第22話勘違い

 佳織の上靴の一件がなんとか収まり、学園はいつもの落ち着きを取り戻していた。 

 あれからどこにあったのだのどうやって見つけただの質問攻めに遭うことになったのだが、瑠璃さんの的確な助言もあってなんとか誤魔化すことができた。それでも一部のファンには嗅ぎ回られて厄介な目に遭ってしまったのだが。

 

「零くん、ちょっといい?」


 HRが終わったところで佳織が俺の元にやってくる。ちょいちょいと手招きをしている様子から察するに、なにか話したいことがあるらしい。俺は黙って頷いて席を立つ。佳織の後を追ってそのまま教室を出た。


 佳織の足が止まったのは科学室の横の空き教室だった。どうやら鍵はかかっていないようで、二人で中に入る。元々この教室は準備室として使われていたもので、6畳程とあまり広くはない。準備室の名残として若干の薬品の匂いが漂っている。

 俺と佳織はそれぞれ空いている丸椅子に腰掛けた。

 先に口を開いたのは佳織だった。


「いやぁ〜、今日は災難だったね…大丈夫だった?」


「なんとかね。…何人かのファンには付け回られたけど」


「そっか。ごめんね、なんか迷惑かけちゃって」


「いやいや、迷惑をかけたのはこっちのほうだ。佳織が謝る必要はないだろ」


「そうかな?…そうかも」


 人気者が故に身の回りのことは何かと大事になってしまうのはきっと佳織の中でも悩みの種の一つなのだろう。少しだけ申し訳無さそうな瞳がそれを物語っていた。


「…人気者は大変だな。少しぐらい肩代わりしてやれたら良かったんだがな」


「こうして近くにいてくれるだけで十分だよ。…それで、さ」


 にっこりとした笑顔を浮かべた佳織は今度は神妙な面持ちで問いかけてきた。


「…上靴、ほしい?」


「…はい?」


 人間強いショックを受けると言葉が出てこないものである。佳織の言葉に俺は数秒間の空白に苛まれた。

 思考が動き出したのも束の間、佳織が上靴を脱ぎだす。俺は急いで彼女の奇行にストップをかけると、まだ回路が混乱している思考を目一杯張り巡らせて言葉を並べ始めた。


「その、待て。…どういうこと?」


「零くん、私の上靴欲しいのかなって…私、零くんにならあげてもいいかな…」


 …成る程。そういうことか。考えたところ、佳織はどうやらまだ重大な勘違いをしているらしかった。どうりで俺を見る目もよそよそしかったわけだ。


「佳織、お前は勘違いをしてる。…靴を盗んだのは俺じゃない」


「えっ、そ、そうなの!?…じゃあ、瑠璃ちゃんが…?」


「そうじゃない。えっと、なんて言ったらいいかな……俺は瑠璃さんにあれを手渡された。瑠璃さんは見つけてくれたんだ。犯人は俺も分かってない」


 俺は佳織には志文のことは伏せておくことにした。動機はクズそのものであったが、彼を土下座させておいてこの仕打ちは酷いと感じたからだ。あそこで土下座しない男だったら即刻担任の教師に告げ口していた

 佳織としても不安の種が増えるのは困るだろう。彼女の心身的な面を考えても伏せておくべきだ。俺はそう判断して会話を続けた。


「そ、そっか。私てっきり零くんが上靴盗ったのかと」


「そんなことすれば、お前のファンに滅多打ちにされて、俺の居場所は無くなって学園生活終了だ。そんなの御免だね」


「…そうなれば零くんは一人?」


「え?…あ、あぁ、そうなるな」


「…ふふっ、そっか。それも悪くないね」


 ゾッとするような笑みだった。普段の明るくフレンドリーな彼女の影などどこにもない。化けの皮が剥がれて中身を見てしまったかのような不快感。それでいて俺の視線は彼女に引き寄せられていた。不思議な魅力というものは存在している。やはり、彼女は俺の知らないなにかを…


「…冗談だよ。冗談。本気じゃないから」


「…そ、そうか。変な冗談はやめてくれ」


 気づけば冷や汗でぐっしょりだった。佳織が時折見せる異常な雰囲気には毎度気圧されている。その正体に掻き立てられる好奇心は収まってはくれない。だた、振れたはいけないものだと分かっているから抑えられているだけで。

 一息ついたところで俺の手に生暖かいものが被せられた。黒く、薄く、そして少しだけ湿っぽい。まるで人肌のような…


「…っ!?」


 声に出せない驚きに俺は喉に言葉を詰まらせた。俺の手に被せられていたのはソックス。それも、佳織のだ。俺がなぜそう判断したかというと、目の前に驚くほど美しい生足が見えたからだ。

 スマートでありながら艶やかな細い足。降り積もる雪を思わせる白い肌。触ってしまえば崩れてしまいそうだと感じてしまう儚さを孕んでいるが、それでも触りたくなってしまうような魅力を兼ね備えている。まさに宝石のような肌だった。


「それ、あげる。私のだから。…もう一ついる?」


「い、いい!なんでこんな…」


「零くんに”私”の一部をあげたかったから?…それじゃあね」


 大胆な行動の割には蛋白な会話だった。佳織は俺の言葉に聞く耳を持たずに去っていく。俺の手元には佳織のソックスが残る。まだ彼女のぬくもりは残ったままだ。

 

(こんなもの、どうしろと…)


 こんなもの持っていては佳織のファンに何を言われるかわかったものではない。かといってここに置いていくのはいろいろとまずい気がする。葛藤の末に俺はソックスをポケットにしまいこんだ。

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