第2章第1話「本当は良い人?」

 レッスン室を出てみんなと別れた後、俺は深くため息をついた。どうしてこう願っていないこと、と言うのは起きてしまうのだろうか。俺が当事者でなくても争いごとは嫌だ。まさか最初のもめごとが真柴さんが関わることになるとはなぁ、と少し意外だった。


 その日の音楽バーでのバイトはあまり楽しくなかった。思うように弾けなくてもやもやする。キッチンの仕事も普段しないような失敗をしてしまうし……。見かねた先輩が「どうしたの?」と声をかけてきてくれた。

 今はだいぶ客足も落ち着いている。俺はこのもやもやを誰かに話したかったので、先輩に話してみることにした。


「ちょっと、今日大学で面倒なことがありまして……」


 それから今日の出来事を全て話した。


「その中園さんって子は、その曲を弾きたい理由が真柴さんって子と約束をしたからって言ってたんだよね?」

「はい。でも、真柴さんは覚えてなさそうでした。あんなしっかりしている感じの人が親友との約束を忘れるようには思えなくて……。俺は、中園さんにとっては約束だったけど、真柴さんにとってはそうじゃなかったんじゃないかって思ってしまいます」


 これはもう完全に、日頃の行いの差だ。なんて思ってしまう自分も嫌だけど……。


「そればかりは当事者たちにしか分からないからね。沢渡は中園さんのことが苦手そうだし、これを機にお近づきになってみたら?」

「えぇ……俺のこと視界に入れたくないって感じで睨まれますけど……」

「素直になれないだけかもしれないじゃん。そこまでその曲に強い思い入れがあるなら、中園さんの気持ちも聞いてあげないと」

「うーん、話してくれますかね」

「向こうもきっと誰かに話したいって思っているはずだよ」


 先輩はそう言って笑った。確かに先輩の言葉は一理ある。それに、これから一緒にやっていく仲間なのだからずっと苦手だとか嫌だと思って関わらずにいるわけにもいかない。俺は、みんなで音楽を楽しみたいのだ。


「ありがとうございます。明日、話しかけてみます」

「うん、それが良いよ。健闘を祈る!」


 先輩の言葉が力強くて上手く行くような気がした。


 だけど、まあ当然一人で声をかけられる自信なんてなくて、奏良に助けを求めた。

せっかく友達になったのだから一緒にお昼を食べようと誘ったのだ。今、俺たちは学食でお互いに500円以内で食べられる定食を食べていた。

 

「奏良もさ、中園さん苦手でしょ? 良い機会だから声かけてみようよ。このままなのは絶対に良くないしさ」

「そうだよなぁーおーけーわかった! 今日声かけてみよう。でも、俺たちからの誘いに乗ると思うか? 偶然を装うとか出来るかなー」

「うーん確かに……」


 そもそも俺たちは中園さんの連絡先を知らない。そういえば、ピアノ五重奏レッスン用のグループラインも出来ていないなとふと思った。曲が決まった暁には作ろうよと提案をしてみよう。


「連絡先知らないってなると、校門前で出待ちしてるしかないかー?」

「怪しくないかな」

「でもなー」

「沢渡くんと城ケ崎くん、難しい顔してどうかした?」


 俺たちが悩んでいる所に東宮さんが通りかかり声をかけてきた。


「ここ座って良い?」

「あ、うん」

「そうだ! 東宮さんさ、中園さんの連絡先知ってるか?」


 良いことを思いついたと言う顔で城ケ崎くんはそう聞いた。


「うん、知ってるよ」

「よかった~俺たち、ちょっと中園さんと話したいことがあって誘い出したいんだけどそもそも俺たち嫌われてるみたいでさ、連絡先も知らないしどうしようかーってなってて……。東宮さんから呼び出してもらっても良いか?」

「良いけど、私もあまり好かれてなさそうだけどね」

「そうなのか?」

「うん。中園さん、真柴さん以外は興味ないって感じする。でも、一応同じヴァイオリンだから私は仲良くなりたくて聞いたら教えてくれたよ」

「そっか。とりあえず助かった!」

「東宮さん、ありがとう」

「どういたしまして」


 それから中園さんの連絡先を教えて貰い、更に東宮さんの連絡先も教えて貰った。

その後は3人で音楽の話しをしたりしながら、穏やかな食事の時間が過ぎて行った。


 そして、放課後——


「来るかは分からないけど、既読はついたって連絡きたしとりあえず行ってみよう」

「そうだな!」


 ドキドキしながら待ち合わせ場所の校門付近に行くと、何やらもめている声が聞こえた。


「ねーねー詩織ちゃん、今日暇ー?」

「暇じゃないから!」


 校門から少し離れた所で、中園さんがヴァイオリンを持った男に絡まれている。

こういう時ってどうしたら良いのだろうか。俺が出て行っても、きっと中園さんは嫌がりそうだし……


「ここは俺に任せろ。あーいう奴は大体、俺のデカイ身体見ただけでびびっていなくなるから」

「へぇ」


 俺はそう相槌を打ち、様子を見守ることにした。奏良は、ずんずんと中園さんの方に近づいて行っていた。

 

「えーだって一人でぼーっとしてたじゃん」

「待ち合わせしてるの!」

「誰と―?「おーい! 詩織!」


 奏良の登場に、絡んでいた男はびびり中園さんまでびっくりしている。そりゃあそうだろう、まさか名前呼びで出て行くなんて誰も思わない。


「悪りぃ、待たせたな」

「だ、誰だよこいつ……!」

「俺? 詩織の彼氏~詩織に手出したらゆるさねーからな?」


 奏良が男を睨みつけると、男は悔しそうな顔をしながら速足で去って行ってしまった。


「ふーごめんねー変な嘘ついて。でも、あーいう奴には嘘ついといた方が今後も楽だろ?」


 奏良はにこにこと笑って言った。


「……ありがと」


 中園さんは気まずそうに小さな声でお礼を言った。

 

「どういたしまして、ってやば! そう言えば俺、今日用事があるの思い出した! 凪音悪いんだけど後は任せる!」

「え!? 話しは?」

「任せる~じゃあな!」


 奏良は走って校門を出て行き、俺は中園さんと二人きりになってしまった。こうなりたくないから奏良を誘ったのに……。


「あんたも帰れば?」

「駅まで送ってくよ」


 さっきは何の役にも立てなかったが、駅まで送ることくらい俺にも出来る。絡まれていた女子を見た後に一人で帰らせるようなことをしたら、さすがに男として終わっていると思う。いくら苦手な女子だとしても、だ。


「貧乏なくせに紳士的なのね。城ケ崎くんも合わせて」

「貧乏は関係ないだろ。後、奏良は貧乏じゃないから」

「そう」


 それだけ言うと中園さんは、駅へ向かって歩き出した。慌てて俺も隣に並んで歩く。隣に並ぶな、とまでは言われないから送って行くことを許してもらえたようだ。

二人で並んで上野公園の中を歩いているが、会話はない。幸いにも周りが賑やかだから気になりはしないが、今日の目的を話さないと。

 俺は、もう少しで上野駅が見えてくる、と言う所で「中園さん」と声をかけた。


「何?」

「あの、さ。真柴さんとの約束のことと、ブラームスにこだわる理由を教えてもらいたいなって思って……」

「何であんたに話さないといけないのよ」

「それは、その、一応リーダーだから」

「乗り気じゃなかったくせに、そう言う所だけはリーダーって肩書使うのね」


 確かに中園さんの言う通りだ。だけど、ここで引き下がるわけにはいかない。


「リーダーってこともある、けど……単純に、中園さんのことももっと知りたいんだ」


 このセリフはちょっと、ドキドキしてしまう。だけど、嘘のない本当の気持ちだ。中園さんは少し考えて、それから小さな声で言った。


「……明日」

「え?」

「明日、城ケ崎くんも一緒に12時30分に学食に来て。今日のお礼もかねて話してあげるから」

「良いのか⁉」


 まさかこんな簡単に話しを聞かせて貰えることになるとは思わず、俺は少しテンション高く答えてしまった。


「良いわよ」

「ありがとう!」

「別に……それじゃ、向こうに車来てるからここまでで大丈夫。また明日」


 そう言って俺の返事は聞かずに中園さんは、すたすたと車へ向かって歩いて行った。


「えっと、また明日!」


 俺は少し大きな声でそう言った。今日は、少し中園さんの意外な一面を見られて良い日だったなと思いながら俺も駅の改札口へと入っていった。

 

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