第2章第7話「勝ちたい、という気持ち」
各々チューニングが終わり、ひとまず通して演奏することになった。真柴さん家の防音室は、大学のレッスン室とまた違った響きがする。初めて弾く場所なのに、何故だか大学で弾くよりもずっと気楽に弾けていた。楽しい、気持ち良い。三笠先生に言われたように堂々と楽しく弾けた、と思う。
演奏が終わり、しばらく間があった。
「え、何か、今日すごくなかったか⁉」
そんな空気を最初に変えたのは、奏良の大げさすぎる感嘆の声だった。
「うん、何か今までと違ったように聞こえたよ」
「あたしも。何だろう、琴乃の家の防音室効果? 場所が違うから?」
「それはあるかもな」
中園さんの話しに俺は乗ることにした。違うってことは分かっているけれど……。
「えぇーそれって、大学の設備が琴乃家よりも劣ってるってことじゃない? まずくない?」
「……それはないわよ。みんな、気のせいよ。私には昨日までと何も変わらない安定した音に聞こえた」
「うーん、そっかぁ」
「でも、詩織は先生に言われてから周りの音をよく聞けるようになっていると思うよ」
「ほんと⁉ 良かった~」
真柴さんが会話の流れを変えてくれた。あぁ、これはきっと今日こそ真柴さんに話さなくてはいけないことになりそうだ。俺もそろそろ隠しているのが辛くなってきたから、正直に話そうと覚悟を決めた。
その後は、ヴァイオリンだけで弾いてみたり、ヴァイオリンとヴィオラだけ、ヴィオラとチェロだけ、ピアノとチェロだけなど色々組み合わせを変えてそれぞれの弱点を追求していった。
三笠先生がいない分、真柴さんが先生代わりとなってくれていて、的確に指示が出来ていて改めてすごい人だなぁと思った。
気づけば、あっという間に時間は過ぎていて20時30分を過ぎていた。
「そろそろ休憩にしようか」
「賛成! ケーキ食べよ! ここのケーキ食べるのめっちゃ楽しみにしてたんだ~!」
「私、用意するからみんなは適当に休んでて。あ、沢渡くんは手伝って貰って良いかな?」
「う、うん」
「コーヒーダメな人いるー?」
大丈夫というみんなの声を聞きながら俺と真柴さんは、先に防音室を出た。その後に中園さん、東宮さん、奏良はリビングのソファがある方へ向かってくれた。ダイニングキッチンの方で小声で話せばきっと向こうには聞こえないだろう。
「沢渡くんの今日の音、音楽バーの時の音と近かったよ」
「うん、すごく気持ちよく弾けた」
「ねぇ、もしかして沢渡くんって大学内で思うように弾くことに何か気がかりなことでもあるの……?」
コーヒーの準備をしながら真柴さんはそう問いかけた。さすが、鋭いな。
「……うん。真柴さんには先に話さないととは思っていたんだ」
俺はそう言ってゆっくりと、過去の話しをした。2年の時のトラウマ。俺のせいで音楽を、チェロを嫌いになってしまった人たちがいたこと。俺が自由に弾くことで、誰かを傷つけるのが嫌だ。もう、誰にも音楽を嫌いになって欲しくない。
「分かってるんだ。真柴さんもみんなも俺よりもずっと強いし上手い。こんな心配杞憂だって。けど、身体が勝手に大学でチェロを弾くと委縮しちゃうんだ」
「……そう、だったのね」
「これはまだ、みんなには言わないで欲しい。中園さんなんて、絶対キレそうだし。音楽で喧嘩をすることが何より嫌だからさ……これはもう、俺がどうにかして克服するしかない問題だから」
「分かった。ただ、何か出来ることがあればいつでも言ってね」
「うん、ありがとう」
真柴さんに話したことで少しだけ、気持ちがすっきりしたように思う。それから、俺が持ってきたクッキーを始め、奏良のマドレーヌ、中園さんと東宮さんのケーキをトレイに乗せてリビングの方へ向かった。
「おまたせーすごい量なんだけど」
「最高! ケーキどうやって決める⁉」
「その前に、苦手なものやアレルギーがある人はいる?」
コーヒーを持ってきた真柴さんの問いにみんな、大丈夫と答えた。
「そしたら、じゃんけんかな?」
「負けないぜ~!」
「あたしだって負けないんだから!」
奏良と中園さんは、似た者同士だなぁと感じることが最近多い。たぶん、俺と東宮さんは似ている。こんな風に友達とじゃんけんをして、ケーキを選ぶなんて去年までの俺なら想像が出来なかった光景だ。俺は、じゃんけんでも弱くて最後になってしまったが、別に良かった。ケーキはきっとどれも美味しいから。
「さっき色々見てたんだけどさ、真柴さんの家トロフィー多過ぎね⁉」
ケーキを食べながら奏良がそう言った。
「音楽一家だから、みんながそれぞれトロフィー貰っちゃうからすごい数になっているの」
「なるほどなー。音楽一家ってめっちゃ大変そう」
「うん、大変」
真柴さんは、部屋中のトロフィーを眺めながらぼそりと呟いた。リビングにはたくさんのトロフィーが大きな本棚に美術品のように飾られていた。壁にはたくさんの症状が入った額縁。テレビ台の上には、家族写真がいくつもあってそのどれもが音楽一家を物語っていた。
「琴乃家は、絵に描いたような音楽一家だもんね」
「ほんとにそうなの。私は、それが少し嫌になる時があるんだ」
俺からしてみれば、羨ましいとさえ思ってしまうのだけど……。実家にいた頃、時々賞状を貰ったりしたけど、こんな風に飾って貰えることはなかった。俺は、捨てるのも勿体ないしと思ってファイルにしまっていたっけ。
「私ね、前にそれぞれのトロフィーの数を数えたことがあったの。パパとママの数が多いのは仕方ない。音楽家としての人生の長さが違うからね。1つ上のお姉ちゃんがいるんだけど、お姉ちゃんに勝てないのがとても悔しいんだ。おんなじピアノ教室に通ってておんなじコンクールに出てた。それなのに、お姉ちゃんの方がトロフィーの数が多いの」
ぽつ、ぽつ、とお菓子を食べながら真柴さんはお姉さんを始め家族のことを話してくれた。
「中学生までは、お姉ちゃんと同じように私も出来ていたの。だけど、高校生のときね一時期スランプになっちゃった時があって、その時期が全然コンクールで上手くいかなくて……」
真柴さんは、高校は一般の高校に通っていたそうだ。音楽をしない時間も欲しかったし、色々な人と関わってみたいと思ったからと言っていた。中園さんとは正反対すぎてつい、中園さんの方を見たら「何よ」と睨まれてしまった。真柴さんは、懐かしそうに1枚の写真たてを持って話してくれた。
「だけど、それが良くなかったのよね。一般の高校に入ったら私の家は音楽一家なんてかっこいい! 素敵! ってすごくもてはやされちゃって……。私は、普通に高校生活を過ごしたかったのにね。当然、合唱コンも文化祭もピアノが出る行事は全部私が弾いた。それは、別に良かったのよ。だけど、高2の合唱コンクールの時に、私のクラス負けちゃったの。そしたらね、〝何で音楽一家のピアニストがピアノ弾いたのに負けたんだ—!〟って言われて……。知らないよって正直思ったけどね。だって、合唱コンって歌がメインじゃない。あなた達の歌が良くなかったら、いくらピアノが良くたって負けるのよって思ったけど、もちろん言わなかった。そういうのが何度か続いてね……〝音楽一家のピアニスト〟なんだから頑張ってよ、出来るでしょ、みたいな風潮? っていうのかな。そういうのがしんどくて……とっても病んでしまった時があったのよ。ピアノコンクールで姉よりも良い成績をとりたい、それだけで精一杯なのに学校行事まで頑張んないといけないの? ってね」
一気に真柴さんは語り、ふぅと息を吐いた。
「病んじゃって、お姉ちゃんとの仲も最悪になって、ママとパパは私に〝お姉ちゃんに勝てないのは仕方ないんだから、頑張んなくて良いんだよ〟って言ってきたの。でも、その言葉が私にとっては何の慰めにもならなくてね……。大学はお姉ちゃんよりも良い大学の音楽学部に入って、1年の時からずっと何においてもトップを勝ち取ってきてるんだ」
「真柴さん、1年の時からずっと有名人だもんね」
選考は違っても、同じ器楽科だったから何かと話題になっていたのを当然覚えている。才色兼備の天才美女。そんな認識だった。俺なんて一生かけても手が届かない存在だろうな、と。
「有名人になんてなりたくないの。私は、もっと普通に大学生活を楽しみたいんだ。だけど、どうしても勝ちたいって気持ちが強くて……私に着いて行けそうになくなったら遠慮せずに言ってね。黙っていなくなることだけは辞めて欲しいから」
そう不安そうな瞳で告げた真柴さんは、全然手が届かない存在ではなくて俺たちの仲間で、友達。真柴さんは、天才なんかではなくて必死に努力して頑張って今を掴んでいたんだ。
「大丈夫よ! あたしも勝ちたいし常に上を目指したいって気持ちは同じだから!」
「私も、人生で一度で良いからトップに行ってみたいな」
「俺も~! このメンバーなら余裕だろ!」
勝ちたい、とかトップを目指したい、とかそんなことは一人の時は思いもしなかった。思ったって俺なんて無理だって気持ちの方が勝って、全力になれなくて。いつも、何となくやっていた。何においても平均点。だけど、一人じゃなくて、みんなとならトップを目指せるのかもしれない。そう思ったら、少しワクワクした。
「うん、俺も勝ちたいな。勝ちたい気持ちはもちろん、全力でみんなと音楽を楽しみたい」
「そうね。何よりまずは楽しまないとだよね。みんな、同じ気持ちだから最高の結果を出せそうで嬉しいな」
「じゃあさ、帰る前にもう一回合わせようよ!」
中園さんの言葉に俺たちは賛成! と声をそろえて答えた。
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