第32話

「さっき。アナタの奥さんを見て、私のような覚醒者がいて嬉しいって言いましたけど、あれは半分嘘です。まぁ、確かに最初見たときは感動すらしたんですけど。そのうち憎くなりました」




「憎い? どうして」




僕は、搾り出すように声を出した。それでも掠れた声しか出なかった。人間である僕に覚醒者は殺せない。たとえ今、拳銃のような殺傷武器を持っていたとしても結果は同じ。それほどの力の差が、人間と覚醒者との間にあることを僕は霊華を見て知っていた。


少女の背筋は、ボコボコと盛り上がり、腕や足も太く凶暴に膨れていく。顔が縦長になり、一秒一秒経過するごとに人間の面影が失われていく。




「私には、恋人はおろか友達すらいない。それなのに、彼女には夫がいて幸せに暮らしている。不公平じゃないですか、こんなの。同じ覚醒者なんだから、私と同じように彼女も不幸にならなくちゃダメなんです!」




理性を少し残した状態で、少女は僕に一歩一歩静かに近づいてきた。




「僕を殺すのか?」




「はい。殺します。アナタを殺せば、奥さんもきっと不幸になります。そして、私のように孤独になります」




「ハハハハハハッ」




「何が可笑しいんですか?」




「君は、間違ってる。僕を殺したところで、妻は君のようにはならないよ。アイツはね、初めから幸せだったわけじゃないんだ。自分の運命を呪って、それでも歯を食いしばって頑張ってここまで生きてきたんだ。自分の力で幸せを勝ち取ったんだよ。君みたいに幸せになることを放棄した腰抜けじゃあない。僕を殺しても、きっと立ち直る。君とは違い、必ず不幸を克服する。僕は、そう信じてるよ」




「だまれっ! ただの人間のくせに」




霊華、ごめん。


もう少し、僕も頑張って生きたかったけど……ダメみたいだよ。最後に君の笑顔を見たかった。




あと少しだけ、一緒にいたかっ…………。




グチュ、グチュ。




ザァアァァー。




ザァァァ。




目の前が、霞んでいく。


自分の左胸からは、夥しい量の血が流れていた。自分が倒れている周りには、血の水溜りが出来ている。こんなに大量の血が体内に入っていたことに少し驚いた。僕は、こんな絶望的な状況なのに妙に落ち着いていた。


全身の力が抜けていくのが分かると『死』という存在が大きくなり、それが自分の上に覆いかぶさってくるようだった。それでも僕は、恐怖を感じていなかった。


目は見えなくなりつつあったが、そのぶん音には敏感になっていた。




誰かが、階段を下りてくる音が聞こえ、その足音が大きくなり、次に悲鳴のような声が聞こえた。そして、僕の体の前を大きな黒い影がザッと横切るとーーーー。




次にスイカが潰れるような音がして、パラパラと腹の上に何かが降り注いだ。床に何度も何度も何かを叩きつける音がして、その度に地震のように部屋が揺れた。泣き叫び、懇願する声が聞こえた気もしたが、すぐにそれも聞こえなくなった。




頭が、ボーとして。意識が曖昧で……。




体はダルくて、疲れていた。ゆっくりと目を閉じた。






木漏れ日ーーーー





数十本の桜木に囲まれた学校。校歌が、第一体育館から聞こえてくる。


今日は、卒業式。俺は一人、教室に残っていた。ぼんやりと三階の窓から体育館を見下ろしていた。桜の花びらが、俺の前をひらひらと横切り、春の匂いだけを残していく。





「卒業おめでとう。九重君」




「気持ち悪いな、その呼び方。今まで通り、呼び捨てでいいよ」




「そう? じゃあ、九重。卒業おめでとう」




「あぁ。そんなことより、先生は出なくていいのか? みんな体育館に集まってる。早く行った方がいいよ」




「それは、九重も同じでしょ? こんなところにいたら卒業証書もらえないかもよ」




意地悪く笑う先生。背が低く童顔なので、相変わらず中学生のようだった。


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