第27話

下卑た笑い声が、二十坪ほどの部屋に響き渡る。床には、AVケーブルや電話回線ケーブルなどの配線が、蛇のようにとぐろを巻いていた。今すぐ、この柱から出ていって佐々木の顔面を思い切り殴りたかった。なんでかは分からないが、先生がこんなザコにいいように扱われていることが我慢出来なかった。 




胸に込み上げてくる怒りが、沸点に達しようとしていたその時。




先生の体に異変が起きた。





「……っや!」



急に胸を押さえ、蹲った。苦しそうに喘いでいる。




「はな……れ……。お……ね…が……ぃ」



「なっ、なんだよ! お前っ!!」




ホースのような太い血管が浮かんだ腕、丸太のようにどっしりとした足。壁のような背筋は、汗が蒸発し、そこだけ白んでいた。


十秒ほどで、あんなに華奢だった先生の体が、見たこともない化け物に変異した。




腰を抜かして尻餅をつく佐々木。そんな佐々木と同様に俺もショックを受け、身動きがとれなかった。寒くもないのに全身に鳥肌が立っていた。俺は震えながら、それでもこの光景から目を離せないでいた。



サメの歯のようなものが、口の奥までびっしりと生えており、口は常に半開き状態。ヨダレを周囲に撒き散らしている。自分でも認めたくない、先生の変わり果てた姿だった。



その目は、狩をするときのライオンのように大きく、緑色をしていた。人間のような白目がなかった。




「くるなっ、化け物! 来るなって言ってるだろ! 畜生がっ」





『フルルルルルッ』




「頼むからぁ、助けてくれ。僕が悪かったっ! もう金は要求しないし、アンタが化け物だってことは絶対にっ、誰にも言わない。約束する」



嘘だ。コイツは、絶対に喋る。俺には、佐々木の心が手に取るように分かった。 




「やめっ! て、がふぅびゅぶっ」




佐々木の喉元に噛み付いた先生が、思い切りその肉を剥ぎ取った。喉を抉られた佐々木は、首から大量の血を流しながら、ただ呆然と眼前の先生を見ている。



自分に何が起きたのか、理解できていないようだった。先生の巨大な手で、頭を鷲掴みにされた佐々木は、声を失った口を動かした。



『ば、け……も……』



バキュッ。



頭蓋骨が砕ける音がし、マネキンのように佐々木は動かなくなった。佐々木は、僕の目の前で死んだ。初めて見る死体だった。テレビや映画のような作り物じゃない。本物の死体。


佐々木を粉々にした先生は、満足そうに雄叫びを発し、そして倒れた。倒れた先生の体は、風船が萎んでいくように小さくなり、一分ほどで元の姿に戻った。先生がさっきまで着ていた衣服は、ただの布切れと化しており使い物にならなかった。俺は、シャツを脱ぎ、それをそっと先生にかけた。




先生は、まるで寝ているかのように静かだった。死んでいるんじゃないかと心配になったほどだ。尻ポケットから、震える指でタバコを一本取り出すと火をつける。紫煙を吸ったり、吐いたり繰り返すとさっきまで鼻にこびりついていた血生臭さが幾分緩和され、吐き気もおさまった。



信じたくない現実。笑顔をいつも絶やさない先生とさっき目の前で佐々木を殺害した先生。どちらが本当の先生なのか分からない。 



「タバコ………ダメだよ」



虚ろな目をして、俺に注意をする先生。



「いいだろ、今ぐらい。これ吸ってないと気がおかしくなりそうなんだよ。今だけだ、許せ」




「いつから見てたの?」



「佐々木と先生が、このビルに入るところから」



「……そうなんだ。ごめんね、こんな残酷なものを見せて」



「いいよ。気にするな」



「気にするって。普通……。教え子殺すなんて教師失格だね。ってか、人間失格………」



俺は、黙って先生の言葉を聞いていた。今、目の前にいる先生は俺の知っている先生で。佐々木を殺した化け物とは似ても似つかなくて。



これが、悪い夢ならどんなに良かったか。でも今起きたことは、紛れもなく現実だった。




「九重………私はどうしたらいい? 警察に自首してもいいけど、信じちゃくれないだろうし」




「とりあえず、この死体を片付けよう。このままじゃ、マズイ。俺は、叔父さんのワゴン借りてくるから。先生は飛び散った血を綺麗に拭いてろ。指紋も出来るだけふき取れよ」



「免許持ってないでしょ? ダメだよ、そんなことしちゃ。それに、九重まで巻き込みたくないし。私一人でなんとかするから。だから、もう。帰って」



「免許なくても運転ぐらい出来るんだよ。それに、アンタ一人残したら自殺しかねないからな。一日に二体も死体は見たくない。とにかく、今は俺の言うとおりにしろ。馬鹿なことするなよ! 絶対」



「…………迷惑かけてごめんなさい」



俺は、走った。急いで家に帰り、叔父さんのワゴンを借りて、またこの雑居ビルに戻った。もしかしたら、首を吊っているんじゃないかと心配したが、それは杞憂に終わった。先生は、俺の指示通りに血を拭いていた。半べそをかいており、時折鼻を啜っていた。 


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