第2章第14話「楽しい時間」

 人前で弾くのなんて音楽バーで慣れているはずなのにまるで初めてステージに立つかのように緊張していた。しんと静まり返った楽奏堂には、俺たちの足音がやけに大きく聞こえた。ドクドクと鳴り響く心臓を抑えたくて俺は、みんなの顔を見た。

 真柴さんは、ピアノの前で凛と構えていて、中園さんは自信ありげな表情で堂々としている。東宮さんは、少し緊張しているようだ。奏良は、じっと楽譜を見つめている。今日は、三笠先生はいなくて自分たちだけで進める形となっている。真柴さんと目があった。1曲目はドヴォルザークで真柴さんと俺のデユオから始まるから、俺たちが先導を切らないといけない。


〝大丈夫?〟と声には出ていないけど、そんな言葉が真柴さんの表情から読み取れた。俺はしっかりと頷いた。大丈夫。この仲間たちとなら、何も怖いことなんてない。もう一度大丈夫、と頷けば真柴さんはゆっくりとピアノを奏で始めた。あぁ、やっぱりすごく綺麗な音だ。良い音響のホールで聞くとその良さが際立つ。俺も、ひとまず入りは上手く行った。みんなもスムーズに入ってきて、曲はどんどんと盛り上がっていく。

 何度弾いても楽しい。飽きるなんてことはなくて、弾けば弾くほど良さが増していく。昨日の最後の合奏よりも断然良い音楽を奏でられていると思う。楽しい、気持ちが良い。真柴さんのピアノも中園さんと東宮さんのヴァイオリンも、奏良のヴィオラもずっと聞いていたいと思うくらい良い音だ。俺の音はどんな風に聞こえているだろうか。ちゃんと、お客さんに届いているだろうか。


 弾いている最中にお客さんの顔を見る余裕はないから、どんな顔でお客さんが俺たちの音楽を聞いているのかは分からない。それが少し怖い。だけど、俺は今ここで音楽を奏でていて楽しいと思えているから、ひとまずはそれで良いのではないか、と思う。


 1曲目が無事に終わり、2曲目はシューマン。奏良が好きな曲だ。明るい曲ではないけれど、奏良のヴィオラの音からはこの曲が好きで好きでたまらないんだ、という感情が乗って聞こえた。練習時間はドヴォルザークに比べれば少なかったけれど、それでも充分良い音楽になっていると思った。そして、最後は東宮さんが好きなフォーレ。フォーレは合唱曲が多いそうで、今まで俺は弾いたことがない作曲家だった。独特なメロディで最初は取っつきにくいけど、どんどんと癖になっていく。そんな印象だ。

 個人的に今回の演奏曲の中ではフォーレが1番難しいと感じた。

 

 それでも、俺たちの音楽はとても良い出来に仕上がっていたと思う。最後の1音を弾き終わり、大きな拍手が鳴り響いてようやくほっとした。みんなで、最後にお辞儀をする時にようやくお客さんの顔を見られた。分かる範囲の人たちの表情は、とても楽しそうな満足してくれていそうな表情に見えた。


「沢渡くん」


 ステージ裏に戻り、みんなが少し遠くなってから真柴さんに声をかけられた。


「今日の演奏、とても良かったと思う。ドヴォルザークのデュオのところ、本当に気持ちよくて好きなんだ~この調子でオーディションも頑張ろうね」

「うん、ありがとう。俺もデュオ緊張するけど、弾いてて楽しい」


 真柴さんに良かったと言って貰えるととても嬉しい気持ちになる。デュオは何度弾いても緊張はするけど、やっぱり目立つのは嬉しいし、何より真柴さんと2人で弾けるというのが楽しくて好きだ。


「ねー今日、この後打ち上げやらない?」

「お、良いな! そういえば俺たちみんなで外で食事ってしたことなかったな」

「城ケ崎くんと沢渡くんが忙しいからじゃーん」

「そうだったな。ごめん、ごめん! 今日はいける。凪音は?」

「うん、俺も大丈夫」

「私も平気よ」

「私も」

「じゃあ、このまま行こっ!」


 嬉しそうに中園さんはそう言った。今まで、真柴さんの家でお菓子を食べたり、奏良の家に行ったりはしたけど、大学生らしい飲み会というのはしたことがなかった。

 練習時間の為にバイトの時間を調整したし、稼げていないのに飲み会になんて行って良いのか、とも思うが今日くらい良いだろう。俺たちの音楽はどんどん良くなっている。だから、俺たち自身ももっと仲良くなっていきたい。この仲間たちにはそう自然と思えるようになっていた。前までの俺なら信じられないことだ。


 楽器を片付けて、俺たちはが大学を出た。店は、言い出しっぺの中園さんが探してくれて既に予約済みだそうだ。行動が早くて尊敬する。飲み会なんてもしかしたら最初の新入生歓迎会で行った時以来行っていないかもしれない。奏良も俺と同じようで、女子たちが盛り上がる中、俺たちは完全に流れに身を任せていた。


「凪音って酒飲むのか?」

「んー飲めなくはないけど、好きかどうかもあんまわかんないかも」

「分かるー俺も家で飲んだりもしないからな」

「俺もだよ。女子たちは慣れてそうだよなぁ」

「みんな社交的だもんな」


 そんな会話をしながら歩いていると、どうやらお店の前に着いたらしい。それから、5人で和気あいあいとした飲み会がスタートした。真柴さんは、けっこう飲むとキャラが変わって、東宮さんはいつも以上に饒舌になって、中園さんはいつもと変わらない。俺と奏良はお酒が久しぶりだったということもあって、1杯だけにしていた。


「それでさーわたし、びびびってきたんだよね~~~あのチェロの人絶対、ただもんじゃないって! やっぱさー沢渡くんはただもんじゃなかったよ~~~わたしの見込みに間違いはなかった!!」

「そうね。さすが、琴乃~あたしのことも褒めてよー」

「んん~~詩織はー3年になってからーめっちゃ周りのこと見るようになった! あとー時々城ケ崎くんと良い感じの雰囲気になるのはなんでー???」


 いつもはおしとやかであまり多くを語らない真柴さんがお酒を飲むとやたらと褒めてくれて、こそばゆい気持ちになった。すぐに中園さんに遮られてしまったけど。


「え、別に、何も……」

「うそうそー絶対何かあるって!」

「ないない、ね。城ケ崎くん?」

「え!? あーうん、ない。今、恋愛してる暇ないしな!」

「そーそー」


 中園さんは分かりやすく顔を赤らめている。奏良もちょっと動揺しているし、もしかしてこの2人何かあるのか?


「恋愛は良いよ。暇がないなんて言わずに音楽も恋愛もどっちも大切にすべきだと私は思うな。恋愛をすることで心が豊かになって、その豊かになった気持ちが音楽にも良い感じに流れて行くと思ってる。まあ、こんなこと言っといて私は恋愛してないんだけどね。沢渡くんは?」


 東宮さんは、真剣な眼差しで恋愛について語ったと思うと今度は俺に話しを振ってきた。恋愛話というのは1番困る。


「あ、うん。俺も今は恋愛してない、かな。でも、恋愛をすると音楽がより良い音になるっていう考えは素敵だと思う」

「だよね!」

「私も恋愛したーい。恋愛良いなー!!!」


 真柴さんは、そう言ってから机に突っ伏してしまった。


「ちょっと、琴乃? 大丈夫?」

「だいじょーぶ、だいじょーぶ」

「全然、大丈夫じゃないよね。そろそろお開きにしようか?」

「その方がよさそうだな」


 けっこう楽しかったから、まだまだ一緒にいたかったけれどあまり帰りが遅くなるのも良くない。酔っぱらっていない俺と奏良で会計をした。その間に中園さんと東宮さんで真柴さんを支えながら、外へと出て来た。


「お迎え呼んだからあたしと舞は待ってるから2人は先に帰って良いよ」

「分かった。じゃあ、また次のレッスン日に。今日は楽しかった」

「俺も久しぶりに飲み会して超楽しかった! 提案してくれてありがとな」

「べ、別に……。でも、楽しんでくれたなら良かった」


 じゃあまたな、と手を振って俺たちは店を後にした。

 

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