第9話

 それからさらに、二十年の時が経った。


 元号は明治から大正に変わり、 三度の戦勝を経た日本国は目まぐるしい発展を遂げ、すさまじい勢いで異国の文化が流入した。


 新しいもの好きな私は、いち早く自分の生活に洋装やジャズを取り入れた。


 最初の妻に先立たれた後は、妻の妹を後添いにもらい、先妻の子である一郎のもとには、既に二人の孫がある。

 定年前ではあったが、文部省では出世を遂げ、室長という地位も得た。

 誰が見ても順風満帆。

隠居したら、活動写真の研究でもしてみようかと、のんびり考えていた矢先のことだった────


 ある休日の昼下がり。


 ぽかぽか暖かい陽気の中、妻がピアノに腰掛けて演奏の準備をしている。


 縁側に座って新聞を読んでいた私は、ふと顔を上げた。


「おや、今から弾くのかい?」

「ええ。先生のところで、とても良い曲を聴かせていただいたの。私、すっかり気に入ってしまって、写譜させていただいたのよ。

 とても貴重な譜面なのですって」


「へえ、それはいいね。ぜひ演ってくれたまえよ」

「あら、少し緊張するわね」


 私は新聞を傍らに臥せると、ゆったりと目を閉じた。懐かしい。ふと、先妻との新婚時代を懐古する。


レコードのない時代、私はよく彼女に演奏をせがんでいた。あれはあれで良いものだったな……



 ポロン。


 音合わせの優しい音の後、私の耳に飛び込んで来たのは、意外にも強い弾き出し。

だが、それはすぐに優しいメロディラインに変わった。


 素朴かつ単調なメロディの中に、作者の強い想いを感じる。日本の田舎の原風景が瞼に浮かび上がってくる。


 ……まてよ。

 私はこの曲を、どこかで聞いたことがなかったか。

 こんなに単調で素朴な旋律に、何故こんなにも心がざわつくのだろう。


 ふと、脳裏に若き日の自分が蘇った。

 躍起になって譜面に向かう私は、鬼のような形相で五線譜を睨みつけている。

 高い筆圧で何度も鉛筆の芯を折り、その度に頭を掻き毟る。


 ああ、バカだな、そんなふうにムキになって、良い曲など作れる筈もないのに。

 作曲とは、もっと心の波を凪いだようにして……





ダァァァァァンッ!!




 

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