第33話

「めんどくさいんだよ、あぁいう式。校長の話もバカみたいに長いしさ」




「アハハッ、確かに校長先生の話は長いよね。私も苦手だな。九重は、卒業したら鹿児島に行くんでしょ? 大学受かったんだよね。がんばったね。でも大学生活も大変だから気を抜いちゃダメよ」




背伸びして、頭を撫でようとする先生。反射的にその手から逃れた俺は、自分の席に腰を下ろした。




「鹿児島に親父の親戚がいるから、その人の空いてる部屋を貸してもらうんだ。大学行くには、金がかかるから少しでも節約しないとさ。バイトも探さないといけないし」




「フフ、変わったね。九重。なんかあの頃とは、別人みたい」




「そうか? 自分では良く分からないけど。先生は、このまま教師を続けるのか? そろそろアンタもいい年だろ。結婚とかしないのかよ」




「出来ないよ、結婚なんて。私みたいな化け物と結婚してくれる男なんていないよ。まぁ一人のほうが気楽でいいしね。土曜日とか、朝まで映画見てても誰も文句言わないし」




「いやっ、結婚してても映画は見れると思うけどな。そうか……。アンタも寂しい女だな」




「なによ、その目は。そんなに哀れむな! 九重だって、そんなにツンツンしてたら一生彼女も出来ないよ」 




怒って、教室を出て行こうとする先生。




「待っ」




ガシャンッ! 倒れるイス。




その時の俺は、どうかしていた。なんで、あんなことをしたのか分からない。気付いたら、俺は先生の左手を握っていた。先生の白く細い腕が、壊れてしまうんじゃないかと思うぐらい強く握っていた。


驚いて振り向く先生の目を見たら、俺の心臓がドクリと大きく跳ねた。


 


「先生……あの、俺。その」




「ダメだよ、九重。先生にこんなことしちゃ」




先生は、右手で俺の手を優しく掴み、自分の手から離した。俺は、どうしていいか分からず、ただその場に突っ立ってることしか出来なかった。


頭が、混乱して。とても恥ずかしく。言葉を考える余裕が、まるでなかった。




「今のことは、忘れます。だから、二度とこんなことしないでね。九重のためだから。大学入ったらさ、可愛い子がいっぱいいるよ。さっき言ったのは、嘘。九重なら、すぐに彼女が出来る。だから、ね? 私は先生。ただの教師で、アナタは生徒。それ以上の関係になったら、ダメなんだよ」




先生は、優しく笑っていた。でも、俺にはその笑顔はとても悲しく感じられ、思わず涙が出そうになった。


先生は、こんな風に何度も異性を突き放してきたのだろう。どんなに自分が好きになっても、相手に嫌われることを恐れ、そして諦めてきた。先生の孤独は、俺なんかには想像も出来ない。先生の深い悲しみを理解することは、俺には出来ない。




それでも俺は。




先生の小さな体を後ろから抱きしめて、




「好きなんだ、先生のこと。大学卒業したら、必ず先生に会いに来る。それまで待っててくれ」




「はなして……おねがい」




「俺じゃ、ダメなのか?」




先生は、身を震わせて泣いていた。




「先生が、化け物になったって俺はかまわないんだ。先生一人だけ、悩む必要なんてないよ。二人でさ、幸せになろう。な?」




「……」




バタンッ! 




先生は、強引に俺の手を振り解くと教室を出て行ってしまった。教室に一人残される俺。先生の涙の粒が、手の甲で光っていた。




「ハハ、フラれた」




冷たい机に頬をつける。





でも、これで諦めがつく。告白しないまま東京を離れたんじゃ、気になって夜も眠れなかった。今は、ショックだけど。いつか立ち直れる。だから、俺は今まで通り一人で好き勝手に生きよう。


良かったんだ、これで。少し期待していた自分が恥ずかしかった。




蛇皮模様の賞状筒に卒業証書を丸めて入れると、俺はそれだけを持って教室を後にした。


廊下では、浮かれた女子が写真を撮り合っていた。蹴り飛ばしたいほど邪魔だったが、なんとか我慢する。




「九重君、一緒に写真撮らない? 思い出にさ」




「ねぇ、いいでしょ? みんなも九重君と撮りたがってるしさ」




俺は、その言葉を無視して歩いた。背後で俺の悪口を囁く声が聞こえたが、今更気にもならなかった。


告白が失敗し、落ち込んでいる自分が何故か可笑しかった。下級生で賑わっている校門から出て行くのは、なんだか嫌だったので、校舎の裏からこっそりと出ることにした。




(最後まで、暗い高校生活だったな。まぁ、自分が悪いんだけど)


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