第17話

 霊華は両手で顔を覆い、床に崩れ落ちた。僕は、まだ映画を見ているような感覚でその場に立っていた。アンナは、血だらけの顔で花魁のような妖しい微笑を浮かべ、落ちた自分の歯を拾っていた。その仕草から、知能の低下を感じた。





聞いたことのないミシリ、ミシリと言う音。アンナの体は、どんどんと大きくなっていく。左腕だけでなく、全身の筋肉が重曹のように膨れあがり、すぐに背筋で校長の姿が見えなくなった。



僕の目の前にいるのは、アンナではない。




人間を捕食する『覚醒者』そのものだった。今のアンナにとって、校長は敵ではなく、ただの餌。その後、何発も銃声は聞こえたが、アンナの前では水鉄砲のように無意味な攻撃だった。ダメージを与えることは出来ない。傷を負っても、すぐに回復し元の姿になる。先ほどの顔の傷も数秒で完治していた。





「これが………」





僕もいずれ、あのような姿になるのか。





ボキッ、ボキッ。



くちゃくちゃ。





校長は、呆気なく死んだ。声がしなくなるとアンナの咀嚼音だけがいつまでも部屋に響いた。僕は、気絶した霊華を抱きかかえ、部屋を出た。



部屋を出て、すぐに廊下に吐いた。どんなに吐いても気分は良くならず、最後の方は、胃液しか出なくなった。



十分ほどして霊華が目を覚まし、二人で校長室前でアンナが出てくるのを無言で待っていた。三十分後、ようやく校長室の扉が静かに開いた。中から出てきたのは、僕が知っている幼いアンナだった。





「私を待っててくれたのか?」





「うん」





「逃げたかと思った。あんな姿、ナオトに見られたくなかったな」





「今は、大丈夫なの?」





「あぁ。今は、問題ない。ただ、覚醒時の発作はいつも突然だから、いつまた襲ってくるか自分でも分からないんだ」





「その発作を鎮める方法はないんですか?」





今まで沈黙していた霊華が口を開いた。





「今のところはない。ただ私の仲間が、薬を開発中だ。いずれ、完成する日が来るだろう」





いずれっていつだ? 





今日や明日ではないことは確か。




僕たちは、学校を人の目を気にしながら脱獄するように出ると、その足で駅に向かった。駅のホームで電車を待っていると僕たちを呼ぶ騒がしい声がした。





「俺に黙ってどこ行くんだよ! 友達だろ」





 走ってきたのか。タケルの頬は赤く(アンナにビンタされたから?)、白く蒸発した汗が頭から立ち上っていた。





「何しにきたのよ、この裏切り者」





「いつまで根に持ってんの?」





 ガミガミと言い争っている二人を見ると安心出来た。変わらない友情を信じたい。





「タケル、元気でね。妹さんに宜しく。手術受けるお金、何とか出来れば良かったんだけど………。ごめん」





「お前本当にいい奴だな。涙が出るよ、マジで。金のことなら心配するな。何とかする。それよりもお前は、自分の身の安全だけ考えていろよ。いつ襲ってくるか分からないからな。奴らは、諦めていないぞ」





タケルと握手をする。タケルは、もうあの指輪をしていなかった。電車に乗り込み、発車した後もタケルは大声で僕たちを励まし続けてくれた。友との別れ。父さんとの別れ。明日死ぬかもしれない運命。状況は最悪だが、それでも僕は絶対に諦めない。





「そういえば、霊華の夢って何?」





「私? 私の夢かぁ。一つだけあるよ」





「ナオトは、渡さんぞ! 絶対に」





「ちっ、違います。そんなんじゃありません! 教師になるのが夢、かな」





少し照れくさそうに、でも力強く彼女は言った。その目は、希望に満ちている。少しずつ速度を速める電車。僕たちの前を過去が通り過ぎていく。








十年後。







 僕は、またこの町に戻ってきた。久しぶりに見る我が家は十年前のままで、懐かしさと安堵が心を満たした。





突然、家のドアが開き、出勤前の父さんが家から出てきた。相変わらず、映画俳優のようにカッコがいい。父さんは、僕たちを発見すると銅像のようにしばらくその場で固まっていた。





「おかえり」





「ただいま、父さん」





「随分長い家出だったね……。父さん、こんなに老けてしまったよ」





確かに父さんの顔には、以前はなかった皺が何本もあった。何の罪もない父さんに、僕のことでこんなに苦労をかけてしまった。謝っても謝りきれない。





「ごめんなさい。ろくに連絡もせず。本当にごめんなさい」





「たまぁにナオちゃんからの手紙で、大体の状況は把握してたよ。こんな状況なんだから、連絡出来ないのは仕方ない。今、元気ならそれでいいよ。さぁ、中に入って」




懐かしの我が家。父さんは、忙しなく電話をかけたり、家中を動き回っていた。





「夕飯は、お寿司でいいかな。それとも肉? まぁ、どっちも食べればいいか! 今夜は、パーティ。店を貸し切るぞ」





僕たちを狙う組織は、この十年でほぼ壊滅させた。世界中にいる獣人が協力、支援してくれたおかげで実現出来た。ただ、僕たちはまだまだ戦わないといけない。僕たち『覚醒者』が、安心して生活出来る未来を手に入れる為に。


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