第2章第2話「憧れの存在」
次の日、約束通り俺たちは学食前で待っていたが俺は、緊張しすぎてどうにかなってしまいそうだった。昨日の東宮さんはまだ突然だったから平気だったけど、今日は約束だ。そもそも、俺は2年生の夏から真柴さんと出会うまでは平凡に生きていた身なんだ。奏良を誘うのだって、勇気がいったのにこんな早く女子から昼食に誘われることになるなど思ってもいなかった。
「顔こわばりすぎ~~~」
「き、緊張しちゃって。奏良は、平気なのか?」
「緊張はしねーかなぁ。同じグループの仲間じゃん?」
「そーだけど……」
奏良は本当にコミュニケーション力が高くて羨ましい、と思う。俺も奏良を見習って行かないとな、と思っていると「お待たせ」と中園さんがやって来た。
「昨日のお礼に学食何でも奢ってあげるわ。食べてから琴乃とのことも話すから」
「まじ!? えーじゃあ、日替わり定食コーヒー付きにしちゃお! 良いよな!?」
奏良はキラキラと瞳を輝かせてそう聞いた。
「どうぞ。あんたも遠慮しないで良いからね」
「あ、ありがとう。じゃあ、僕も奏良と同じにしようかな」
普段は、そもそも学食はあまり使わないし使ったとしてもラーメンやどんぶりなど安くすむものだけで日替わり定食を頼むのは初めてだ。それは、どうやら奏良も同じらしくスキップでもしそうな勢いでレジに向かっている。俺たちもその後に続いた。
中園さんも同じ日替わり定食を頼み、3人で窓際の良い席を取り腰を下ろした。黙々と食事をして、あっという間に食べ終わり食後のコーヒーを俺は取りに行った。
また二人きりになってしまうのは気まずかったからだ。中園さんに取りに行かせるわけにもいかないし……。
喫茶コーナーで3人分のホットコーヒーをトレイに乗せて、俺は席へと向かった。
奏良と中園さんは何だか良い雰囲気で会話をしているようだ。中園さんは、奏良のことも嫌そうだったけど昨日の一件で好感度が上がったのだろうか。楽しそうな中に戻るのも気が引けたがコーヒーが冷めてしまうし、と俺は会話に気づいていないフリをして席へ近づいた。
「凪音~ありがとな!」
「ありがと」
「うん。ミルクと砂糖いるか分からなかったからひとまず2人の分持ってきた」
そう言いながら2人の前にコーヒーとミルク、砂糖を置いた。
「へぇ、凪音はブラックなんだ! 俺はミルクも砂糖も入れる派~甘いのが好きなんだよなー」
「あたしは、ミルクだけ。沢渡くんがブラックってなんか意外ね」
「何でだよ」
「何となく?」
コーヒーのおかげで俺も中園さんと普通に会話が出来ている気がする。
「それで、あたしと琴乃のことを聞いて2人はどうしたいの?」
一息ついた所で中園さんがそう切り出した。
「え、えっと……俺は、全然特別に好きな曲と作曲者とかいなくて、この前借りたアルバムに偶然ドヴォルザークのピアノ五重奏が入っていて1番良いなって思っただけで、真柴さんと同じ選曲になったのはほんとに偶然なんだ。だから、真柴さんと口裏合わせたとかはほんとにない。それをまず、信じて欲しくて……」
「……分かった。まあ、よく考えれば琴乃があんたと口裏合わせて同じ曲にするメリットもないもんね」
「う、うん。ありがとう」
お礼を言って良いのか微妙な納得のされ方だったけどまあ良いとしよう。
「俺は、多数決で決めたくはないんだ。俺以外のみんなは選曲にしっかり想い入れがあるし。だから、中園さんの想いをちゃんと真柴さんに伝えて、それでみんなにも知ってもらった上で2人が約束をしたのならブラームスにするべきだって思ってる」
俺がしっかりとそう伝えれば、中園さんは少し驚いた顔をした。
「……これから話すこと、本当に情けないかもだけど笑わないで聞いてくれる?」
「もちろん、笑わないよ!」
「うん、笑わない」
俺と奏良のまっすぐな返事を聞いて、中園さんは安心しぽつぽつと過去の出来事を語ってくれた。
「ブラームスのピアノ五重奏曲、すごくかっこよくて素敵なピアノでしょ? 琴乃と友達になってから聞いた時、あぁこの曲を琴乃が弾いている所を見たいし聞きたい。あたしも一緒に弾けたらって2年の始め頃からずっと思っていたの」
「そんな前から……」
「うん……。あたしは、2年生の頃に琴乃に救われたんだ」
懐かしそうに窓の外を眺めながら中園さんは、そう言った。いつものキツイ表情ではなく、優しい表情だった。
「あたしね、大学に入ってから価値観の合う友達がなかなか出来なくて……琴乃と仲良くなるまで一人だったんだ。自分の性格がダメなことは分かってはいるの。でも、性格ってそう簡単に変えられるものでもないでしょ?」
俺と奏良は驚きを隠せなかった。だって、中園さんがそんな風に自分の性格がダメだと気づいていたなんて思わなかったから。
「まぁ、そう言う顔になっちゃっても仕方ないよね。こんな性格でもさ、高校までは同じような人たちばかりに囲まれてたから問題起きなかったんだよ?」
「そ、そうなんだ……」
中園さんみたいな人がたくさんいる学校とはどんな学校なのか。もし、俺がそんな所に入れられたらたぶん1日として身が持たないだろう。
「でもね、大学に入ってから色んな人たちがいるってことを知ったの。あなたたちもそう。初めて関わるタイプの人たち。最初の頃は、今よりももっと上手く行かなくて孤立してたんだよね。グループにも誘われなくて辛かったなぁ。二人一組にならないといけない必修の授業の時に声をかけくれたのが琴乃だったの」
その気持ちは分かるなぁ、と初めて中園さんに共感した。二人一組というのは本当に良くない制度だと思う。先生は孤立する生徒などいないとでも思っているのか……。
「初めて誘ってくれた時に、今みたいに学食で奢ってお礼をしたの。ちょうど席もこの辺りだった気がするわ」
「へぇ。真柴さんって学食来るんだ」
「あんたは、琴乃を何だと思っているのよ……」
「気高きお嬢様?」
学食なんかとは縁がなく学園内に専用のプライベートルームがあって、そこでお昼もフルコースを食べていたって驚きはしない。
「間違ってはないけど、琴乃は案外普通よ。家がお金持ちで音楽一家ってだけ。琴乃は、誰に対しても優しくて皆から慕われていて羨ましいなって思った。あたしも琴乃と一緒にいたらあんな風になれるかなって。それから、授業以外も琴乃の傍にいるようになったんだ。琴乃は、嫌がったりしないで仲良くしてくれた。価値観も合うし、一緒にいて楽しくて……」
真柴さんのことを語る中園さんの表情や声色からは、本当に真柴さんのことを尊敬しているのだなというのが伝わってきた。だって、俺も同じだから。真柴さんは憧れの存在。
「琴乃の趣味って音楽バー巡りなんだよね。だから、あんたとも出会った訳なんだけどさ」
「そっか、趣味だったのか」
真柴さんの趣味のおかげで俺の今があるのか、とまだ何も始まっていないというのに感慨深い気持ちに陥ってしまった。
「琴乃に一緒に音楽バーに行って欲しいって誘われた日があって、その時に行ったバーで演奏されていた曲がブラームスのピアノ五重奏曲だったの。とっても近い席で壮大な音楽を聞いて、震えちゃった。あたしも絶対にこの曲やりたいって思ったの」
その時の編成も今の俺たちと同じ編成だったそうだ。ピアノ、ヴァイオリン2、ヴィオラ1、チェロの五重奏。
「演奏が終わった後に言ったわ。〝3年生になったら一緒にピアノ五重奏を組もうよ。それで、ブラームスのピアノ五重奏を琴乃と一緒に弾きたい〟って。そしたら、琴乃も〝良いね、私もこの曲好きだな。詩織と絶対一緒にやりたい〟って言ってくれたの」
「良い友情だなぁ~」
「でしょ? その後、ちゃんと〝約束ね〟って言葉も交わして笑い合ったのよ! あたしはあの日の記憶をはっきりと覚えてるの。なのに、琴乃は忘れちゃってる……」
「……かなしいな」
昨日まで中園さんの思い違いではないか、なんてひどいことを思ってしまっていたのを許して欲しい。これは、思い違いなんてものではない。ちゃんとした〝約束〟だ。
「ようやくその時がきたって思ったのに。ほんとなら、曲候補を出すのだっていらないって思ってた。何で!? ってなったけどあの時はグッと抑えたの。とりあえず流れに任せようって。あたしはブラームスを候補に持って行けば良いだけ。そうしたら琴乃も気づいてくれるって。なのに……っ」
今にも泣き出しそうな声で中園さんはそう言った。そんな中園さんに向かって、奏良は「うーん」と言葉を濁した。
「人間何でもちゃんと覚えてもらんないだろうしさ、思い出して欲しいならブラームスにした理由を話してみたら? さすがに話せば思い出すだろ」
奏良の言い分は最もだ。俺もうんうんと頷いた。
「でも、約束って思ってたのはあたしだけだったのかもしれないし」
「そう言うのも聞いてみないと分からないよ。ただの我儘って思われたままは嫌だろ?」
俺も、2人の友情の話しを聞いてしまったからこのまま2人が離れてしまうのは嫌だと思った。だから、そう言った。 2人が始めてくれたこのピアノ五重奏なのだから……。
「……うん、それは嫌だ」
「よし、じゃあ次のレッスンの時に今してくれた話しを真柴さんにも伝えよう。そのうえで改めて話し合おう」
「分かった、ちゃんと話す」
中園さんは力強い瞳でそう告げた。
「ありがとね、2人に話したら何だかすっきりした気がするわ」
「聞いてただけだよ」
「こう言う時はそれが1番良いのよ。レッスンの時、あたしがしくじりそうになったらその時は止めてね!」
「う、うん」
「任せろ! 喧嘩止めるのは得意だからな~!」
「喧嘩はしないでもらえると嬉しいかな……」
「大丈夫よ。喧嘩何て言っても女子同士だもの。大したことないわ」
そう言って中園さんは笑った。
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