第2章第17話「生まれも育ちも違うけれど」

「私のお母さんはね、高校1年生の時に病気で死んじゃったんだ。趣味でヴァイオリンをやっててさ、だから家にはずっとヴァイオリンの音色が響いてた。今思うと、大して上手くはなかったんだけどね」


 ふふと小さく笑って東宮さんはそう言った。趣味だろうとやるからにはちゃんと自分の楽器を買いたくて、東宮さんのお母さんは地元の楽器屋さんで1番安く手に入るヴァイオリンを購入したのだそうだ。


「私もお父さんも、後お兄ちゃんがいるんだけどみんなお母さんのヴァイオリンを聞くのが好きだった。お母さんが、病気になって入院してからヴァイオリンが聞こえなくなった家はすごく寂しかったなぁ。だけどね、ある時お母さんが私にヴァイオリンをあげるからやってみないかって誘ってきたの。お父さんもお兄ちゃんも音楽に疎くてね、私が唯一合唱部で少しだけ音楽に関わっていたから私ならやってくれるかもって思ったみたい」

「へぇ、東宮さんって元々合唱部だったんだ?」

「うん。だから、フォーレの合唱曲が好きなんだよね。お母さんがよく弾いてたのもあるかな。上手くないのにさすごい、楽しそうに弾いてるの。私は、その頃合唱部で上手く行っていなくて全然楽しく歌えていなかったからお母さんが羨ましかった」

「それは、羨ましいな」


 ただ、純粋に楽しく弾けるというのはとても羨ましい。成績が関わっているとなれば、楽しく弾くだけではどうしたっていられないから。だから、俺もただ楽しく弾きたいから音楽バーのバイトをしているのだ。


「でしょ? だから、当時の私は息抜きのつもりでヴァイオリンを始めてみたんだ。そしたらすっごく楽しくてね、どんどん弾けるようになった。お母さんに聞かせたくて、録音して病室に持って行ったりしてね。すごく喜んでくれた」


 東宮さんにとって、ヴァイオリンは息抜きのつもりだったのに、だんだんとヴァイオリンの方が本格的に好きになっていったそうだ。


「高1の夏にお母さんに〝私のヴァイオリンを生で聞くまで死なないでよ〟って約束したのにさ、あっけなくお母さんは死んじゃった。お母さんが死んじゃってからお父さんは寂しさをお酒でごまかすようになって、お兄ちゃんは引きこもりになっちゃったんだ。今はもうちゃんと生活出来てるけどね。2人が暗くなっちゃって私は家にいたくなくて、ヴァイオリン教室に通い始めた。ヴァイオリンに没頭している時が1番気持ちよくて、練習すればするほどどんどん上達していってね……。お母さんの1周忌の時に2人の前でヴァイオリンコンサートを開いてあげたんだ」


 そのコンサートは大成功だったと東宮さんは言った。暗く沈んでいた家族が、東宮さんのヴァイオリンの音色で明るさを取り戻した。


「お父さんってすごく大げさな人でさ、舞はヴァイオリンの才能がある! だから、もっと高みを目指すべきだ!って言ってくれて……。音楽大学を目指したらどうかって言ってくれたんだよ」

「良い、お父さんだな」


 とても羨ましい、と思った。俺は反対されてそれを押し切って何とか学費と音楽に関する費用は全て自分で払うことを条件で、受験させてもらったから。親に俺のチェロを聞かせたことだってない。


「うん。でも、もしかしてお父さんは音楽大学が普通よりお金かかることを知らないんじゃないかって思って、ちゃんと説明したけど全部知っている上で提案してくれてたの。だから、私は嬉しくてヴァイオリンに全力を注ぐことを決めたんだ」


 普通の音楽大学ではなく、美術学部もあるこの上野芸術大学にしたのはフォーレを研究している先生がこの学校にいたから、だそうだ。東宮さんは、必死に努力をして高2から高3の時間は全てヴァイオリンに使い、見事合格した。


「合格したよって伝えたらすごく喜んでくれたなぁ。東宮家から音楽家が生まれた! ってまた大げさに喜んで、ご近所中に自慢して回ってさ。恥ずかしかったけど、嬉しかった。実家はさ、千葉の端っこの方だったからそこから通うのは厳しくて、寮に入れさせてもらったんだ。私がいなくなるの、2人はすごく寂しそうにしてた。だから、時々二人にヴァイオリンを聞かせてあげる為に実家に帰ってるんだ」


 これが私の今までの話、と言って言葉を結んだ。いつも明るくて、優しい東宮さんにこんな寂しい過去があったなんて思いもしなかった。俺は、何て返したら良いか悩みしばらく沈黙が続いてしまった。


「暗い空気が嫌いな癖に、自分で暗い空気にしててほんと矛盾してるよね。20日さえ過ぎてくれれば少し落ち着くから、もう少し待ってくれないかな。オーディションは10月23日でしょ。2日で取り戻すからさ」


 そう言って笑った東宮さんの笑顔は無理をしている顔だった。そんな表情をさせたいわけではない。


「オーディションなんて今はどうでも良くて……。俺は、東宮さんが寂しい想いをしているのに一人でいようとしているのが嫌なんだ。一人のが楽っていうなら良いんだけどさ、そうじゃないだろ?」

「……沢渡くんはすごいね。うん、本当は一人でいたくない。でも、みんなに嫌な思いはさせたくないし」

「嫌な思いなんてしないよ。みんなさ、東宮さんの気持ちは理解してくれると思う」


 俺たちは生まれも育ちもばらばらで性格だって全然違うけれど、〝寂しさと孤独〟を抱いていたことがある。中園さんは、その性格故に一人ぼっちになった経験があり、今もずっと一人ぼっちになってしまうかもしれない怖さを抱き続けている。真柴さんは、音楽一家のお金持ちという家ならではのプレッシャーを抱えていたし、奏良は両親が家にいなくて一人で小さな弟妹たちの面倒を見て自分の時間を犠牲にしていた。

 俺は、誰にもまだ話せていないけれど両親に応援されず一人きりで音楽を頑張っている。


「そうだ、気分転換にさいつもと違う場所で一緒に練習してみないか?」


 このままだと東宮さんは一人で帰ってしまいそうだったから、俺はそう声をかけていた。


「いつもと違う場所?」

「うん。俺のお気に入りの場所があるんだ」

「行って良いの?」

「是非、来て欲しい」

「ありがとう。行ってみたいな」


 東宮さんはそう言って今日初めて、自然な笑顔を見せてくれた。

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