第5話
崩れた祠の周辺は異様な雰囲気だった。草一本も生えず、生き物の気配すらない。何よりラナの肩に乗っているスートがずっと震えている。
目の前の真っ黒な口を開けた洞窟から、寒々しい風が吹いてくる。
「お前はお逃げ」
ラナはスートを空に放した。そしてリカルドに顔を向ける。
「あなたも、戻ったほうがいいわ」
「俺も行くと言ったはずだ」
リカルドは松明に火をつけた。
「死ぬかもしれないわよ」
「俺は勇者を見送るたび、ずっと後悔していた。誰かを犠牲にして生きるより、戦って死んだほうがいい」
「あなたが死ねば、民が困るのよ」
「俺がいなくなっても、彼らは今まで通り、逞しく生きていく」
リカルドは言い、ラナに目を向けた。
「それより、君こそ大丈夫か?」
「何が」
「もしかしたら、君の兄さんの、その……」
「ヨハンは今も戦ってる。私にはわかる」
ラナはリカルドから松明を奪い取る。
「助けに行くのよ、ヨハンを」
真っ暗な洞窟の中に、ラナは一歩足を踏み入れた。
ラナは洞窟内を照らしながら注意深く進む。リカルドはその隣で、弓に矢をつがえ歩く。
次第に辺りが氷で覆われてきた。そして時折奥から、鳥の羽ばたくような音が聞こえてくる。ラナは、ヨハンの名を唱え、恐怖を押し殺た。
しばらくすると淡い光が見えた。意を決して中に入るとラナは息をのんだ。氷柱が何本も立ち、天井も床も全て氷で覆われている。まるで氷の宮殿だ。
「私はこっちを探すわ」
「おい。一人で行ったら危な、うわ」
リカルドは足を滑らせたが、ラナは悠々と歩く。
ここにヨハンがいる。ラナは確信した。白い息を吐き、くまなく松明で照らす。
その時、氷の床に見慣れた布袋を見つけた。
ふとラナは、目の前の氷柱を見上げる。中に人かいる。だらりと下ろした左手には盾が握られ、右腕が無いかった。顔はよく見えない。しかし、ラナはわかった。
「ヨハン!」
その時、頭上に気配を感じ、とっさに魔法で壁を作る。直後、ズシンという音と衝撃が響く。見上げると、人一人軽々掴めそうなほど大きいかぎ爪が見えた。下半身は白く大きな翼を広げた鳥だが、上半身は女性肉体を持った化物だった。その女は、もぎ取ったような人の腕を持っていた。
「うわあああ!」
ラナは怒りで叫んだ。
「大丈夫か!」
リカルドの声がし、矢が化物の頬を掠めた。女は矢が飛んできた方に顔を向ける。そして持っていた腕を捨て、新たな獲物へと飛んでいった。
「逃げて!」
ラナは叫ぶ。咄嗟に氷の床に捨てられた腕を拾った。肉塊となり果てた自分の片割れに向かって言う。
「一緒に戦って、ヨハン」
ラナは大きく息を吸い、大声で叫ぶ。
「化け物め! あんたの食料がどうなってもいいの?」
氷の世界にラナの声が響く。
怪鳥がラナに体を向け、空中で翼を高速で羽ばたかせだした。するとブリザードのような激しい風と雪がラナに向かって降り注ぐ。ラナはまた壁を作り耐えた。
「その程度じゃ私は倒せないわよ!」
ラナは大声で挑発する。しかし本当は余裕などない。次第にシールドにひびが入る。
魔物は一旦、攻撃を止める。そして、高く舞い上がったかと思うと急降下し、鋭い鉤爪をラナの壁に突き立てた。
「くっ」
ラナは耐える。しかし、壁は割れた。そしてラナの左腕に鋭い爪が食い込み、地面に抑えつけられる。
女はにたりと笑い、ヨハンの腕を取り戻すと、ラナを挑発するように食いちぎる。
「馬鹿め」
ラナは激痛をこらえながら笑った。
すると、ヨハンの片腕は蛇のようにのた打ち、化け物の首に絡みつく。
「その腕に呪いをかけた。ヨハンの肉体を冒涜したものに大いなる災いあれ、とね!」
化け物は怒りの表情で、ラナを踏みつぶそうと足を上げる。その時、矢が飛んできて、鳥の胴体に刺さった。
首に巻きつく腕に苦しみながら、化け物はラナを解放し空中へと舞い上がる。
「大丈夫か!」
リカルドがラナのもとへ滑り込んだ。
「早く矢を打って! 私がシールドを張って守る!」
「無理するな!」
「今、無理しないでどうするの。あいつを倒すの」
左手をかばいながら、ラナは立ち上がる。
リカルドが頷き、矢を放つ。今度は羽根に刺さった。魔物は矢を引き抜こうとするかのように、翼を何度も翻しブリザードを起こす。
「くっ」
ラナはシールドを張り攻撃を防いだ。
突然、風雪がやむ。見上げると、魔物は首に巻き付いた腕を必死に剥がそうとしている。その隙にリカルドは何度も矢を放ち、腹に、翼に命中させた。
化鳥は苦しげな顔で、またブリザードを起こす。しかしその威力は前より衰えている。ラナは攻撃に耐えた。
「くそっ、もう矢が無い」
リカルドは舌打ちし長剣を抜く。
「あいつが弱って、地面に降りてくるのを待つしかない」
「私もそろそろ限界よ」
威力は衰えてはいるものの、化鳥はまだ倒れる気配は無い。ラナは言った。
「その剣をあの魔物に投げて」
「何を言ってる!」
吹雪がまた収まり、化け物の姿が見える。
「投げて! 私が何とかする」
リカルドは一瞬躊躇したが、化鳥に向かって剣を投げる。ラナはその直前、剣に魔法をかけた。剣はブーメランのように回りながら魔物の顔へと飛んでいく。しかし、すんでのところで避けられてしまった。
「ヨハン!」
ラナが叫ぶ。同時に魔物の首に巻きついていたヨハンの腕が解けた。そして落ちようとする剣の持ち手を握る。
「とどめを!」
ラナは力のかぎり杖を振った。それに呼応するかのように、ヨハンの右腕は鞭のようにしなり、魔物めがけて剣を振る。次の瞬間、化け物の首が吹っ飛び、夥しい鮮血が上がった。
「やった……」
ラナは呟く。
化鳥の胴体と頭、そしてヨハンの片腕が浮力をなくし地面に落ちる。
「まさか」
リカルドが唖然としながら、魔物に近寄る。その体はピクリとも動かない。女の顔は両目を見開き憤怒の表情を浮かべていた。
「ヨ、ハン」
ラナは重い体を引きずりながら近づいた。ヨハンの片腕もまた、動かない。
「君はシレジアを救った。礼を言う」
リカルドはヨハンの腕にむかって頭を垂れた。その時、背後で次々と氷の塊が落ち、地面が揺れる。
「ここは危ない。逃げるぞ!」
「貴方だけ逃げ、て」
ラナはその場に倒れ込む。意識が薄れゆく中、ヨハンの片腕に右手を伸ばした。
「一人に、させない……」
そしてラナは意識を失った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます