」

 あえて言葉を繰り返した。しっかりと男性の耳朶に響くように。そしてこれから起こる僕のプレーをその目に焼き付けておけと言いつけるかのように。

 師匠にいつも言われていた。お前は調子に乗りすぎる。しかし、日々の鍛錬を続けることで師匠の言葉は変わった。お前は自分を追い込みすぎる。

 ビッグマウスだと軽口を叩かれる大物ルーキー。うん、上等な肩書きじゃあないか。

「服装はどうする?」

 もう片方の男性が訊いてくる。服装とはもちろん入店の際の服装のことだ。

『ポケットの数が勝敗を決める』。この言葉は「早業のエンドウ」の名を世に知らしめた万引き士、エンドウ・小田の言葉だ。この言葉が人口に膾炙しはじめると、その言葉に従って戦法を変えたプレイヤーは少なくない。それによって全日本万引き協会からルール変更のお達しがでたくらいだ。

 しかし、その言葉はもはや古くなっている。最近のプレイヤーはポケットなんかには左右されない。もっといえば、いまどきポケットを大事にしていたらこの先プロとしてやっていくことは難しくなるだろう。店員の監視はそれだけ強化されているということだ。少しでも怪しい素振りを見せれば、即『なかみせ』のチェックが入ってしまう。店員による『なかみせ』。それはそのまま死を意味する。

「パーカーとジーンズでお願いします」

 あくまでもラフな格好。気軽に買いに来ました。そんな演出プランでこの服装を選んだ。ちなみにポケットは六個ついている。パーカーに二つとジーンズの左右。それから後ろに左右。至って普段着だ。一昔前はポケット量産ジャケットが販売されていたけれど、いまのルールでは着用不可になっている。どのみち僕は『ポケットの濫用』はしないつもりだ。

「持ち物は?」

「エコバックで」

 そういって僕は持参しているエコバックをポケットから取り出した。猫のキャラクターが満載の、どちらかといえば子供向けのファンシーな柄のエコバック。それをみとめた男性は、特に反応することなく無線連絡でなにやら伝達していく。チェックの完了を伝えているのだろう。

「それじゃあ。入店してください」

 僕は一礼することでそれに応えた。






 息を吸い込む。小さく短く、小さく短く。吐くのは短く一回で。それを二回繰り返したら、大きく吸って大きく吐く。一回だけ。丁寧に、念入りに。

 入店前のルーティンを終え、自動ドアの前に立つ。おそらく実況の人間が観客をおおいに煽っていることだろう。その歓声や唸りをすべて、自分への応援だと思い込む。この新人戦に参加するプレイヤーは全員がデビュー戦。無名な人間ばかりだ。それでも僕の闘いを見ている者たちすべてが、自分に微笑みかけている様を想像する。彼ら彼女らは言う。見せてくれ。熱き万引きプレーを見せてくれよっ! 僕はそれに全力で応えるだけだ。

「いくか」

 前日のくじ引きにより対戦相手より先に入店することが決まっていた。自動ドアが開き、コンビニ特有の入店を示すメロディが店内を駆け巡る。競技スタートの合図が鳴った。

 入店したら店内把握が鉄則だ。コンビニの様子は各店舗だいたい統一されているが、ここはおそらく地方の設定。ホットスナックのコーナーの前に、ご当地商品が並べてある可能性が高いだろう。そう判断した僕は、基本なら左に折れて雑誌コーナーを確認するのをやめてレジ前の通りを歩くことにした。歩幅はゆったりと。あくまで散策しにきたという体で。

 一歩入店すればその瞬間から闘いは始まる。もちろん歩き方ひとつとっても。『演出』の項目でポイントが期待できる。避けるのは減点だ。万引きにおいて一番のネックは減点なのだ。

『万引きは日常の延長線上』。これはルールブックの一ページ目に書かれている理念。「日常のなかで引き起こされる犯罪という非日常。そこにエンターテイメントが、人間の生存への執念が、犯罪に手を染めてしまう悲しみが、宿っている。日常の中に落とし込まれた非日常。そのあわいに真が宿る」。

 この最初のページを何度も読み返した僕は、このように解釈するようになった。いくら盗みがうまくても。いくらカモフラージュが見事でも。非日常が全面に出てしまえばもはや万引きでなくなってしまう、と。

 その証拠に、演技点の一項目である『演出』の割合は他の項目より高くなっている。過去の闘いを見ても、いかに自然を装うか。駆け引きをしながらもその中にどれだけ日常を落とし込めているか。そのことに重きを置いた判定が多いように見受けられる。

 入店直後は雑誌コーナーを歩くのが定石となっている。立ち読み客でカモフラージュがしやすいので、ここぞという時の点数稼ぎのために状況を把握しておくプレイヤーが多いためだ。だけれど僕はあくまで自然にこだわることにした。

「なに食おうかな」

 何気ない呟き。ひとりごと。店内の客には聞こえないが、超高性能マイクは確実に音を拾っていることだろう。この一言によって動機付けが発生する。僕は飯を買いに来た。それによって真っ先にお弁当コーナーに向かう行為がごく自然なものになる。

 呟きは諸刃の剣だ。下手な芝居を打てばそれだけ評価は下がる。それでも僕は勝負した。自分の得意分野はこれだと冷静に分析した結果だ。

 歩みは食品コーナーに向かいながらも途中の菓子類パン類お酒カップ麺のコーナーにも視線は向けた。店内把握にぬかりはない。

 客の入りは多い。時計も確認してやはりお昼時の設定であることを把握する。店員は二人。レジ内にいる。客も店員ももちろんエキストラだ。聞くところによると、大手プロダクションの役者の卵たちであるらしい。テレビやネット中継もされるのだから、顔も知られていいバイト感覚なのかもしれない。

 僕は目の前のおにぎりの前で立ち止まる。ポケットに手を突っ込んだまま。

 おにぎりを物色。棚の上段下段を眺めて、盗みやすい獲物を確認する。品揃えは豊富だった。おにぎりサンドウィッチお弁当。豊富な具材とともに陳列されている。

 ここで入店のメロディ。対戦相手は先に入店した三分後に入ってくる。足音で団体であることを確認する。視認はしない。してしまえば不自然になってしまう。動機づけのない行動は慎むべきだ。

 万引きの基本ルールは、物を盗んで誰にも気づかれずに店外へと出ること。一歩でも店外に出れば終了となる。それが基本の流れ。盗んだ物と店内にいた時間、その間のパフォーマンスを総合して点数が加算され、自分のポイントになる。相手より獲得ポイントが多い方の勝利だ。

 それともう一つ、勝利のパターンがある。対戦相手への攻撃だ。相手の万引き行為の瞬間を捕まえる『現行犯』。この場合は捕まったら即刻アウトとなるので、その時点で自分の勝利が確定する。

 対戦相手はおそらく雑誌コーナーを回るだろう。その間に僕は動き出すことを決断した。

 周囲に目をやる。僕の右隣にスーツ姿の男性がいた。僕と同じように商品を物色している。男性の視線に気を付けて、僕はおにぎりに手を伸ばした。おにぎりの形状はよくある三角型。右手で掴む。同時にポケットに突っこんだままの左からスマホを持って耳に当てる。電話がかかってきたふり。

「ああ。はいはい」

 声量は大きめ。ほんの数秒だが、隣の男性の視線が僕のスマホへ向かう。その刹那を利用して僕は演技をしながらおにぎりをパーカーのポケットへとつっこんだ。そのままおにぎりと入れ替わりにエコバックを取り出す。

「大丈夫。持ってきてるから」

 電話の相手はエコバックの有無を確認してきたと思わせる。そうすることでより自然にエコバックを出すことに成功した。そしてそのまま自然な流れでポケットにおにぎりをおさめることに成功する。よし、うまくいった。

 さらに僕は盗みの手をゆるまない。エコバックを取り出したことで隣の男性は僕の動作を確認できない。エコバックをファンシーなものにした理由はそこにある。華やかな柄によって、相手の視線をそこに集中させるのだ。

 僕は軽やかな動作でサンドウィッチを手にする。それは手に持ったまま、僕はコーナーを離れた。ドリンクコーナーに向かいながらエコバックのなかにサンドウィッチを押し込む。もちろん商品棚の死角をついて。

 演技が下手な連中は、盗む瞬間にいかにも盗んでいることをアピールしてしまう。どうしても動きがぎこちなくなってしまうのだ。その点僕の動作はスムーズだった。冷や汗ひとつかかない。少年時代、「リアル万引き家族」として世間を賑わせた結果の賜物だった。

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2024年12月1日 09:21

万引き士 中田ろじ @R-nakata

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