2.VRでインターン ≪前編≫

 私立希生きおい大学3年生の茂良野もらのけいは、きたる就職活動に戦々恐々としていた。


 だ本格的な時期は先であるとはいえ、3年生でもインターンなどいやが応でも関連した話題は耳に入って来る。

 だが恵はそれ以上に昨今さっこんのSNSによって、ブラック企業だの何だのと社会に出ること自体に悪いイメージを植え付けられ、ただならぬ不安をいだいていたのであった。


 とはいえいつまでも怖気おじけ付いているわけにもいかず、ある日訪れたのがキャンパス内のキャリア支援センターであった。



——なんでも最近、VRでインターンを体験出来できる学生向けサービスが開発されたらしい。詳しい中身はわからんが、流されるままに就職活動に入るよりは、こういうので一度社会人ってやつを味わった方がいいのかもしれないな。



 担当者に案内された個室に座って専用のVR機器を装着し、事前に受付した氏名と学籍番号に相違がないことを確認すると、恵の視界は穏やかなメロディと共に仮想のオフィスへと転換した。



 目の前の机にはパソコンや電話機が置かれており、周囲を見渡すとデスクワークに没頭している従業員が何十人と並んでいた。


 VR自体が恵にとってはまれな体験であり、その臨場感やクオリティには感心していた。だがその一方で、少しずつ疑問点も見つかっていた。



——そもそも俺は今、どういう職種の会社に勤めている設定なんだ? 何も選択した覚えがないんだが…?



 何かそれらしい情報がないか視線を巡らせていると、デスクトップ画面の右下の時計が18時59分を差していることに気付いた。よく見れば半透明な窓硝子がらすの向こうは真っ暗であった。



——おい待てよ、これもう終業時間に差し掛かってるんじゃねぇのか? この時間から一体何を体験するって言うんだよ?



「お~い茂良野君、ちょっといいか~?」



 不意に聞き慣れた声音が右耳に届き、恵は振り返った。するとそこには、スーツ姿の鳥井とりい千亜紀ちあきが立っていた。



『なっ!? 千亜紀!? おまえ何でここに…!?』



 思わず声を上げた恵だったが、その視界にはVRならではのテロップが音声付きで挿入された。



【彼は貴方あなたの上司である鳥井部長です。最近の趣味は自家製ハーブの栽培です】


『よりによって部長なのかよ!? てかその趣味の設定るのか!?』



 恵は顔をしかめながらも、先日VRインターンの話を友人である千亜紀本人から聞いた際、キャストモデルのバイトを受けたと自慢げに話していたことを思い出していた。

 ゆえに部長である千亜紀は再現映像しくは生成AIなのだが、場違いな恵の反応には何ら意に介すことなく、手に持っていた書類を押し付けながら話を進めた。



「悪いんだけどさ~急遽きゅうきょ今から明日のプレゼン資料作ってくれない? 俺ちょっとどうしても外せない仕事があってさぁ~」



 露骨にお道化どけた口調に早くも恵は苛立いらだったが、その指示内容には耳を疑った。


 直後、時計が19時を指して室内にチャイムが流れ、他の従業員はみな颯爽さっそうと席を立って退勤してしまった。

 容赦なく取り残される現状に恵は唖然あぜんとしながらも、なんとか気持ちを落ち着かせて鳥井に尋ねた。



『あの…もう定時なんですよね? 俺、残業しなきゃならないんですか?』


「頼むよ~君にしか出来できないことなんだよ~…あ、ちょっとごめん電話が…」


『その腹立つキャラ設定なんなんだよ』



 説明も半端なまま鳥井部長は恵に背を向け、実際に着信があったスマホに応答した。



「もしもしお疲れ様~。そうそう、今日とっておきのやつを持っていくからねぇ~代わりにあれをよろしく~。うんうん、お互い楽しもうねぇ~」


『電話の仕方気持ち悪っ!? てか絶対それ仕事じゃねぇだろ!?』



——何なんだよこの上司!? 部下に定時直前に仕事押し付けて自分は遊びに行こうって算段なのか!?



「諦めろよ茂良野。あの人はいつもあんな感じだろ」



 すると背後からまた聞き慣れた声を掛けられて振り向くと、スーツ姿の安室あむろはるが立っていた。再び登場人物を解説するテロップが挟まれる。



【彼は貴方あなたの同期である安室です。困ったときに助け合える甘党の同僚です】



 恵は友人である春が同じくモデルになっていたことに驚きながらも、気の知れた顔が同僚役として並んでくれることは心強く思えた。

 一方の安室は、いつにも増してダウナーな雰囲気で恵に語り掛けた。



「優秀な人は1人また1人と転職しちゃって、特に能力もなく惰性だせいで残った人がエスカレーター式に昇給した結果、無能で理不尽な上司がのさばる組織が出来上できあがる…この会社はその典型だって昨日散々愚痴ぐちり合ったじゃないか」


滅茶苦茶めちゃくちゃ暗いこと共有してる設定になってる!?』


「あんなヘラヘラした会社の穀潰ごくつぶしに真面目に付き合う価値なんて皆無かいむだよ、適当に終わらせてさっさと帰りな」


『言い回しが辛辣しんらつ過ぎるだろ!? …って、おまえは帰っちゃうのか? 手伝うために残ってくれたんじゃないのか?』


「は? 残業の片棒なんて担がないよ? 僕は社畜にちて人間としての尊厳を失いたくなんてないからね?」


『怖っ!? 困ったときに助け合える同僚の設定どこ行ったんだよ!?』



 狂気みた眼差まなざしで協力を拒絶する安室を前に、恵はすっかりたじろいでいた。

 今の自分よりも遥かに社会へ嫌悪けんお忌避きひいだいているように感じられて、キャリア支援センターが作る台本に強烈な違和感を覚え始めていた。


 だがそうしている間にも恵の背後には通話を終えた鳥井部長が迫り、安室との間に割って入った。



「え~連れないな~安室君も手伝っていきなよ~。みんなで力を合わせれば、何事も早く終わるんだぞ~」


『自分のこと棚に上げすぎだろこの部長』



 鳥井部長の台詞せりふは無駄なジェスチャーも相まって余計に腹立たしかったが、他方の安室は汚物を見るような視線で応戦していた。



「笑わせないでくださいよ。どうせ残業代なんて出さないくせに」


『えっ!? それはもう流石さすがにアウトじゃねぇのか!?』



 また1つ明かされたブラックな設定に恵は動揺を隠せなかったが、鳥井部長は安室の肩に腕を回しながら会話を続けていた。



「そ、そんなこと言うなよ安室く~ん。今度甘いもの御馳走ごちそうしてあげるからさぁ~」


「馬鹿言わないでください、そんな甘い話に乗るわけないじゃないですか」


「表参道で売ってる1日限定10個の高級ミルフィーユ買ってきちゃうけどな~。今夜頑張ってくれたら俺が明日の早朝から並んで買ってきちゃうけどな~」


『この部長、り気なく明日の仕事もサボろうとしてねぇか?』



 嫌らしさ全開で春に詰め寄る鳥井部長を傍目はために、恵はぽつりと指摘した。すると安室が鳥井部長の腕を突っねて、わずらわしそうに言い放った。



「し、仕方ないですね…今回だけですからね!!」


『いや言動の不一致はなはだしいな!? 何だったんだよさっきまでの罵詈雑言ばりぞうごんは!?』



 2人のろくでもない関係性を見せつけられたそのとき、恵の机にある電話機に着信が入った。

 

 3人しか残っていないオフィスに反響する無機質なコール音に恵は驚いて飛び上がりかけたが、その勢いのまま反射的に受話器を取った。



『はいっ! えーっと…』



 恵は電話に出てから、いまだにこの会社の社名すらわからず応答が出来できないことに気付いた。だが慌てふためく間もなくその通話はぐに切られてしまい、耳に入って来たのは単調な音の連続でしかなかった。



『…何だったんだ? 今のは…』


「あ、やべっ。定時超えたのに留守電設定してないじゃん」



 受話器を戻した恵の背後で鳥井部長があせったようにつぶやき、電話機を操作しようと恵と入れ替わるように前に出た。


 それとタイミングを同じくして、オフィスの外から何かのサイレンが聞こえてきた。そのうなりは急速に近付き、あろうことか壁一面に張られた窓硝子がらすを突き破って侵入してきた。



『!!?』



 けたたましい破砕音が室内に響き渡るとともに、机やパソコンの配列がその地点から波状に崩壊した。

 想像だにしない衝撃に恵は動転したが、突っ込んできたのが赤色灯せきしょくとうを光らせるパトカーであったことに更に驚愕きょうがくした。



——いやどうなってんだよこの展開!? 仮想世界だからって演出が過ぎるだろ!?



 息を呑んでわなないていると、エアバッグが開いた運転席から警察が——警察官の恰好かっこうをした倉石くらいし祐希ゆうきが、散乱した硝子がらすを踏み荒らしながら現れた。



「はいはい、こんばんはー残業警察でーす」


『残業警察!?』



 警察手帳をかざす祐希の胸元に、再び人物紹介のテロップが表示される。



【彼は希生町きおいちょうの警察官を務める倉石です。得意な捜査は家宅捜索です】


『いやだから何でインターンで警察沙汰ざたを体験しなきゃならねぇんだよ!?』



*****


インターン先で警察に押し掛けられた恵の運命や如何いかに!? 後編へ続く。

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