第33話目撃
「零くん、帰りましょ」
下駄箱前までやってきた俺に声をかけてきたのは意外にも瑠璃さんだった。
瑠璃さんは放課後になるとふらっとどこかへ姿を消し、いつのまにやら俺の家にいるのが流れとなっている。彼女がこの時間帯に学園にいることが珍しい事態だ。
瑠璃さんは上履きをしまって外靴に履き替えると、俺の隣へと駆けて来る。
「瑠璃さん、今日はまだいたんですね」
「えぇ。今日も先回りしておこうと思っていたのだけれど、少々事情が変わったの」
「事情?」
「えぇ。愛しの零くんが一人で帰ってる姿が見えたからね」
目配せした瑠璃さんはわざとらしく照れた様子を魅せる。実に彼女らしい理由だ。
今日は佳織が生徒会の手伝いで不在のため一人での帰宅になるかと思われたが、どうやら愉快な人がついてきてくれるらしい。
こうして瑠璃さんの隣に男がいると軽く騒ぎになることが多い。何しろあの瑠璃さんだ。またフラれるんだだの、しつこい奴だの、いろんな噂が立つ。それも俺とて例外ではない。
「おい、あれ氷織だ。また瑠璃さんと歩いてる…往生際の悪い奴だな」
(まだフラれてねぇよ)
「ぐぬぬ…誰の許可を得て瑠璃さんの隣を…!席が隣だからって調子に乗るなよ…」
羨望。怨念。執念。様々な感情が入り混じった視線があちこちから飛んでくる。その大半は瑠璃さんのファンからのものだろう。流石の人気だ。
「あぁ、零くんの隣を歩く私に羨望の眼差しが飛んできてるわね。実にいい気分よ」
「多分違うと思いますよ…大半瑠璃さんのファンですし」
「あら、そうなの?それでもいいわ。私が零くんの隣にいる事を誇示しておかないと」
照れたり喜んだり忙しい人だ。この人の感性は俺じゃ計り知れないものがある。俺を使って遊んで楽しいのだろうか?被害被るのは俺なのに。
「ねぇ零くん、手繋ぎましょ」
「…断ってもするんでしょう?」
「分かってるじゃない。流石ね」
差し出した手に瑠璃さんの小さな手が絡みつく。手を繋ぐと言ってもいわゆる恋人繋ぎというやつだ。指と指が一本ずつ歯車と歯車のように絡み合う。
抵抗はしなかったものの、その気恥ずかしさは拭えない。お前彼女いたのに手をつなぐことも慣れてないのかよって?そうさ。俺はこういうのに非情に弱いんだ。平凡な人間さ。
「ふふ、美味しそうな耳ね」
「やめてくださいよ…俺で遊んで楽しいんですか?」
「遊んでるわけじゃないわ。好きな人と触れ合いたい。恋する乙女の純情にしたがって動いてるだけよ。…言ったでしょう?私は本気なの」
刹那に見せた真剣な横顔を見て俺は先日の夜の出来事を思い出す。瑠璃さんと添い寝した時だ。あの時も聞いた『私は本気だ』という言葉。その意思表示を聞いたあとでは今までの一連の流れもなんだかとてつもなく気恥ずかしくなってくる。この人よく正気保っていられるな。
「ふふ、そこまで照れられると私まで照れちゃうわ。可愛い人」
「しょうがないでしょ…相手が、が、学園一の美少女なんですから…」
「…零くん、それ私以外に禁止ね」
「え、な、なにが」
「いいから。それ、禁止」
瑠璃さんは俺の口元に人差し指をあてがう。これ以上の言及はしても無駄だということらしい。怒っている時とも、嫉妬している時とも違う謎の迫力に俺はそれ以上の言葉は飲み込むことにした。
「…ところで零くん。最近はあの下品な男と剣崎くんといることが多いわね。何を企んでいるのかしら?」
瑠璃さんは流し目で俺に問いかけてくる。やはりあの誤魔化し方では少々強引過ぎた。瑠璃さんのことだから事態の大方のことは把握しているのだろう。それでも俺は無難に足掻くが。
「別に大したことじゃないですよ。球技大会の話とか、です」
「ふ〜ん、球技大会で優勝して何をしようっていうの?」
「…知ってるんだったらそう言ってくださいよ」
「ふふ、少し試したのよ。私にどこまで隠し事をするのかって。正直でよろしいわ」
とことん分からない人だ。この人にはいつまで立っても敵わない気がする。
「…けれど、分からないわね。あんな奴の恋路を?よりによって相手は柊さんよ?…それでもいいの?」
「…残念な事いいますけど、佳織はきっと告白を断ります。誰の告白も受け付けないのが今の佳織です。志文もフラれたら流石に身を引きますよ」
「…零くん、恋というのは不規則だから恋なの。予測不可能な展開が繰り広げられることが大前提の心理戦。恋に絶対は無いわ。もし、柊さんが告白にOKを出したら?貴方はそれでなにも思わないの?」
それは今まで考えたことのない可能性だった。恋とは不確実。分かりきっている事実だというのに俺は失念していた。
だからと言ってなんだ、と返そうとした俺の中に得も言えない感情が湧き出た。表現し難い、不安とも怒りとも言えない複雑な感情だ。
「なにかがあってからでは遅いのよ。今やれることを精一杯やりなさい」
俺はいつの間にやら佳織に対して複雑な感情を抱いていたらしい。恋とまでは行かずとも、特別な感情だ。俺がもう少しだけバカだったら恋だと勘違いしていたかもしれない。
それだけに俺は不思議だった。
「…いいんですかこんな事言っちゃって。俺が他の女のところに行っちゃうかもしれないっすよ?」
「大丈夫。私には自信があるの」
「自信?」と聞き返すと、瑠璃さんは深く頷いた。
「貴方は最終的に私のところに戻って来る。絶対よ」
瑠璃さんはきっぱりと言い切った。いつものように軽く微笑んだ口元からは自信が汲み取れる。
この人はつくづく読めない。一体どんな事を考えて、何を思っているのやら。一見敵に塩を送っているようなこの行為も、彼女には織り込み済みらしい。
「どうでしょうね。そう言われたら離れたくなっちゃうかも」
「ふふ、そうなったら私が追いかけるだけよ。私は追いかける恋が好きなの。零くんは?」
「俺はまぁ…どちらかと言えば追いかけられる方が好きですけど」
「あら偶然。私達相性バッチリね。運命共同体よ」
どこまでが計算済みなのやら。恐るべし光ヶ原。
「暗い話題はやめましょう。ねぇ、今日の晩御飯は何がいい?」
「たまには俺が作りますよ。…スーパー寄って行っていいですか?」
この時の俺はまだ知らない。この感情が導く結果を。群衆の中から一層鋭く突き刺さる視線を。
「むむむ…」
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