第34話追跡

「私、好きな人がいるんだ」


 私が生まれて初めて敵わないと感じた人の言葉だ。憧れの先輩で、いつかはあの人を超えてやろうという願望に近い目標にしていた人。

 初めて聞いたときは驚いたというよりも戦慄した。こんな人を惚れさせる人間がいるのかと。こんな人でも恋に落ちるのかと。

 名前を聞くまでは他人事のように思っていた。聞いてからは、なんとなく納得した。あの人ならやりかねない。やるとしたらあの人だと思っていたから。

 納得と共に深く絶望した。この人に適うわけがない。逆にこの人以外を選ぶことなんてあるのか?と疑問になるぐらい。


「…零くん、彼女できたんだって」


 ひどく悲しい声でポツリと呟いていたのを覚えている。悲しみに暮れた柊さんの顔はそれでも美しかった。

 二度目の絶望はひどく深く、私の心の痛いところに染み込んできた。いつまでも足踏みをしていた自分をひどく罵ったのを覚えている。

 それと同時に私は投げやりに責任転嫁して先輩も罵った。なんでだよ。なんであんな恋する乙女を放っておいて他の人を彼女にできるんだ。馬鹿なのか?いい加減にしろよ。

 あの人が勝てなかったら誰が勝てるんだよ。

 私にはもう、無理なのかな。

 本当に馬鹿。馬鹿馬鹿馬鹿。なんで、なんで。

 そんな絶望に長く浸っていた。先輩が浮気されたって知った時はかなり憤りを感じたけれど、それと同時にチャンス…だとは思わなかった。きっとあの人が先輩の隣を取る。あの人なら、きっと。そう思っていたのに。


(この男は何をしとるんじゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!)


 苦虫を噛み潰したくなるような気分だ。学園から帰ろうと外に出たところで目にした先輩の隣にはなんとあの光ヶ原先輩がいた。あろうことか手を繋いで歩いている。


(急に振り向かせたい人がいるとか聞いてきたかと思えばやっぱりそういうことかよ!手ぇ繋いでやがるし!恋人繋ぎだし!)


 前々から掴みどころの無い人だと思っていたがまさか先輩を狙っていたとは。

 思えば、先輩の浮気騒動の時に光ヶ原先輩が私のところに来たのも、お礼を言ってたのも全ては先輩を落とすための一連の流れ…?何処までが計算済みなんだこの人…!

 電柱やら看板やらに身を隠しながら先輩達と後を追っていく。


「零くん、私の事好き?」


「はいはい好きですよ」


「あら、じゃあ私達両思いね」


(イチャつくなアホが!!!)


 二人の会話を盗み聞くに、既にある程度の関係値まで進んでいるようだった。この朴念仁、やることやってやがったのか…!

 二人の後をついていくと、スーパーに辿り着いた。二人はカゴを取ると奥へと入っていく。私は人影に身を隠しながら後を追った。


「零くん、今日は何を作ってくれるの?」


「売ってるもの次第っすかね。あんまり期待しないでください。大したものは作れないので」


(何を作る…?まさかこいつら、今晩は一緒にディナー!?)


「…ん?」


(っ!やっば…)


 あまりの驚きに身を乗り出しすぎたためか、光ヶ原先輩が振り向いた。咄嗟に近くにあった商品棚の影に身を隠す。可能な限りバレないように息を潜めた。


「…?どうしたんすか?」


「いえ、なんでもないの。ちょっと視線を感じたような気がしただけ」


(あっぶね、気づかれるところだった…尾行に気づくとか、光ヶ原先輩何者だよ…)


「…瑠璃さんのファンとか?」


「さぁね。なんにせよ好都合だからいいけど」


 先輩達はあまり深追いはしてくることはなく、私は止めていた息を口から開放した。

 助かったと安堵したのも束の間、離れていく先輩達の背中を追った。

 

「これ買うの?こっちのほうが良さそうじゃない?」


「こっちほうが安いんですよ。金銭的な話です」


「私カードあるけど?」


「…こんなところで使ったら騒ぎになりますよ」


 黒光りするカードをポケットに押し込んだ先輩は苦い笑いを浮かべた。

 二人の姿を見ていると、なんだか心がムズムズする。敗北感というか、焦燥感というか。このまま大人しく見ていていいのかという悶々とした疑問が湧いてくるのだ。

 本当ならば今にでも不あたりの関係を問い詰めたいところだが、そうはいかない。問い詰めたところで光ヶ原先輩が逃がしてくれるとは思えない。今の私にできることはできるだけこの光景を目に焼き付けておくことだ。なにもできなかった敗者にしか見ることのできないこの景色を。


(…改めて考えてみると惨めだな)


 会計を済ませた二人はまたどこかへ向かって歩き出した。今度は荷物を二人で持ちながら談笑している。


(…私がもう少し素直になれてたら、あんなふうになってたのかな)


 今更何を思ったところで負け惜しみだ。現実は変えようが無い。


(…私、何してるんだろ)


 途端に私は虚しさに苛まれた。二人の後を追ったところで、今の私にはなんの変えようも無いのに。


(…帰ろ)


 私の足は自然と反対方向に向いていた。

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