「闇」バイトしてみた話

卯月 朔々

「闇」バイトしてみた話




 「#闇バイトさん募集 #短期 #安心安全」



 「闇バイト」という文字を検索して出てきた案件には、そんなハッシュタグが何個もついている。

 今見ている投稿は、五年も前のものだった。

 そんな昔から、「闇バイト」という言葉があったのか、と驚いたくらいだ。


 



 俺は、金が欲しかった。

 三か月前、親に何も言わずに、大学を退学した。

 やりたいことがあって、ここに来たはずなのに、何もやりたくなくなった。――そんな、情けない理由で。


 一人暮らしの部屋。昼間まで寝て、夕方からのっそり起きて、動画を見る。

 居酒屋のバイトがある日だけは、もう少し動き出しが早いが、この三ヶ月、ずっとこんな生活だ。

 

 バイトの給料は、入金された瞬間に支払いで消えていく。遊びに行く時間はあるのに、金がない。

 

 そんな時、ニュースで、「闇バイト」で雇われた人間が起こした犯罪のトピックを見た。

 

 こういうニュースの良い点は、そんな犯罪があるのだ、と多くの一般視聴者に伝えられること。

 悪い点は、俺みたいなクズの落ちこぼれに、目先の金を稼ぐ方法があるのかも、と期待させてしまうことだ。


 あんまり高い報酬の闇バイトは怖い。

 きっと、強盗だったり、最悪、殺人なんて展開もある。絶対やりたくない。

 それか、還付金詐欺の受け子や出し子。

 直接、被害に遭う人と接触するなんて、心苦しくて嫌だ。――俺はつくづく小心者だな、と自嘲したくなる。


 SNSの投稿を見ていくと、絵文字や数字を交えて、高額の報酬があると書いてある。

 仕事内容に関しては、その投稿文で、言葉を濁して内容を伝えているのだろうけど、それは俺には読み解けない。

 自慢じゃないけど、未成年で煙草を吸ったとか、酒を飲んだ、横断歩道の信号を無視した。それくらいの悪事しか経験していないのだ。

 

 今スマホの画面越しに眺めている投稿は、五年前のものだった。


「#闇バイトさん募集 #短期 #安心安全」


 眺める文字がこんなにも薄ら寒い。

 

 でも、俺には金が要る。

 この先、バイトだけでやっていけない。目先の金だけでいい、当面を凌ぐまとまった金さえあれば、何か動き出せる気がしていた。


 気づけば、指先が震えていた。


 五年前、「闇バイト募集」と投稿したアカウントへ飛び、ダイレクトメッセージDMのマークをタップする。

 簡素なメッセージ画面が現れた。一番最近の投稿は、一年前。

 五年前の投稿と全く同じの文面だった。コピペで使いまわしているのだろうな、と思った。

 

 俺は息を吸い込み、心臓が口から飛び出そうになりながら、文字を打った。送信ボタンを押す時、何度も何度も、躊躇った。


 このアカウントは一年前で更新が止まっている。いまさら連絡が返ってくるはずもないだろう。


 これは、俺が腹を括るための試練だ。

 このDMに何も返ってこなければ、もう一度「闇バイト」で検索し直す。そこで一番最初に出てきた投稿に、反応する。


 そして、犯罪まがい、もしくは犯罪をしてでも、金を手に入れる。その覚悟で、やるんだ。


 

 震える手で、送信を押した。





 ものの二、三分で、返事が来た。


 俺は飛び上がって、スマホを床に投げ捨てた。

 まさか、返事が来るなんて思っていなかった。

 返事さえこなければ、あと数日は「あのDMに返事がくるかもしれないから」と、検索して出てくる「闇バイト」募集の投稿を、見て見ぬふりができたはずなのに。

 失望と絶望の目で、恐る恐るスマホの画面を見る。


 

 

        *

 



「はいはい、あなたが新人さんね。私はカナノです。今日はよろしく」

 今、俺の目の前にいるのは、白髪の混じった短髪の、初老のおじさんだった。


 この人はカナノさん。

 今日、俺と一緒に「闇バイト」をする仲間、のようだ。結構歳の取った人もやるんだな、と思った。

 紺色の作業服は少しくたびれて、膝や肘はところどころ擦り切れている。


 待ち合わせは、何故か天文台だった。

 天文台は、俺の自宅から二時間もかかる場所だ。そこで待ち合わせと言われて、即座に断ろうと思った。

 けど、アポ取りのために電話してきた、名も知らぬお姉さんの声がかわいくて、ほだされてしまった。わかっている、俺は本当に馬鹿なのだ。

 

 街から離れ、歩いていける程度の高さの山のてっぺんにある、天文台。

 見晴らしがよくて、綺麗な場所だった。天文台の施設の前には、公園のような開けた空間があり、そこにはベンチが二つ、並んでいる。そのうちの一つに、俺は座っていた。

 

 閉館時間間近の天文台は、職員が通用口から出て行く。通用口を出た職員が、天文台へ向かってくるカナノさんと挨拶を交わしていた。

 天文台の職員かと思っていたのだが、カナノさんは真っ直ぐ俺の座るベンチに進んできたので、思わず立ち上がってしまった。

 

 カナノさんは天文台の設備から、大きなバケツに入ったデッキブラシ数本と、「闇」と堂々と書かれたポリタンクを五つほど持ってきた。そして、ブラシを一本、俺に手渡してくる。手渡されたデッキブラシは、重くもないが軽くもない。

 

 このデッキブラシで、どうするのだろう? 武器にするには、心許ない。

 

 カナノさんは、バケツに「闇」と書かれたポリタンクの中身をあける。その瞬間、注ぎ口からふわっと黒いもやが上がるが、すぐに収まる。

 カナノさんはバケツの黒い液体に、デッキブラシを突っ込む。そして、そのデッキブラシを俺に渡してくる。


「じゃあ、これね。このブラシで、隙間なく塗っていくの」

 カナノさんはあまり説明をしない。一日だけの付き合いだから、とはいえ、もう少しわかりやすく伝えてほしい。

 

「塗る?」

 デッキブラシを手に、俺はカナノさんに聞き返すしかない。

 

「ありゃ、マキちゃん、ちゃんと説明しなかったかー! あの子は仕事が適当なんだよね。ったく」

 カナノさんは大袈裟な溜め息をついて、カナノさんが使うデッキブラシをバケツに突っ込んだ。

 聞き取れないぐらいの音量で、ぐちぐちと何か言っている。

 たぶん、マキちゃんというのは、電話対応したかわいい声の女の子のことらしい。そして、仕事がとても雑みたいだ。


「空ってさ、夜になると暗くなるじゃない」

 そう言うと、カナノさんは空に向かって、デッキブラシをぶんぶんと振る。塗るというより、振り回しているだけだ。

 空が暗くなるのと、このデッキブラシやカナノさんが何の関係があるのだ、と思った。


 でも、その疑問は一瞬で、強制的に解決した。


 カナノさんが黒い液体がついたデッキブラシを一振りすると、空の色が薄っすらと暗くなる。


 デッキブラシの先から、ふわりとした黒い靄が立ちのぼった。

 カナノさんがブラシを振るたび、暗めの青色が空を覆い尽くす。

 

 暗い青と、夕暮れ時の橙の境目をきっちり分けないように、繊細なタッチでカナノさんのデッキブラシが染めていく。

 

 夜の闇は、まさか人力で作っていたのか。いやまさか。ファンタジーにも過ぎる。

 

 俺は信じられず、ボーッと空を見上げているしかない。

「こら新人! 塗ったところをもっと暗くしていかないと! グラデーションじゃなくなっちゃうだろ!」

 カナノさんは、少し怒っているようだった。

 俺は慌てて、カナノさんが塗っていった場所を上塗りしていく。すると、夜の色はどんどん濃くなっていった。

 このデッキブラシと液体は、宙をひと撫でするだけで、広い範囲を一定の濃度で塗り潰せるようだった。


「おーい新人、なかなか上手いじゃん」

 カナノさんが俺を見て、にこにこと笑う。少年みたいで、なんだか憎めない笑顔だった。


 褒められたからといっても、塗る手を止めるとカナノさんはすぐ怒る。俺はせっせとカナノさんが塗ったあとを、上塗りしていった。

 

 とにかく夢中で、空を塗り潰していると、いつの間にか、塗る場所がなくなった。

「ほれ、そろそろ休憩だ」

 カナノさんが俺の肩を叩いて、声を掛けた。

 やっとデッキブラシを下ろした俺の目の前に見えたのは、眠れない夜にいつも見る、真夜中の空の色だった。

 

「綺麗っスね」

 どれだけ塗り潰しても、星は隠れない。キラキラと輝く光は、どれだけ塗っても貫通してくるのだ。

 天文台という、星空を眺めるには絶好の場所にいて、俺は空を見上げて惚れ惚れしていた。


「不思議だよなぁ。なんか、天文台の人に言わせると、星の光って進むのに一年かかるらしいじゃん? だから今見えてても、もう存在してない星かもしれないんだって」

 カナノさんは、この仕事をしている関係で、天文台の人と仲がいいらしい。


 今までは天文学なんて縁遠い仕事をしていたから、天文台の人から聞く話は新鮮で面白いのだという。

 かく言う俺も、カナノさんの話を聞いて、星の奥深さに思いを馳せてしまう。

 

「あの、夜明けはどうやって切り替わるっていうか……」

 暗く塗り上げた空を明るくする、その作業をなんて表現するのか、言葉が思いつかない。出てきた質問は、たどたどしいものになった。

 

「あぁ、空を明るくするのは、暁バイトさんよ」

 カナノさんは天文台の外にある自販機で買ったコーヒーを飲みながら、にこやかに言葉を返す。


 俺は、カナノさんが発した「暁バイト」という単語に、吹き出してしまった。

 

「このバイトもそうですけど、こういうのって、バイトでやる仕事じゃなくないっスか?」

「いやぁ、こんなの下っ端の仕事だよ」

 カナノさんは大真面目に、この仕事が下っ端の仕事だと言う。

 なら、この仕事の上の方にいる人間は、どんな仕事をしているのだろう。天候を変えるとか?

 

 カナノさんはコーヒーを飲み干して、背伸びをする。はぁ、と深く息を吸い込んで、俺に話しかける。

「拘束時間長いけど、ここはずっと塗るだけでいい現場だからね」

「あの……カナノさんは、この仕事、何年くらいやってるんですか?」

「5年くらいかな、週7で」

「週7⁈」

 ということは、昨日見た夜空も、一昨日の夜空も、そのまた前の日の夜空も、ずーっとカナノさんが塗った空だったのだ。

 

「慣れたら楽だし。あとね、俺、北極圏で仕事してみたいんだわ! 白夜! あれが起きるエリアは塗らなくて済むから、その時は羨ましいよね」

 カナノさんはワクワクした顔で白夜が起こる北極圏の話をする。

 でもきっと、北極圏の夜は日本に住むカナノさんや俺にとっては、ものすごく寒いんだろうな、と思う。

 



         *




 明け方近くなると、「闇」と書かれたポリタンクの液体ではなく、何も書いていないポリタンクの液体を、「闇」の液体が入ったバケツに注ぐ。


 注ぐと、バケツの中の黒に近い紺色の液体から靄が上がるが、すぐに静まる。液体を混ぜ合わせると、キラキラした黄色の光が散りはじめる。

 カナノさんいわく、これは色を薄める水みたいなものらしい。でも、水じゃない。

 

 少し薄めた「闇」を、端っこから塗り直していく。塗り始めたところから、明るい赤みを帯びた橙色が少しずつ強くなっていく。


「あぁ、暁バイトさんたちだ」

 カナノさんは、空の端っこを指差す。

 薄めた絵の具みたいな液体で塗ったところを、あざやかな橙色が塗り替えていた。

 

「暁バイトさんは忙しいよー? 暗いところを明るく塗らなきゃいけないからね」

 暗い色を、明るい色で塗り直すのは大変だろう? とカナノさんが付け加える。


 小学生の頃、図工でやった絵の具絵の記憶を思い出して、俺は頷いた。

 

 色塗りに失敗した俺は、濃い色の部分を明るい色で隠そうとして、グラデーションを無視して、水で溶かない絵の具そのものを塗ってごまかした。


 俺の人生は、いつもそうだ。


 暗いところに蓋をしようとして、何も問題ないですよと言い張る。でも、バレバレなんだ。

 

 闇バイトなんかに手を出そうとして、こんなことに気づかされるんだから。


 そんなことをボーッと考えていると、カナノさんに怒られる。

 暁バイトたちが空を明るくするには、こちらが暗く塗った色を、違和感なく薄めていかなくてはならないのだ。


 明け方はほぼ、息切れしそうな勢いで、塗り直し作業に追われた。

 カナノさんが言うには、暁バイトは闇バイトよりも人数が多いらしい。明るくなるスピードが半端じゃなかった。


 暁バイトが塗り替えていった空は、綺麗な橙色で、顔を出した太陽を美しく映えさせていた。


 天文台のベンチから見る朝空は、とても綺麗だ。


「このバイト、名前が悪いっスよ」

 朝焼けの中、隣に座っているカナノさんに話しかける。

 カナノさんは疲労困憊といった様子で、朝の太陽を力なく見つめていた。

 

「いやぁ、夜勤って言うと、人が来ないんだって。闇バイトって名前だと、なんか応募くるから」

 カナノさんは苦笑いして、俺に顔を向ける。

 俺も、その「闇バイト」の名称につられた一人だ。見抜かれた気がした。

 

「でも、募集見て来た人なのに、時給が安すぎるってみんな辞退しちゃう」

「それ絶対、闇バイトって名前のせいっス」

 時給は、まぁ、居酒屋よりは高かったから、そこは良しとして。闇バイトを求める層には、響かない値段だと思う。

 

「で、新人くんは、明日も来てくれるかな?」

 半信半疑といった顔のカナノさんは、薄く笑って尋ねてきた。

 

「あぁ……まぁ……大丈夫、です……交通費を当日、出してくれるなら……」

 カナノさんの問いには、あまり乗り気じゃない返事をした。

 カナノさんは、「あ、そーぉ?」と、薄く笑っていた。俺が明日来るのか来ないのか、半信半疑な気持ちが、この表情にしたんだと思う。


 でも、明日、俺は必ずここに来るだろう。


 久しぶりに、もしかしたら初めてじゃないかと思うくらい、楽しかった。


 俺とカナノさんが空を塗って、世の中に夜が来ているなんて、最高にロマンチックで、ファンタジーじゃないか。


 黒に近い紺色の空を貫く星の光は、綺麗だった。

 それを知っただけ、前の俺より、今の俺は前に進めている気がする。


 今の俺には、たぶん、この仕事が合っているんだ。


 

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