第26話

少女も霊華の異変に気付いたらしく、怯えながらその変化を見ていた。




「なっ——、えっ、なに? いやっ!! なん、なのっ! コイツ」




「約束どおり君を解放するよ」



僕は番号を入力し、内側から厚い鉄扉を開けた。振り返ると、少女に襲いかかる巨大な霊華の背中が見えた。盛り上がった背筋で、白いシャツが引き裂かれている。




「助けてぇえぇ! だれかぁっ! この化け物をなんとかしてっ、いやぁあぁぁあぁ」




少女は、スープが入っていたお椀を拾うと、思い切り霊華の頭に投げつけた。




カンッ! 



乾いた音が部屋に響く。が、それだけだった。少しもダメージを与えることが出来ず、ただ怒りを買っただけ。霊華の口からあふれ出たヨダレが、少女の顔にかかった。その瞬間、少女の体がぶるぶると震え、少女は失禁した。水溜りが出来るほど大量の小便だった。




「おね、がぃぃ……たすけてぇ……おねがいぃぃ……」





既に限界を超えた少女は、両目から血の涙を流しながら、僕に最後の助けを求めた。




『フルルルルッ』



低い唸り声。 


次の瞬間、少女は人間とは思えない声で絶叫した。ボキリ、ボキリ、という音。霊華は、少女の腕を噛み千切っていた。血液がほとばしる肉の断面を一度だけ大きな舌で舐めると嬉しそうに目を細め、凶暴な歯で骨ごと噛み砕いている。



「ごめんね。妻には君のような少女の肉がどうしても必要なんだ」



これは、本当だ。発作が起き、変貌した霊華には生きた少女の肉が必要だった。人間以外の動物や加工した肉は、霊華は決して食べようとしない。男性や二十歳を過ぎた女性の肉もあまり食べなかった。高校生ぐらいの年齢の少女が、一番適していた。霊華の餌として。




階段を上り、リビングに戻る。まだ、雨は降っていた。



濡れた洗濯物をとりこみ、再び洗濯機の中に押し込んだ。キッチンに行き、出しっぱなしの野菜を冷蔵庫に戻し、ついでに麦茶を取り出す。冷えた麦茶で喉を潤すと胸がスゥーと爽やかになり、忘れていた空腹を思い出した。




「…………………」




あと三十分で食事が終わり、霊華は元の姿に戻る。ソファーに寄りかかり、耳を澄ました。雨音だけが、僕の耳を優しく刺激する。車が、雨をはじき飛ばしながら家の前の通りを通過していくーーー。




テレビ台の上には、霊華と行った沖縄旅行の写真があり、その中の僕は僕自身が恥ずかしくなるような満面の笑みだった。霊華は麦藁帽子を被っており、背が低いのと日に焼けたせいで地元の中学生のように見えた。




「また行きたいな。来年あたり」


霊華は、僕が出会った女性の中で一番純粋だ。その純粋さが彼女の雰囲気を良くしており、周りにいる人までも幸せにする。それは、彼女が持っている一番の才能であり、僕も尊敬しているところだ。



軽く目を閉じると、すぐに雨の世界に意識を持っていかれる。頭の先端を誰かにつままれているような気分。自分が誰なのか、どこにいるのか。とても曖昧になっていく。


………………。

…………。



また、昔の夢を見たーーー




「ごめんなさい。昨日は、迷惑かけちゃったね。本当にごめんなさい」



「あぁ。いいよ、別に」




俺は、俯いて答えた。昨日、初めて参考書を買おうと書店に立ち寄った。その帰り道、俺は見てしまった。先生が、同じクラスの佐々木と歩いているところを。



佐々木は、学校では特別な存在だった。学年での成績は常にトップであり、全国模試でも高順位を常にキープしていた。先生達からも厚い信頼を得ており、バカな不良生徒である俺とは真逆な人間だった。



二人は、人気のない場所まで無言で歩いていき、改装中のために立ち入り禁止となっている雑居ビルに入っていった。俺は、周りに誰もいないことを確認するとその建物の中に体を滑り込ませた。 




佐々木は、先生に何かを要求していた。先生は、ショルダーバッグから茶封筒を取り出すと佐々木に手渡す。中身を見なくても、それが金だと分かった。




「もうこんなことは最後にしてちょうだい。佐々木君の将来にもこんなこと悪影響よ」




「よくもまぁ、そんなこと言えるな。偉そうにしやがってっ! この人殺しが。僕は、見たんだ。お前が、他校の女子生徒と一緒に廃ビルの中に入る所を。そこで、お前は。お前は……化け物になった! そして、そいつを襲ったんだ。食ってた。この! このっ、化け物。だから、今更まともなこと言っても全然説得力ないんだよ」




佐々木は、言い終わると憎らしげに地面に唾を吐いた。興奮しているせいか、呼吸が荒い。



「……………」



先生は俯き、何も言わなくなった。



「でもよ、僕はあんたの味方だ。こうやって、金さえ渡してくれたらこれからもずっと黙っててやるよ。まぁ次からは、その体で払ってくれてもいい。アンタは可愛いからな。それにその透き通るような肌もそそる」



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