3.


 一面の花畑と、青空。綿飴のような雲が悠々と流れていく。そんな場所にソファと丸いテーブルという不思議な空間が、どこまでも広がっている。ここは本当に、あの塔の中なのだろうか。


「君のいた国を含めて魔物が出てきたのは、単純に【人】が魔物になっただけだから、結界の問題じゃないんだ」

「【人】が魔物に?」


 カミ様の言葉に、言動に困惑するばかりだ。というのもカミ様との距離が近い。本来なら玉座と床に座るぐらいの立場の差があると思うのだけれど、ふかふかのソファに隣同士で座っている。おかしいと思う。絶対におかしい。こんな風に普通にお話ができて、私と目が合うたびに嬉しそうになる【人】なんていなかった。

 ああ、カミ様だから違うのかも。それが私の奥底にある感情をざわつかせる。


「ここの階層世界は、魂が真っ黒に染まったら魔物になる。【人】とは異なることをしたから、しょうがない。誰もが聖人君子であれとは言っていないし、嫉妬、妬み、嫉み、憎悪、殺意、敵意、それらを持つのも【人】だ。欲まみれで嘘つきで、騙し騙されることもあっても良い。でも他者を虐げ続ける者、良心が欠落した者、自分を顧みない者、傲慢で他者を踏み躙る者は、【人】ではいられなくなる」


 そういえばカミ様は、神官や騎士様を【人モドキ】と言っていた。カミ様には、彼らが【人】として見えていない?

 それならいずれ私も……ううん、──。


「因果が巡る、この世界はそういう構造になっているんだ。【人】は常に試され唐突な選択を迫られる。たくさんの選択を重ねて【人】は様々な色を魂に纏う。環境によって黒く染まろうとも、失敗や過ちによって黒くなっても、白くあろうとする心根があり続ける限り、【人】であり続ける。君の魂は傷ついても、どす黒い闇に飲まれかけていても、眩い光を放っていて、すごく驚いたよ」


 カミ様の言葉に喉がひりつく。全てを見透かされた眼差しに心が震えた。

 そんなはずないのに。

 カミ様の言葉はどれも私を労うものばかりで、こんな風に私のことを思ってくれたのは両親だけだった。それから私はカミ様の話し相手になって、たくさんの話をした。この世界のこと、カミ様のこと……。

 花嫁たちからの色を抜き取った後は、希望する異世界に転移させて来たという。ここに辿り着けるのは【人】だけなのだとか。【人モドキ】は魔物予備軍で何らかのキッカケ一つで、魔物に変貌するという。


「私の魂の色が濁ったら、魔物になってしまうのですよね?」

「ああ。そうなってほしくないけれど、【人】はそういう不確定さを持つ存在だから……。【人】の心は流動的だけれど、心に一本の芯がある【人】は、ちょっとのことでは揺らがない何かを持っている」


 カミ様は【人】が好きなのだ。揺らぎ変わりゆくことを惜しみながらも、見守り続けてきた。絵本通りの私の知るカミ様。

 世界は思った以上に、絶望的な状況なのかもしれない。カミ様の言葉通りの構造なのだとしたら、魔物を減らすためには、王国の考え方や、あり方を考える必要がある。

 ただそれは清く正しく、他者を踏み躙ることなく平和で──無理だわ。王城内は様々な計略や策略、謀略が渦巻いている。

 今も魔物が王都内に出現する状況を、簡単に解決する方法などないし、結局のところ原因は自分自身と向き合い、自分を律していくしか解決方法はない。

 そんなことを報告しても、それは彼らが望む答えではないし、到底受け入れないだろう。でも、それなら、

 唐突にカミ様は私の頭を撫でた。というよりもくしゃくしゃにした後で、頬に手を当てた。ぷにぷにする感触が気に入ったのか、しばらく私の頬に触れるのを堪能しているご様子。


「カミ様?」

「どうして君はこんなに可愛いのだろう。触れたくなるのも、初めてだし逃げないし」

「(初めて猫と触れ合う感覚なのかしら?)……か、可愛いかはよく分かりませんが、光栄です」

「ねえ、。君はここに来て僕に食べられるか、?」


 ヒュッ、と息を飲んだ。自分から名乗った記憶はなかった。背中から汗が噴き出して止まらない。私を見る紫水晶アメジストの瞳は輝いたままだ。


「冤罪だった両親を処刑した王侯貴族に復讐したいと考え、機会をずっと狙っていた。……王都に魔物が生み出されたのも、魔導書のページを巻物スクロールに移して不安と恐怖、憎悪を煽り、騒動を起こしたことも、国境塔ここに来たのも本当は僕を怒らせることで、この塔の結界を解き、世界を崩壊させようと計画を立てていたのだろう。計画的で、その執念も憎悪も充分だった。でも、君は最後の最後で引き金を、一線を越えなかった。隠し持っている短剣で僕を刺さなかったのが良い例だ。持っているだけでも毒の影響が出ているだろう。旅が始まってから片時も離さずによくここまで持ったね」


 ふう、と大きく息を吐いた。

 胸の奥にずっと押し込んで、殺し続けてきた自分の感情が溢れ出す。ごぽごぽごぽっっ……と、感情が、心が叫んでいる。浮上する感情が影から吹き出して私を──呑み込む。

 誰にも気取られないように、ずっと殺し続けてきた。どす黒くて、不快で、苦しくて、湧き上がる怒り。許せないという感情。

 毒が自分の体に巡っていく感覚よりも、噴き出す憎悪のほうが遙かに強い。

 顔を上げて、髪で目を隠さないままカミ様を見返し──微笑んだ。


「ご推察の通りです。両親を処刑した王侯貴族、いいえ世界に復讐するために、ここまで来ました。私が何もしなくともあの国は滅びる。……それが聞けてよかった」


 気が抜けたら毒の痛みが体を駆け巡る。呼吸をするのも、体を動かすのも苦しい。鎖骨あたりは黒紫色に染まっていて、自分の死が間近なのを感じた。

 カミ様を傷つける魔剣は使用者の生命を蝕む、一度きりの剣。それを短剣に加工して胸のポケットに隠していた。

 元公爵家の秘蔵の武器であり、公爵家以外の物が持つと呪われるとされていた私のとっておき。旅に出る時に封印を解いた公爵家最後の証。

 不思議とホッとしていて、同時に怒りとは別の感情が溢れて、胸が苦しくて……こんなことならカミ様の話し相手をしなければ良かったと、少し後悔する。

 この感情も、溢れる気持ちも、気づかなければ良かった。知らないままなら、どれだけ良かったのだろう。


「……カミ様、私はまだ【人】に見えますか?」


 答えなんて決まりきっている。ずっと心を殺してきた私が、復讐のため動いていた自分が【人】なはずなんてない。

 復讐に身を焦がして死ぬつもりだったのに。こんなところで誰かを好きになるなんて、もっと生きていたいなんて本当に愚かだ。ここに来るまで、復讐しかなかったのに最後の最後で、無縁だった感情が芽生えるなんて、思いもよらなかった。

 体が熱いのか寒いのかもうよく分からない。体の感覚も意識も遠のいていく。


「君は【人】だよ。根が優しくて、復讐鬼になりきれない、ただの可愛い女の子だ。僕が最初にあの鎖をどこかにやったとき、君はホッとしていただろう。僕を刺すチャンスはいくらでもあった。でも君は僕を見た時に魂の色が眩いほど輝いた。あれはどんな感情が君の復讐心を上回ったんだい?」


 私を見る目は未だ変わらない。労る声音に涙が零れた。こんな風に優しい言葉を掛けるなんてずるい。

 涙で視界が歪む。ああ、まだ泣くことができたのね。


「カミ様と目が合って、拒絶でも、忌むでもなくて、真っ直ぐに見返してくださったから、たったそれだけで私の心は満たされたのですよ」


 舌が痺れて、意識も遠のいていく。体が傾いたのが分かった。カミ様の膝の上に倒れて、カミ様を見上げる。ああ、なんて美しい瞳なのかしら。


「……一目惚れというのをしました」

「それは嬉しいな」


 頬を染めて笑うカミ様を見るたびに、愛おしさが溢れ出す。自分自身を騙して、殺すのは得意なのに、カミ様の前だと難しくなる。自分の感情を抑えられなくて、苦しい。それでも私はカミ様の愛した【人】のままで終わりたい。

 だから──。


「カミ様、私を、私の色を食べてくださいませんか? 私が居たことを覚えてもらいたいのです」


 カミ様は艶然と笑った。

 最後にカミ様と出会えて、私を看取ってくれるのがカミ様で本当に良かった。


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