第1章第6話「好きな曲②」

 そうして、週末が開けて約束の月曜日がやってきた。どうか争いが起きませんように、と祈りながらレッスン室へと向かった。どうやら俺が1番乗りになってしまったみたいだ。1人でレッスン室にいるのは落ち着かないから、奏良を誘えばよかった。

 せっかく友達になれたのだから、もっと声をかけて行こう……。

5分ほど経つと「おはよー」と言いながら真柴さんと中園さんが仲良さそうに入ってきた。中園さんからの挨拶はない。何故だか分からないがとことん嫌われているみたいだ。


「琴乃ー今日の帰りショッピングして帰らない?」

「良いよ。あ、そしたらさ今晩バーに付き合ってよ。気になってる所があって…」

「もちろん!」


 2人は楽しそうに会話をしている。この2人は本当に仲良しなんだな、と少し羨ましく思った。椅子に腰を下ろしながら「ちゃんと、候補決めてきたー?」と真柴さんに話しかけられた。

 

「う、うん。まあ」


 真柴さんはそれなら良かった、と優しく微笑んだ。それから、始業時間ぎりぎりに奏良と東宮さん、そして三笠先生が入ってきた。


「よし、じゃあ今週もよろしく。ってことで、後は沢渡頼んだぞ」

「え、あ、はい。えっと、それじゃあ早速だけど、候補曲を出して行こうか。誰かホワイトボードに書き出してくれる?」

「私やるよ」


 そう言って、東宮さんが真っ先に動いてくれた。


「ありがとう、よろしく」

「うん」


 東宮さんの準備が出来たのを確認して、「じゃあ、右から順に言っていく感じで。奏良から」と俺は言った。


「りょーかい! 俺が候補にあげたい曲はシューマンのピアノ五重奏、2楽章のIn modo d'una marcia. Un poco largamente! ちょっと暗めだけど、落ち着いた良い曲で俺はすごく好きなんだ」


 この前聞いた時は悩んでいると言っていたが、結局この曲にしたのだなと何となく嬉しく思った。きっと奏良は、女子たちが華やかだから暗めの曲と言う所で遠慮していたのだろう。東宮さんは、ホワイトボードに奏良の候補曲を書き、そのまま自分の候補曲も書いた。


「私は、フォーレのピアノ五重奏曲第1番ニ短調作品89が良いなと思った。私がフォーレが元々好きって言うのもあるけど、この曲ね作曲にすごく時間がかかっているの。1890年から1894年にかけての5年間と1903年から1905年にかけての3年間。長い上に分かれて作曲されているって面白いなって。これから、私たちが築いていこうとしている関係も、長い時間をかけて良い物になっていくんじゃないかなって思ったら何か似ているなと思ったの。だから、この曲にした」


 一気に東宮さんはそう語った。俺を始め、みんな少し驚いている。まだ出会って間もないといえど、東宮さんは寡黙な印象だったから。東宮さんは、もしかして好きなものの内容になると饒舌になるタイプなのだろうか。意外だけど、そこまで語れる好きなものがあるのは良いな、と感じた。

 そして次は中園さんの番だった。中園さんは、ようやくきたわねというような顔をしている。


「あたしは、ブラームスのピアノ五重奏曲へ短調作品34がぜっっったいにやりたい! とにかくかっこいいし派手な曲だから!」


 別に拒否何てしていないのに、まるで俺が嫌だと言ったかのように力強い声でそう言われた。奏良もびびっているのが分かる。中園さんと仲良くなれる時はくるのだろうか……。


「私は、ドヴォルザークのピアノ五重奏曲イ長調作品81第一楽章が良いなと思ったかな。色々と悩んだけれど……」


 真柴さんの穏やかなその声に乗った曲名が信じられなくて、俺の心臓は変に高鳴っている。


「最後は沢渡くんね」

「あ、えっと、あの……」


 この場合はどうすれば良いのだろうか。このまま、真柴さんと同じ曲名を言ったら自分で考えてきていないと思われてしまわないか……。あぁ、でもさっき真柴さんと中園さんにはちゃんと考えてきたと伝えてあったなと思い返して俺は気持ちを決めた。ゆっくりと深呼吸をして「真柴さんと同じ曲……」とはっきりと答えた。


「本当に!? 嬉しい! 沢渡くんとは気が合いそうね」

「う、うん。びっくり……」


 内心はめちゃくちゃ嬉しいのだけど、真柴さんの隣から発せられているピリピリとしたオーラに俺は素直に喜びを表せないでいる。


「沢渡くんはどうしてこの曲が良いと「待ってよ!!!」


 真柴さんが俺に話しを振ろうとした時に中園さんが大きな声で叫んだ。

思わず耳をふさぎたくなった。俺は、こういう争いの予感がする声が苦手なのだ。


「何よ、そんな大きな声出して。みんな、びっくりしてるじゃない」

「びっくりしてるのはあたしの方! 琴乃、約束忘れちゃったの!?」

「約束? 何? 訳わからないこと言わないで」

「訳わからなくない! あたしは絶対にブラームスが良い!」


 キンキンと甲高い声がレッスン室に響いている。東宮さんと奏良はどうしたら良いか分からないと言う顔をしているし、三笠先生は完全に傍観者だ。


 ここは、リーダーである俺が何とかしないといけない場面なのだろうけども……。


「ちょ、ちょっと2人とも落ち着こうよ」


 勇気を出して声をかけたが一瞬で後悔した。

 

「何よ! 大体あんたが琴乃と同じ曲を言うのが悪いんじゃない」

「本当に偶然なんだって」

「そんな偶然ある? 2人で口裏合わせたんじゃないの」

「そんなことする訳ないでしょ」


 真柴さんははぁ、とため息をついた。


「埒が明かないから今日はもうここまでにしましょう。頭冷やして、明後日の授業でもう一度話し合いをするってことで良いかな。こんな状態で決めても絶対に、納得のいく結果にはならないと思うから」

「う、うん。分かった」


 俺としては、今日この場で決めてしまいたかったのだけど……。俺は特別、この曲が良いと思っている訳ではないので俺の意見は聞かないで良い。俺と真柴さんと中園さんで対立をしてしまっているような形になっているから、間を取って奏良か東宮さんが選んだ曲にすれば良いのではないか、と思ったけれど強い口調の真柴さんに反抗する気にはなれなくて、黙って頷くしかなかった。


 

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