第2章第4話「これからのこと」

 そうして、木曜日が終わり金曜日のレッスン日がやってきた。真柴さんと中園さんの空気は変わらずに重いままだ。いつも一緒にいるような雰囲気だったけど、月曜日から今日まで一言も話していないのだろうか。それは、きっと中園さんは辛いだろうなぁと思った。

 チャイムが鳴り、みんなの視線が俺に集まる。


「え、えっと、そしたら選曲の仕切り直しからなんだけど……中園さん、バトンタッチして良いかな?」

「うん、大丈夫」


 真柴さんは、俺と中園さんの空気が月曜日までと変わっているからか少し驚いた顔をしている。


「琴乃、みんなもこの前は我儘言ってごめんなさい。だけど、ブラームスにしたい理由があって……聞いてくれるかな」


 中園さんの声は少し震えていた。


「……とりあえず、聞いてあげる」


 真柴さんの声は冷たくて、俺の方が怯んでしまいそうだ。


「私も聞きたいな」

「俺も聞くよ~!!」


 事情を知っている東宮さんと奏良は明るくそう答えた。2人のおかげか、中園さんは緊張が解れたようで、ゆっくりと俺たちに話してくれたのと似た内容を話し始めた。語り終えた後、真柴さんは「ごめんなさい……っ」と言った。


「私、約束のこと忘れちゃってた。なのに、詩織を非難するようなこと言って最低ね……」

「ううん、琴乃は悪くない! あたしが、こんな身勝手な約束をしたのがそもそも悪かったの。2人だけで弾くわけじゃないのにね。

それでも昨日までは、絶対にブラームスを弾きたいって思ってた。だけど、今回はやっぱり良いや」

「え!?」


 思わず俺は声を挟んでしまった。


「我儘を通してブラームスを弾けたって良い楽曲にはならないだろうし、よく考えたら琴乃と一緒に弾けるならどんな曲でも最高なのには変わりないだろうなって思ったのよ」

「詩織……」

「だから、もう、我儘は言わないから嫌いにならないでっグループから追い出さないで……っ! もう一人ぼっちに戻りたくないよっ」


 中園さんはぽろぽろと涙を零しながらそう訴えた。ブラームスを弾けないことよりも、グループから追い出されてしまうかもしれないという恐怖の方が中園さんは感じていたのだろう。生徒の独断でそんなことは出来ないと分かってはいても……。


「嫌いになんてならないし、追い出しもしないっ! 詩織は私の親友なんだから」


 そう言って、真柴さんは中園さんのこと抱きしめた。奏良は、「おぉ!!!」と歓声を上げている。東宮さんも瞳をうるうるとさせていた。俺は、ただただ喧嘩にならなくて良かったとほっとしている。


「琴乃、本当にごめんね」

「もー謝らないの! そもそも悪いのは私だったんだから。もう絶対に忘れないから」

「うん……っ」

「……みんなも、私たちのケンカに巻き込んでごめんね。改めてブラームス以外の中から曲を選びたいのだけど良い?」

「2人は本当にそれ良いのか?」


 俺は、そう問いかけた。2人が始めたグループなのだから、遠慮何てしなくて良いのに。


「私たちの約束の曲は、また違う機会に弾くから良いの。だから気にしないで」

「それなら、偶然にも2票入っているドヴォルザークなんじゃね? それが1番公平だと思う~」

「うん、私も賛成」

「2人ともありがとうね。……詩織はドヴォルザークどう思う?」

「とても綺麗なメロディで始まるけど、どんどん激しくなっていくところが琴乃ぽくて似合うと思う」

「どういう意味よ~」

「美しく聡明そうに見えて、実はけっこう熱血なところとかかなぁ」


 中園さんのその言葉に、分かるなと思った。確かに真柴さんは、見た目と性格が良い意味でだいぶ違う印象だ。この曲はそんな真柴さんを表しているようにも思えてきた。


「誉め言葉として受け取っておくね。それで、沢渡くんはどう?」

「うん、俺もドヴォルザークをこのメンバーで弾きたい」


 はっきりとそう思えた。このメンバーでこの曲を奏でたらどんな音楽になるのだろうか。聞きたくなってしまった。


「じゃあ、オーディションで演奏する曲はドヴォルザークで決まりね。他の曲は芸祭と10月の学内演奏会の時にやりましょう」


 オーディションは1曲しか弾けないけれど、芸祭と学内演奏会はそれぞれ3曲合わせて30分演奏出来る感じになっている。両方のイベントで同じ曲目にしても良いし、変えても良い、オーディションの曲をそこで弾くのもOKだ。


 とりあえず、これからたくさんの曲を練習しないといけない。


「曲も決まったことだから、楽譜配るな―各々目を通せるようなら土日に練習しといてなー練習できなければ曲を聞いとくだけでも良い。俺もこの曲、すごく好きだから来週から楽しみなんだが、すぐにGWに入っちゃうんだよな~来週の月と金は通常授業だが……」


 三笠先生は残念そうに言った。貴重なグループレッスン日の月曜日が5月に入ってから1回潰れてしまうことになるカレンダーとなっている。


「ごめんなさい、私、5月10日~27日でピアノ専攻の学内演奏会があって……それの大トリを任せられちゃってて……そっちの練習もそろそろ本格的にやらないといけないなんです。レッスン時間にはちゃんと出ますけど、それ以外での練習が厳しくなりそうです」

「そうか、もうそんな時期なんだな」

「俺も、GWは家やばいから自主練は出来そうにねーです……」

「えぇ~~あたし、GW合宿とかするのかなって期待してたのに」


 中園さんが残念そうにそう呟いた。


「俺も、バイト稼ぎ時で……」

「私も3日以外は実家に帰らないといけなくて……」


 なんと見事に全員、ぴあ南央五重奏の練習に時間は取れそうにない。中園さんはとても不満そうな顔をしている。


「何か、あたしだけがやる気あるみたいじゃない……」

「さすがに1日もグループ練習しないのはまずいと思うから、どうにかしないと。舞ちゃんがこっちにいる3日に出来るのが1番良いから、私も調整つける。沢渡くんと城ケ崎くんも何とかこの日だけでも空けられないかな?」

「うーん、俺の方はまだ時間あるからシフト調整出来るか明日確認してみるよ」

「ありがとう」

「……俺も、何とかしてみる」

「うん、お願いね」


 5人もいると授業以外での練習日の日程調整をするのがなかなか大変そうだ。

まあ、主に俺と奏良が難しいのだけど……。その日は、楽譜を配られて軽く個人練習をするだけで終わった。


 ――土曜日、バイトは夜からで昼間はさすがに練習しときたいなと思ってコンビニのシフトは朝だけにして昼間はお気に入りの川辺で練習をした。寮に向かう道から少し外れた方面にある小さな川沿いの散歩道には、いくつかベンチが置いてある。

俺は、いつも定位置に座ってここで2時間ほど練習をしてから音楽バーのバイトへ向かう。それが、土曜日のルーティーンだった。音大生が近所に多いはずだが、ここで練習をしている人はいない。

 楽器は朝や夜でなければ弾いて良いことになっているのだが、どうやら俺以外の人は誰が聞いているかも分からない外で弾くというのを好まないらしい。まあ、寮にはレッスン室もあるし近所にもいくらでも似た施設があるからそっちを借りて良い音響の所で弾く方が良いのだろう。

 

 だけど、俺は外で弾く方が好きだ。誰も俺のことを知らない所で弾く方が、何も気負わずに弾ける。冬と夏は厳しいが、春と秋は暖かくて気持ちが良いし。何より無料で次の人のことを考えずに弾けるのが良い。レッスン室は1時間ごとに料金が変わるから、そう軽々と借りることは俺には出来ない。

そんなことを思いながらチェロを弾いていると、ブーブーとスマホのバイブ音が鳴り響いた。発信者は奏良だ。


「もしもし」

『やっほー、今少し良いかー?』

「うん、大丈夫」

『俺さ、昨日の夜に母親に相談して何とか3日の夜と今後も土曜日の夜だけは練習時間に宛てさせてもらえることになったぜ!』

「そっか、良かったな。俺も、たぶん大丈夫だとは思うけど……」

『今日、聞くんだっけ?』

「うん、この後バイト」

『頑張れよー凪音に命運がかかってる!』

「そ、そうだよな。奏良も勝ち取ってくれたんだから、俺も覚悟決めないとな」

『その意気だ! 結果バイト後に聞かせてくれよーじゃあな』

「うん、バイバイ」


 通話を切ってふぅと息をはいた。俺の場合は、たぶん簡単に休みは貰えるだろう。俺が、休みたくないだけなのだ。たった5時間のバイト。されど5時間。の時間を失うのはなかなか後が怖いけれど、皆頑張っているんだ。グループレッスンなのだから、俺も合わせていかないといけない。ここで稼げない分、どこかで倍稼げば良い。親に頼ることが出来れば1番楽なのだが……。それは厳しそうだ。


 結果として、店長には即OKをもらえた。3日はちょうどプロの人たちを招いてのコンサートになるから、俺はバイトに来てもカウンター内の仕事しか出来ないから練習に行きなと言って貰えた。こういう時、融通が利くバイト先で良かったなぁと感じる。

 

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