第43話
ダークグレーの回転椅子から立った校長が、僕の前まで来て微笑んだ。相変わらず、童顔だった。応接時に使用するためのソファーに腰掛けた校長は、僕たちにも座るように促した。座った瞬間、お尻が予想以上に深く沈んで驚いたが、慣れてくるととてもリラックスできた。僕の前のセンターテーブルには、見たことのない外国のチョコがあり、ナナは無言でそれを食べていた。遠慮という言葉は、ナナの辞書にはないらしい。
「お忙しいところすみません。お仕事の邪魔をしてしまって……。どうしても気になったことがあったので来ました」
「早く聞きなよ。これから、ゲーセンに行くんだからさ。時間がなくなっちゃう」
僕は、軽くナナを睨むと話を続けた。
「な、なんだよぉ。ナオが怒っても恐くないんだから」
「ナナちゃん。少し静かにしなさい。ごめんね、ナオ君。話を続けてちょうだい」
「あ、はい。今さっき、学校の屋上で僕の友達が変異したんです。彼も覚醒者でした。最初は、悪い冗談かと思ったんですけど。あれが、覚醒者の姿なんですね。ナナが助けてくれなかったら、今頃喰われていました」
「ナオ君のお友達は、薬を飲むのを忘れていたのね。あれは、発作を抑える薬だから。一日一回は必ず飲まなくちゃダメなのよ」
手の平にかいた汗をズボンで拭った。部屋は適温のはずなのに、額にも汗が浮かんでいた。
「僕のクラスでも五人は、あの赤いカプセルを飲んでいました。ってことは、つまり彼らも覚醒者ってことですよね。昨日の校長の話だと、覚醒者は世界に数百人しかいないってことですけど。あまりにもこの学校には、覚醒者が多い気がするんです」
いつの間に用意したのか。ナナは、冷たい麦茶の入ったグラスを僕に手渡した。僕は、それをナナから受け取ると一気に飲み干した。
「美味しい? この部屋乾燥してるから喉渇くよね」
「うん。ありがとう」
ナナは、嬉しそうに笑っていた。髪を手の甲で撫でている。とても落ち着きがなく、足をバタつかせていた。その無邪気な姿に思わず、口がにやけた。
「この学校はね、日本中から覚醒した子供たちを集めた特別な学校なの。現在、全生徒の5%くらいは、覚醒者。普通の学校では、馴染めない子供たちを監視付きで保護、教育してるの」
「そうだったんですか。覚醒した人間を保護する場所。確かに同じ仲間がいたほうが安心でしょうし、何かと協力出来ますね」
たしか……生徒会長の前園も赤いカプセルを飲んでいた。彼女も覚醒者だったのか。
「他に何か聞きたいことある? 時間ならあるから気にしなくて大丈夫よ」
「ないってば! ねぇ、ナオ。早く帰ろうよ。ゲーセン、ゲーセン」
駄々をこねだしたナナを無視して僕はさらに質問した。
「その覚醒者たちが飲んでいる赤いカプセルって、どこで入手しているんですか? もちろん市販はされていないでしょうし、毎日飲むなら相当数の確保が必要になると思うんですけど」
「なかなか鋭い質問ね。赤いカプセルは、私たち覚醒者の仲間が秘密の場所で大量に製造しているの。私たちは、あの薬を『ブラックモンキー』って呼んでいるわ。まぁ、薬の原料となる動物の名前がそのまま薬の名前になっているんだけどね」
ブラックモンキー?
そんな動物がこの世の中にいるのか。聞いたことのない名前。
「興味あるって顔してるわね。ナオ君は特別だから、見せてもいいよ。どうする?」
「見たいです、すごく」
「じゃあ、ちょっと待ってて。今、準備するから」
校長は、鍵のついた金庫から、重量感のあるメタリック塗装の箱を取り出した。その箱にも暗証番号を入力する画面がついていた。厳重に保管されているのは分かったが、この箱の中じゃ、中の動物は息が出来ないんじゃないかな。
「これよ。これが、私たち覚醒者を救う希望『ブラックモンキー』」
校長は、黒い毛の塊のようなものを握っていた。かなり強く握っているらしく、手には軽く血管が浮かんでいる。
「えっ…死んでいるんですか? 毛だらけで、中の様子がまるで分からないですけど」
「生きてるよ。ナオ君の持っている動物のイメージからは、かなりかけ離れていると思うけどね。手に持てば、ちゃんと体温を感じることも出来るし」
「そうなんですか。でも、あんな密閉された箱の中で息は出来てるんですか?」
「このブラックモンキーはね、あまり息をしないのよ。無呼吸状態で一週間は生きられるの」
「無呼吸で一週間っ!!」
こんな不思議な動物が、この世界にいたのか。興奮していた。そして、この動物を欲しいとすら思っていた。触りたい、そんな僕の心を見透かしたように校長は忠告した。
「あぁ、でもナオ君には飼ったり、触ったりすることは難しいかな。こうやって握ってないとすぐに逃げちゃうし。逃げ足が速いのよ、この子」
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