第38話悩み

 志文は見てしまった。

 顔面にボールが直撃した零を送り出した数分後。やはり心配になった志文

は保健室へと足を運んでいた。脅かしてやろうと息を潜めて扉の前に張り付いたその時、聞こえてきたのは佳織の声だった。


 志文は二人が親しい仲だというのは知っていた。話を聞くには少なくとも普通の友達以上の関係値であることも把握済み。それだけに志文は二人の会話に聞き入っていた。

 談笑する二人の姿は実に仲睦まじいものだった。恋愛脳な奴が見ればそういう関係だと勘違いしてもおかしくない程には楽しげだ。

 

(…やっぱり)


 志文は零ほど鈍感ではなかった。佳織の顔なんていつも眺めているから分かる。彼女が零に向ける表情は恋する乙女のそれだった。

 志文は分かっていた。分かっていながら心の何処かで否定していた。だが、氷織零という人間が柊佳織にとって特別な人間であるという事実はどう足掻いても覆しようのない事実。目を背けようにも、眼の前の現実が全てだった。


 志文は静かにその場を離れた。体育館には戻らず、渡り廊下で停止する。

 自分の身の丈には合わない恋だったのかもしれない。思えばこれも上履きの件から始まった奇怪な縁だったが、全て自分に対する罰なのだ。志文は自分に言い聞かせる。昔から狡い手を使うことが多かった彼だったが、ここでツケが回ってきたとも言えよう。

 

 今回の球技大会で活躍したところで現状は変わるのだろうか。自分が佳織の隣にいる未来は見えるのだろうか。志文は自問自答を繰り返す。ぐるぐると渦巻く感情の中で彼は苦悩した。

 その中で彼が出した結論は実に単純なものであった。


▽▼


「氷織、俺と勝負しろ!」


「…はい?」


 唐突な言葉に俺は疑問符を浮かべた。今にも果し状を叩きつけてきそうな気迫の志文はその瞳を俺にまっすぐに向ける。弁当を食べている途中だった俺は思わずミニトマトを床に落としてしまった。

 志文になにかした心当たりの無い俺はただ疑問符を浮かべるばかりだった。


「今度の球技大会、どっちが活躍するか勝負だ!」


「…はい?」


「同じ反応をするな!言っておくが、強制だからな!」


「おいおい待てよ志文。一体どういうことだ?零と勝負しても、なんにもならないぜ?」


 正宗が仲裁に入ってくれるが、志文は断固として譲らない様子だった。まさか小学生のように理屈の無い勝負を挑んでくるはずもないだろう。となるとなにか理由があって俺に勝負を挑んできている。それも、かなり念というか、それなりの思いが生じるものだ。

 志文にとって決して譲れないもの。そんなの、俺でも見当がつく。


「…俺より活躍すれば佳織が振り向いてくれるってか?」


「そうだ。お前より活躍して、俺は佳織さんに告白する!」


「…なぁ志文、それって争う必要あるのかよ?別に二人で協力して戦えばいい話じゃねーの?チームが乱れるぞ」


「…俺は氷織に勝たなくちゃいけないんだ。そうじゃなきゃ佳織さんは振り向いてくれない」


「意地でも譲らねぇってか…零、お前もなんか言ってやれよ」


「…いいんじゃねーの?元から上履き窃盗するような奴だ。言って聞く奴じゃない」


 正宗は納得がいっていない様子だった。多分、俺のことを思って志文を止めてくれていたのだろう。こいつはそういうところがある。案外人思いなのだ。


「いいか?これは男と男の勝負だ。泣き言は無し、だ」


「あら、誰に勝負を挑んでいるのかしら?」


 俺の背後から顔を覗かせたのは瑠璃さんだった。愉快そうに、それでいて不快そうに、光の無い瞳を歪ませて笑顔を浮かべている。


「私の零くんに勝負を挑もうなんて愚か者もいいところね。前の一件で学ばなかったのかしら?」


「っ、俺は、氷織に勝つ。勝たなきゃ、勝たなきゃいけねーんだ!」


 志文はそう吐き捨てると屋上を飛び出していった。好きなだけ吐き出して勝手な奴だ。

 残る政宗のため息と瑠璃さんの殺気。事態の悪化が免れないことが既に確定している空気だった。


「…恋ってのは厄介ね。人を無謀にさせる。人に罪をなすりつけた挙げ句、恋路も手伝わせて、その果てに勝負って、どんな神経してるのかしらね」


「…ま、いいんじゃないですか。俺もああいう時期があったんですし。俺なんかと勝負して諦めてくれるならそれでいいです。…それで、後悔しないなら」


「お前、案外面倒見がいいよな。俺だったらあんな奴の相手なんてまっぴらだぜ?」


 俺は志文からは強い"匂い"を感じている。敗戦が匂う、負け戦の匂い。ここ最近で俺もそれが分かるようになっていた。

 万が一佳織が振り向く可能性はあるのだろうか、と考える。それは無いだろうと言い聞かせているのが現状だ。 

 確かに志文は人に罪を擦り付けるようなクズ野郎だし、藪から棒に勝負を仕掛けてくるような奴だ。しかし、俺の頭の中にこびりついている『恋は不規則』という言葉が思考に余地を与えてくる。


 俺はただ恋路の手伝いを頼まれた部外者。佳織はただの友達だ。だったら、この釈然としない感情はなんなのだろうか?結論づけるにはまだ、時間がかかりそうだった。

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