3.社畜からの逃走 ≪前編≫

 とある月曜日の午前5時55分、JR新宿駅の東口の階段を上がった茂良野もらのけいは、閑散かんさんとした広場にたたずむ3人の友人を早々に発見した。

 上空は分厚い雲におおわれており、心なしか肌寒さを覚えていた。恵の足音に気付いた3人のうち、まず鳥井とりい千亜紀ちあきが振り返って恵に声を掛けた。



「遅かったなぁ恵! 待ち草臥くたびれたぜ!」


『いや6時には間に合ってるだろ…てかおまえら都内在住じゃねぇのになんでそんなに集合早いんだよ』


「俺は夜勤明けで、はるは近くのネカフェから、祐希ゆうきはカラオケオールからせ参じているが?」


『何なんだよその底知れないやる気と活力は…大体週明けからこんな時間に呼び出して、何があるっていうんだよ」


「俺も詳しくは知らねぇよ、春も祐希もキャンさんから個別に呼び出されたからな」



 そのとき、正面のビルに設置されている大型ビジョンが点灯し、奇抜な仮面をかぶった黒フードの人物がでかでかと映し出された。そして低くゆがまされたような加工音声が周囲一帯に響き渡った。



「ククク…全員そろったようだな。ではこれより、ゲームを始める」


『うわびっくりしたっ!? 急に何!?』



 ゲリライベントのような幕開けに恵は動揺して後退あとずさったが、一方で祐希はビジョンを指差しながら声を上げた。



「おいキャン! その前に朝っぱらから俺らを集めた理由を教えてもらおうか!!」


『やっぱりあれキャンさんなの!?』


「…違う、私はキャンなどという名前ではない。私は…その…えーと…ゲームマスターCだ」


『いや全然キャラ作れてねぇじゃねぇか!!』



 仮面越しにしどろもどろに言い返す黒フードの人物を、千亜紀は冷静に分析してつぶやいた。



「キャンさん俺と同じシフトで夜勤明けだから、多分頭回ってねぇんだろうな」


『そんな状態の人が指揮するゲームにこれから俺達巻き込まれるのかよ!?』



 すると黒フードの人物は咳払せきばらいを挟んで強引に威厳を取り戻すと、ルール説明を始めた。



「君達には1時間以内に、この新宿の街から脱出してもらう。どんな手段を使っても構わない、一歩でも街の外に出られればその者は勝利となる。ただし、途中に追跡者となる≪社畜≫に捕らえられたその瞬間、ゲームオーバーとなる」


『≪社畜≫って何!? リーマンと鬼ごっこしろってこと!?』


「そしてゲームオーバーとなった者は漏れなく……来週実施される某企業のインターンへキャンと共に参加してもらう」


『罰ゲームで就活させるつもりなのかよこの人!?』



 だがキャンと高校時代から付き合いのある祐希は、その心境を見透かしたように恵へ言い聞かせた。



「いや、あいつは単にひとりでインターンに参加するのが心細いだけなんだろうよ」


『そんな小心者なのにビジョンをジャックしちゃうほどのアクション起こしてんの!?』


「ナチュラルハイってやつだな」


益々ますます付き合わされるのが怖いんだけど!?』



「ご、御託ごたくはそこまでにしておけ。ゲームはたった今をもって開始される。君達に参加の拒否権はない…精々せいぜい≪社畜≫の恐怖から逃げおおせることだ」



 祐希や千亜紀が逐一ちくいち放つ指摘に嫌気が差したのか、黒フードの人物は駆け足で中継を打ち切った。


 すでにゲームは開始されたようだが、周囲は静まり返ったまま何も変化があるようには見えなかった。4人はぐに動き出すことなく、千亜紀だけが身体をほぐしながら気合を入れていた。



「なんだかよくわかんねぇけど、新宿の外に出ればいいんだよな!」


『まぁやるしかねぇみてぇだけどさ…ここからだと、やっぱ南に向かうのがいいのか?』



 ひとえに新宿と言われても定義として不十分であったが、少なくとも南口方面に進めば新宿という地名からも新宿区からも容易たやすく抜け出せることは明らかであり、それを踏まえると1時間という制限は明らかに過多であった。


 気怠けだるそうに恵は提案したが、そのかたわらで春は別のことに意識を削がれていた。



「キャンさん、就活生の身でありながら≪社畜≫を従えているなんて…一体どういうカラクリなんだ…?」


『今それ気にしても仕方なくね? 確かにこの早朝から働かされる人員は社畜と呼べなくもないかもしれねぇけどさ』


「でも≪社畜≫が何者かは、知っておいた方が良くない?」


『≪社畜≫ならリーマンの恰好かっこうしてんじゃねぇの? それなら移動しているうちにでも……』



 さっさと移動しようと歩き出した恵だったが、祐希が小さく口を開けて固まっていることに気付いて台詞せりふ途切とぎれれた。


 その視線の先を辿たどると、5,60mほど北西側の道路上に黒いもやまとった狼のようなシルエットが出現していた。

 炎のように揺らめく頭部には眼球のような2つの白いが光が浮かび、突き出た口元からは低いうなり声がこぼれていた。


 恵はその不気味な存在と視線を合わせてしまい、千亜紀も春も間もなくそれに気付いた。そして祐希の叫声きょうせい染みた掛け声によって濃縮した緊張が一気に放たれた。



「に…逃げろおおおおお!!!」



 弾かれたように駆け出した恵はただちにそのおぞまましい眼差しからのがれようと、数分前に上って来た駅構内の階段へと飛び込んだ。


 立て続けに背後から千亜紀と春が必死の形相ぎょうそうで転がり込んできたが、祐希だけは振り返ってもその姿がなかった。



『ま…まさか…!?』



「ぐあああああああああ!!」



 直後、地上で響き渡った祐希の悲鳴が階段下まで届き、恵はこの十数秒の間に何が起こったのかを察した。そのわずかな時間で心臓が早鐘はやがねのように打ち、飛び出しそうになるのを精一杯抑え込んでいた。



——嘘だろ!? あれが≪社畜≫…!? 畜生ちくしょうどころか化物ばけものじゃねぇか!? あんな奴から逃げなきゃならねぇってのかよ!?



 そのときスマホの着信音が沈黙に満ちた昇降スペースに反響し、息をひそめていた恵は殊更ことさらに動転しつつポケットからスマホを引っ張り出した。

 だが恵のそれには何も通知が届いておらず、一方の千亜紀と春は緊張に満ちた表情で各々おのおのの画面を見つめていた。



倉石くらいし祐希、確保…ってキャンさんからショートメールが」


『いやキャンさんの連絡先知らないと届かないのかよその通知!?』


「そんなことよりも恵、あの≪社畜≫は相当ヤバいぜ…とてもじゃないが見つかったら逃げ切れねぇよ」



 ゲームに参加する以上割と重要度の高いトラブルを流されてしまった恵だったが、実際それを気にする余裕は持ち得ていなかった。そんななか、春が鬼気迫ききせまった様子で語り出した。



「あの≪社畜≫と呼ばれた狼のような存在には心当たりがある…別名≪ワーカホリック・ケルベロス≫と呼ばれる気性の荒い怨念おんねんだ。働き過ぎて身体を壊したり精神が病んで自殺した人間のたましいが獣の形にちて、社会人を襲い心身共にむしばむという言わば≪社畜≫の成れの果て…みたいなものだよ」


こわっ!? キャンさん何てもん放ってんだよ!? しかも俺ら学生なのに襲われてるし!?』


「インターンに行くならそれはもう半分社会人みたいなものだろうしね」


『聞いてる限り捕まったらもうインターンどころじゃない予感がするんだが!?』



 そのかたわらでは、千亜紀もまた厳しい面持おももちでぽつりとうぶやいた。



「≪ワーカホリック・ケルベロス≫…略して≪ワロス≫だな…」


『笑えないから全然!! 本当にその通りの存在ならその略し方だけはしちゃいけないから!!』



 恵はかろうじて声量を抑えながらたしなめていたが、千亜紀は表情を変えることなく階段を下りきり、慎重に周囲を警戒した。



「とにかく、ここでじっとしているわけにはいかねぇ。キャンさんはどんな手段を使って脱出してもいいって言ってた…それなら早いとこ電車にでも乗っちまえばいいんじゃねぇか?」


『…まぁ確かに、このまま地上に戻ったらさっきの≪社畜≫がいるかもしれないからな…』



 気が進まないながらも恵は春と共に千亜紀の後を追い、無人に見える通路を恐る恐る横切ってJR東改札へと向かった。だが手前の壁に張り付いて様子をうかがっていた千亜紀は2人を制止した。



「駄目だな…1匹改札の奥に彷徨うろついてやがる。というかほとんど居座っていて動く気配がねぇ」


『どうすんだよ? 別の改札口を探すか? それとも、だ時間はあるから辛抱しんぼう強く待つか?』



 言葉にしながらもまるで正解のわからない選択肢に対し、春はスマホをいじりながら落ち着いて指摘した。



勿論もちろん動けば見つかるリスクは高まるけど、時間を掛けるのは得策じゃないね。≪社畜≫は現実に活動する社会人が増えればそれに比例して湧いてくるから」


『湧いてくるって…もしかして無制限にどこからでも増えるってことなのかよ!?』


「さっき恵が言った通り、このゲームは南に脱出するのが最も簡単だ。でも当然キャンさんも、それを読んで≪社畜≫を配置してるかもしれない。何なら普段人通りの多い場所自体が危険かもしれない。それならだ比較的人気ひとけの少ないところを狙って、かつ南以外に逃げる方が可能性はあるんじゃないかな」


成程なるほど一理あるな…そうなると、丸の内線か」



 春の推測と提案を、千亜紀はぐに呑み込んで賛同した。新宿を横断する丸の内線の駅までは、現在地から走れば1分もかからなかった。

 他方で更に地下にもぐることになるために逃げ道が狭まる懸念けねんがあったが、どの道≪社畜≫をける自信がなかった恵もその方針に異論はなかった。



『どうせならちょうど電車が来たタイミングで乗り込みたいな…春、時刻表はわかるか?』


「もう調べてある。次に来るのは6時9分だ」


「あとちょっとじゃねぇか…なら早いとこ動くぞ!!」



 再び千亜紀が先頭を切って走り出し、春と恵が並ぶようにして追った。



*****


果たして恵達は≪社畜≫から逃れて強制インターンを回避することが出来できるのか。残り3人。後編へ続く。

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