菫草ぺちぺち

沼津平成

第1話

            1

 

 町に広がっている、変な形の群れ、交差点交差点交差点交差点交差点交差点交差点交差点。


「いったいいくつあるんだ……?」


 という話題で僕たちは盛り上がる。僕・英五えいごはサンフラC棟に住む男。歩道橋の一番高いところを、「マンション」とかいう奴、あれの代わりにして生きる平凡な男だ。

 僕はいま住処を飛び出して、ご近所さんを踏み分けながら歩道橋を降り始める。日常茶飯事だ。もちろん、最下段にはベッドが置いてあり、素材も布を使っている歩道橋だ。手すりを除いてすべてやわらかい。

 不満を言うものはない。


「……やっべ、遅刻だ」


――そして、僕はD校8年生。


            *


 今から幾年か前にさかのぼる。

 その年の、本格的に春の始まりを告げられた日。

 僕にとってはこれが8回目の春だ。だから年齢は、8歳か9歳。何しろカレンダーなど置く暇

がなく、印刷所もない。

 スマホはない。科学技術が進歩していないからだ。今更地球が何回周ったか数え始めたところで、ありもしなさそうな桁数に驚いて気高い科学者は泣くだろう。


「……英五、たちなさい」


 落ち着いた母の声が聞こえた。僕はたじろいだ。


「この人だかりを踏むのよ」


 えっ――――――――――――!?

 しばらくは母さんの言っていることが分からなかったが、だいたい飲み込めてくると、僕は頑なに首を振った。


「遅れちゃうから。……行って、はやく……!」


 母さんにせかされて、僕は意を決した。「失礼します!」

 僕は歩道橋を駆け抜け始めた。

            *


僕の初めての歩道橋の昇り降りだった。人の体の独特な軟らかさに、いつの間にか猟奇的な笑みを浮かべながら、僕は駆け抜けた。とにかく、たじろいでいる暇はなかった。


――走れ!


 もうそのことしか考える暇がなかった。駆け抜けろ駆け抜けろ。

 とりあえず無数に羅列羅列羅列羅列を繰り返した。やっと脳が追いついたと判断した、その瞬間も「駆け抜けろ!」は続いた。

 駆け抜けろ! が何回達したか走らないが、たぶん三万回を超えたころ、僕は歩道橋の手すりに手をかけ、ぜぇぜぇと息をついた。

 ふいに足音が聞こえてきた。背中から声が聞こえる。「速すぎるよ……」

 なるほど、僕はあの走りの中で間違えなかったらしい。


            *


 今思えば本当にあれが自分の全速力だったかはわからない。しかしとにかく走り切った後、僕はまだ肩で息をしながら校門をくぐった。

 僕を出迎えたのは老人だった。老人は笑顔を浮かべながら、「ようこそ、私たちのD学園へ」と静かにいった。

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