第2章第16話「寂しい、という気持ち」

「心配だから俺、ちょっと見て来るよ」


 さすがにこのまま放っておくことなどできない。東宮さんは大事なアマービレの仲間だ。もちろん中園さんも。誰一人として欠けたらダメだと俺は思っている。


「……ごめん、さすがに言い過ぎたかも」


 中園さんは、居心地が悪そうな顔をしてそう言った。


「東宮さんが戻ってきたら仲直りして欲しいな」

「うん」

「三笠先生、レッスン中断させてしまってすみません」

「いや、構わないよ。そしたら残りの時間は真柴、中園、城ケ崎で出来ることをしているから、沢渡は東宮のこと頼んだぞ」

「はい」


 俺はそう返事をして、東宮さんを探しにレッスン室を出た。一応メッセージは入れたけれど当然、既読はつかない。この広い大学の中を探し回るのはなかなか大変だ。そもそも、大学内にいるとも限らないし……。


「うーん、どこ行ったかなぁ」


 俺だったらこういう時、どこへ行くだろうかと一度考えてみることにした。喧嘩なんてしたことがないけれど、もし奏良と喧嘩してその場にいたくなくなったら……たぶん、家には帰らないと思う。大学から離れた所にも行かないだろう。だけど、レッスン室の近くにはいたくないだろうし、静かな所へ行きたいと思うはずだ。


「あ……!」


 1つ、思い当たる所を思い出した。大学構内からは出ているけれど、さほど離れていなくて一人で落ち着ける場所――旧楽奏堂だ。ここは、決まった曜日にコンサートを開いているけれど、何もない時は資料館となっていて芸大生は誰でも自由に入れるようになっていた。大学構内にある楽奏堂に比べるととてもこぢんまりとしていて、時代を感じる建物の空気がとても心地が良いのだ。俺も時々一人になりたい時に行っていた。そういえば、3年生になってからは行っていなかった。そこにいるとは限らないが、たぶんいるような気がした。東宮さんは少し俺と似た雰囲気を感じるから……。


 俺は、音楽棟の校舎を出て公園の方へと歩いた。旧楽奏堂の周辺にはほとんど人はいなくて、静かな空気が流れていた。受付の人に学生証を見せて、中へと踏み入れた。古い建物、独特の香りが漂っていて心がほっとした。1Fがコンサートホールになっていてコンサートがない日は、学生たちの憩いの場となっている。コンサートホールは大学構内にあるのと比べるとそれほど広くはない。


「やっぱり、いた」


 俺の思っていた通り、東宮さんは旧楽奏堂のコンサートホールの椅子に座ってぼんやりと正面のパイプオルガンを眺めていた。その手には、ヴァイオリンがあった。東宮さんが、とても大事にしているヴァイオリン。東宮さんはまだ他人が入って来たことに気が付いていないようで、こちらを振り向かない。俺は、ゆっくりと東宮さんが座っている方へと近づいた。


「……東宮さん」


 そう俺が静かに声をかけると、東宮さんはビクッと肩を揺らしてこちらを振り向いた。


「沢渡くん……どうして?」

「心配で探しちゃった。たぶん、ここかなって思って。隣座って良い?」

「……うん」


 小さく東宮さんは頷いた。それから少しの沈黙の後、先に声を発したのは東宮さんだった。


「ごめんね。空気壊しちゃって」


 震えた声で東宮さんはそう言った。

 

「ううん。大丈夫だけど、あんな東宮さん見たの初めてだったから」

「……このヴァイオリンねお母さんの形見なの」

「え……」


 唐突にそう告げられた言葉に俺は、良い返事が出来ず情けない声が出てしまった。実家が千葉だということしか聞いていなかったけど、まさかお母さんが亡くなっていたとは想像もしなかった。


「10月20日がねお母さんの命日なんだ。だから、最近練習に身が入らなくて……ごめんね」

「そう、だったんだな。それは、値段なんて関係ないな」


 きっと、中園さんも東宮さんの事情を知っていたらあんなことは言わなかっただろう。そこまでひどい人ではない、と分かっている。

 

「うん……でも、詩織ちゃんには言っても分からない気がして。怒鳴っちゃった」

「そんなことないと思うけどな。中園さん、話せば分かる人だよ」

「そうかなぁ。だってさ、詩織ちゃんはお金持ちで両親に甘やかされて育ったお嬢様じゃない? お母さんを失った孤独は分からないと思う」

「それは、確かにそうかもだけど、寂しいって気持ちは分かるんじゃないかな。中園さん、学内で一人ぼっちだった時があるって言ってただろ?」

「そう、だけど……」


 友達がいない一人ぼっちの孤独と、お母さんを失った孤独を比べるのは違うのかもしれないけど、根本的な気持ちは同じなのではないだろうか、と思うのだ。そして、その寂しさは誰かに話すことで、少し和らぐのではないか、とも思っている。中園さんの時もそうだったから。だから、俺は東宮さんに伝えてみた。

 

「良かったらさ、お母さんの話聞かせてよ。話すことで気持ちが落ち着くかもしれないじゃん?」


 どうせ話したって分からない、とか話したって意味がないとか、そういう気持ちはもったいないと思う。せっかくすぐ傍に話せる人がいるのだから、話すだけ価値はあるはずだ。東宮さんは少し考えてから「……うん」と返事をしてお母さんの話しを聞かせてくれた。

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