第2章第15話「久しぶりの喧嘩」
時間はあっという間に過ぎて行き、9月最終週に入った。10月の中旬には弦楽学内演奏会がある。これは、後期試験にも関わってくる演奏会だ。だから、学園祭の時みたいにとにかく楽しく弾こう! みたいな感じでは挑めない。
今日は、楽曲をどうするか話し合う日だった。楽曲は、2曲に減る。1番練習をしているドヴォルザークは今回も入れることになっている。この演奏会が、本番と同じ場所で弾ける最後のチャンスだからだ。
「2曲目は新しい曲にするのも良いみたいだけどどうしようか?」
真柴さんのその問いかけにはい! と東宮さんが素早く手を挙げた。
「10月はどうしてもフォーレを弾きたいっ」
そう必死に訴えてきた東宮さんの表情に驚いた。
「完成度も1番低いしどうかな?」
「確かに、1番難しい曲よね。学園祭の時のは100%じゃなかった。私もフォーレが良いと思う」
「うん、あたしも良いわよ」
「奏良は? この演奏会が最後に弾けるチャンスだけど……」
年内、学内での演奏会は弦楽学内演奏会が最後だ。11月のオーディションは1曲ドヴォルザークだけなので、奏良が好きな曲は今回弾けなければ後弾けるのは、クリスマスコンサートの時か来年、オーディションに選ばれた後に参加できるコンサートまでお預けとなる。
「良いよ。俺は、学園祭の時に思いっきり楽しく弾けたから!」
奏良は、いっさい迷いのない表情でそう伝えた。
「そっか。奏良が良いなら、練習量足りてないのは確かだし良いと思う。学園祭の時よりも良い音楽を届けよう」
何だか、自分がこんな熱い言葉を投げかける時がくるなんて思いもしなかった。ちょっと恥ずかしい。だけど、気持ちは本物だから。
それからは、ひたすらにグループレッスンの時はこの2曲を練習した。俺たちは、ずっと順調だった。俺が嫌いな音楽で争い事が起きる、ということも最初の1回以来起きていない。何て、平和で良いグループだろうか。
そんな風にして9月は終わって良き、10月に入り1週目が過ぎた。
最近、東宮さんの様子がおかしい。おかしい、というと語弊があるかもしれないがどことなく元気がないように見える。練習終わりも誰とも会話をせずに楽器を片付けて静かに帰って行くし……。元々、騒がしい人ではないけれど、それなりに明るいと感じる人だったから、こんなにも静かだと気になってしまう。それは、どうやらみんなも同じ気持ちみたいだった。
「ねぇ、沢渡くん」
「ん?」
「沢渡くんさ、舞ちゃんと同じ寮暮らしでしょ? 何かあったのかそれとなく聞けそうな時に聞いてみてよ。同性の私たちよりも異性の方が話しやすい時もあるかもしれないし」
真柴さんのそのお願いに、分かったと頷いた。頼まれずとも機会があれば聞いてみるつもりではあった。
そんな会話をしてから数日間、やっぱり東宮さんの調子が良くないように感じるのが多くなった。心、ここに非ずといった感じで……演奏会まで後2週間といった頃、久しぶりに騒動が起きてしまった。
フォーレの通し練習をしている時に、普段ミスが起こらないようなところで東宮さんがミスを犯してしまった。それに、中園さんがとうとうキレてしまったのだ。
「舞さー最近、練習に身が入ってなくない? 成績に関わる演奏会だってこと分かってる?」
「……分かってるよ」
「じゃあ、さっきのミスは何?? あんなところでミスするなんてありえないよ?」
「ごめん……」
東宮さんは、突っかかることなく素直に謝っているのに、中園さんは日頃の鬱憤が溜まっていたのか、どんどんヒートアップしてきてしまっていた。
「良い機会だから言っちゃうんだけどさー舞のヴァイオリン1番安いものでしょ? そんなの使ってるからダメなのよ!」
中園さんの声は、しんと静まり返っているレッスン室によく響いた。三笠先生は相変わらず争いごとには口出しをしてこないで見守っている。俺と奏良と真柴さんは、どうしよう……と顔を見合わせた。
「うるさいよ! 値段何て関係ないの! 私にとってはこのヴァイオリンが1番なんだから!」
東宮さんは、今まで聞いたことのないくらい大きな声でそう叫んだ。
「おい、ちょっと2人とも落ち着けって……」
見かねた奏良が2人を落ち着かせようと優しく声をかけるが、まるで効き目がない。
「1番なはずないわよ! 楽器は高ければ高いほど良い音が出るの! そんな安いヴァイオリン使っている人と一緒に弾きたくない!」
「奇遇ね。私も、楽器の価値を値段で決めるような人と弾きたくないよ」
東宮さんはそう言うと楽器を片付け始めてしまった。
「ちょ、ちょっと東宮さん?」
「ごめんね、沢渡くん。私、もう限界かも……」
「待ってよ! 今、舞ちゃんに抜けられたら困るよ」
「大丈夫よ。私の分も中園さんがより良く弾いてくれるだろうから。じゃあね」
今まで詩織ちゃん、と呼んでいたのにその時だけはさんづけで冷たい声色だった。こんな怖い東宮さんは初めて見た。俺たちは何もできず、ただレッスン室を出て行く東宮さんを黙って見ていることしか出来なかった。
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