第30話
「松木さんのご自宅ってどこなんですか?」
「神里駅から、バスで20分ってところかな。ここに比べたら、随分田舎だよ。海が近いってことぐらいかな、いいところは」
「……行ってもいいですか? ご迷惑でなければ」
加奈と名乗る少女は、遠慮がちに僕にそう言った。
「うん。大丈夫だよ。タクシーで行こうか、バスより速いし」
どうやら、この少女にかなり気に入られたようだ。あと数回デートもどきをしなければ、自宅まで連れてくることは無理だと思っていた。出会い系で知り合った少女と言っても焦りは禁物で、時間と金をそれなりに使わないと相手に嫌われ、逃げられる。今回のように、一回のデートで僕の家までついてくる少女は、過去にはいなかった。
思いの外、うまくいったことに内心かなり喜んでいた。これで、また霊華も助かる。
タクシーの中で、霊華にメールを打った。新しい少女が手に入ったから、少しの間外出していてくれという内容。さすがに、家の中に奥さんがいたらこの少女も気分を害し、二度と僕とは会ってくれないだろう。
家から少し離れた場所でタクシーを降りた僕と少女。特に会話もなく家の前まで歩いた。
「ここだよ、僕の家は」
「一軒家なんですね。マンションかと思ってました」
「二年前に購入したんだ。賃貸で何年も家賃を払い続けるより、経済的だしさ」
少女は、家を珍しそうに見上げていた。そして、なぜかクスクスと笑い出した。
「どうしたの?」
「い、いえ。なんでもないです」
僕は家の鍵を開け、少女を中に通した。メールで指示した通り、霊華の姿はなく、家の中は静まりかえっていた。
「綺麗なお部屋ですね。新築の匂いがします」
「買って、まだ二年だからね。ここに住む前は、借家にいたんだけど。職場に遠かったし、近所もうるさくて結構苦労したな」
僕は、キッチンで冷たい麦茶を用意していた。少女は、大人しくソファーに座っている。それを確認した僕は、少女が飲むコップに睡眠薬の少し青みがかった液体を入れた。スプーンで音を立てないようにかき混ぜる。
「足を伸ばして、ゆっくりしてていいからね。テレビ見ててもいいよ。今の時間は、つまらないドラマか、ニュースしかやってないだろうけど」
「はい、分かりました。でも今は、テレビ見る気分じゃないので遠慮しときます」
僕は、麦茶とシュークリームが入った皿をテーブルに乗せた。
「こんなものしかないけど、食べて」
「いただきます」
一口だけ、シュークリームをかじると僕の方を見ながら麦茶を飲む少女。
「松木さんは、食べないんですか?」
「い、いやっ。食べるよ。シュークリームは大好物だからね」
僕もシュークリームにかぶりつく。甘ったるいクリームが、口全体に広がった。
横目で少女の様子を観察する。麦茶に入れた睡眠薬は即効性なので、十分もしないうちに効き始めるはず。
「松木さんって、教師なんですか?」
「えっ」
突然の少女の問いに上手く反応が出来なかった。少女には、僕が教師であることは隠している。バレるはずがない。
「僕は、ただの保険のセールスマンだよ。メールでもそう言ったでしょ? 教師なんかじゃないよ」
自分でも動揺しているのが分かった。心臓を落ち着かせ、演技を続ける。
「どうして、そう思ったの?」
「フフ、さぁ……どうしてかなぁ」
少女が、僕の顔を見てニヤリと笑った。薄気味悪い笑みだった。コッ、コッ、コッと壁時計の音だけが僕の耳に聞こえた。
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