第3話
ラナが将軍を訪ねてから、一月が過ぎた頃。
『ラナへ。あともう少しでシレジア領に着きそうだ。逃げた家畜探しを手伝わされたり、行商人の護送を頼まれたり、色々大変だったぜ。それにしても、シレジアに近づく程、寂れた村が多い。クッキーをもっと作ってくれ。村人達にも食べさせてやりたいんだ。頼んだぞ。ヨハン』
ヨハンの手紙を読み、ラナは焦る。
「もうすぐヨハンが着いてしまうわ」
スートは我関せずとクッキーを貪る。
「魔物どころか、シレジアの現状についても、なにも情報がない。誰かが故意に隠してる」
ラナは暫し考えた。
「いいえ、今は考えるより、もっとクッキーを作らなきゃ」
スートがギャアと喚いた。
「荷物が重くなるのは嫌ですって? ちょっとぐらい我慢しなさい」
ラナは不安を追い払うため、無我夢中でクッキーを作った。
次第にラナは自室に籠もりがちになる。そして宮廷からの再三の要請に対しても、病気を理由に断る日々が続いた。
そしてある夜。ラナは宮廷内の一室に呼び出された。
「お呼びですか、ワシリー卿」
魔術書がずらりと並ぶ本棚を背にして座っている白髪の男に、ラナは言った。
「理由は分かっているだろう」
「いいえ」
老魔術士は机を叩く。
「お前は宮廷からの要請を無視したのだ。陛下は大変お怒りだ!」
しかしラナは悪びれない。
「質の悪い風邪を引いたものですから」
「見え透いた嘘を言うな。お前の行動は把握している。例の魔物について調べているらしいな」
「興味がわいたので」
「だが成果はなかったのだろう?」
ワシリーはにやりと笑う。
「この件は忘れよ」
「討伐に向かっているのですよ。貴方の息子ヨハンが」
「あんなもの、息子でもなんでもない!」
ワシリーは何度も強く机を叩く。その怒りに満ちた目は、ヨハンそっくりだった。
こんな男が私達の父親だとは。
母は王家の女官だった。ワシリーの子を孕むと、実家に戻され双子を産んだ。周囲から白い目で見られながらも、愛情深く子供達を育てた。そして、子供達が十四歳になった時、あっけなく病気で死んだ。
『ヨハンを守ってあげて』
と、ラナに言い残して。生きている間に、ワシリーが訪ねて来たことは一度もなかった。
母は父とヨハンの確執を予見していたのだろう。
ワシリーは呻く。
「あいつは魔力が無い上に、わざわざ引き取ってやった恩を忘れ、反抗ばかりしおった!」
確かに引き取ってくれた。召使いとして。
ヨハンは今までの恨みを晴らすかのように、家中で喧嘩や盗みを繰り返し、そして十六歳の時、とうとう軍に放り込まれた。
「だがお前は違う。桁外れの魔力の持ち主だ」
ラナの心はズキリと痛む。
魔力のない兄と、有り余るほどの魔力を持つ妹。ヨハンに魔力が無いのは、自分のせいではないか、と考えぬ日はなかった。
「だからお前を宮廷魔術士にしてやった。その恩を忘れたか?」
ラナは何も言わない。
「今宵、陛下の夜伽相手を勤めよ。それで許してやる」
「お断りします」
ラナは静かに言った。
「では支配するまで」
ワシリーが素早く杖を振ると閃光が走った。ラナの体が硬直し倒れ込む。老魔術士がラナに近づく。ラナはもがこうとするが指一本動かせない。
「あの男の記憶を消してやろう」
ラナの頭にワシリーが杖を突き付ける。ラナの頭に激痛が走った。ヨハンの記憶が強引に剥がされるのを、ラナは必死に抵抗する。
「あれはもうすぐ死ぬ。お前も楽になれ」
「ふ、ざ……けるな!」
ラナが言葉を絞り出す。突然窓ガラスが割れ、黒い塊が飛び込んだ。
「な、なに!」
ワシリーは動転しラナの頭から一瞬杖を離す。身体の硬直が解けたラナは杖を振り、光の縄を出現させ、ワシリーの足先から頭の先まで縛り上げた。
「ありがとうスート。もういいわ」
ラナは、何度もワシリーを篭で叩くスートをなだめた。そして、倒れている男の頭に杖をあて記憶を読んだ。
「やはりお前だったのね。将軍の記憶を消したのは。その上、ヨハンを勇者に推薦したなんて」
ラナは杖を持つ手に魔力を込める。
「そんなに憎いなら消してあげる。私とヨハンの記憶を。でも初めて使う術だから、失敗して、全ての記憶が無くなるかもしれないけど」
ラナがにやりと笑い呪文を唱えると、ワシリーは激しく体を痙攣させる。その時、ドアをノックする音が響いた。
「ワシリー卿、陛下がお呼びです」
「スート、私をヨハンのところに案内して」
ラナはスートと共に窓から逃亡した。
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