第19話坊主

 少し湿っぽい雨の日。俺はあいも変わらず学園に登校した。

 最近は少しずつ夏の暑さも顔を覗かせてきており、制服も袖の短いものへと変わった。傘に当たる雨粒の音を聞きながら校門をくぐった。


 教室にやってくると、何やら騒がしい様子だった。いつぞやの騒ぎを思い出す程のざわつきだ。俺は席につくと、あたりを見回す。皆の視線の集まる先はどうやら佳織の席のようだった。


「上履きが無くなったんですって。今時あるのねこういう事」


 隣で瑠璃さんがため息混じりに言った。

 佳織の足元を見てみると、履いているのは上履きではなく来客用のスリッパ。どうやら上履きが無いというのは本当らしかった。

 俺は黙って佳織を見つめるだけだった。瑠璃さんの言う通り今の時代に上靴がなくなるなんて事あるのか、と。


「すぐに見つかるよ!きっと誰かが間違えて持って行っちゃったんだよ!」


「そうか?…ひょっとして、誰かがわざと持ち帰ったんじゃ…」


「そんなわけないだろ!やるにしたって、一体誰が…」


 教室では様々な憶測が飛び交っていた。誰かが間違えって履いている説。もの好きな人が狙って盗んだ説。その説は様々であるが、佳織の人気を考えれば誰かが盗んだという説は否定しづらいものであった。


「…誰がやったんでしょうね。佳織のファンとか?」


「さぁね。どこの愚か者がやったのかは知らないけれど、バレるのも時間の問題ね」


「…?瑠璃さん、なにか知ってるんですか?」


「知ってるわけではないけれど、あれを見なさい」


 瑠璃さんは顎で廊下の方を指した。目を向けてみると、血眼になって至る所を嗅ぎ回っている集団が目に入った。


「アレは佳織さんに一発狙おうとしてるファンたちよ。ここだけじゃなく、学園中を探し回ってるわ。犯人は集団なのか単独犯なのかは分からないけれど、あの監視の目を掻い潜るのは至難の業ね」


「もう大事件じゃないっすか…」


「零くん、おはよ」


 パタパタと音を立てながら佳織がやってくる。本人は上靴の件をあまり気にしていないのか、いつも通り明るい笑顔で俺に挨拶をしてくる。


「おはよう。…朝から大変なことになってんな」


「あはは…別にあんまり気にしてないんだけどね。スリッパあるし」


「お前の人気あってこそのこの騒ぎなんだろ。…心当たりとか無いのか?」


「う〜ん、昨日は普通に下駄箱にしまったんだけどなぁ…朝に見てみたら無くなっちゃってたんだよね」


 佳織はまるで他人事のように話す。本人としては気にしていないらしく、周りの影響で大事になってしまっているらしかった。クラスのマドンナの上履きが盗まれたと考えれば当然と言えば当然だが。


「誰か、自分を狙ってる人で心当たりは?」


「えぇ?…先週たしかサッカー部の水無月先輩と一年の折田くんに告白されたけど…」


「怪しいのはその二人ね。当たってみましょう。頼んだわよ零くん」


「なんでその流れで俺だけなんですか。瑠璃さんも手伝ってくださいよ」


「私は私で忙しいのよ。二人ぐらいは余裕でしょう?」


「んな投げやりな…」


 瑠璃さんは俺の返答を聞く前に席を離れた。一人仕事を丸投げされた俺はほうっておくわけにもいかなかった。


「…零くん、無理に探さなくても大丈夫だよ?すぐにきっと見つけるし、見つからなかったら買えば…」


「いや、探すよ。赤の他人ならまだしも、被害者がお前だ。見ないふりなんてできるか」


「そ、そっか。その、手伝える事あったら私にも言ってね!」


 そそくさと去っていく佳織の背中を見て、俺は捜索を始めようと決意するのだった。


▽▼


「てなわけで…」


「折田…?」


 まず俺は合歓垣の元へと向かった。交友関係の広い合歓垣なら折田のことも知っているだろうと踏んだからだ。

 合歓垣は折田の名前を何度が呟きながら記憶を探っている様子だった。


「…あぁ!折田おりた玲無れむくんっすね!へー、あの子意外とプレイボーイなところあるんっすね」


「その折田が怪しいって言われてるんだけど…なんか怪しい動きとかしてなかったか?」


「別にしてないっすよ?あの子そういう事する子じゃないと思いますし」

 

 一人目はどうやらハズレのようだった。合歓垣の人を見る目は確かだ。彼女の気に入らない芸能人は大体不祥事で消えていっている。そんな彼女が言うのだから疑う余地は無いだろう。


「…先輩、なんで柊先輩の上履き探してるんですか?もしかして犯人見つけて自分のものにしようとしてます?」


「なわけあるか。あくまで友達として探してるだけだ。困ってるのに放っておけるか」


「…私のことは放っておくくせに」


「え?なんて?」


「なんでもないです!早く次の人のところ言ってください変態!」


 じゃじゃ馬の如く暴れる合歓垣に追い出されるように俺は次の場所に向かった。


 ▽▼


「失礼します」


 木造の古い扉を二回ノックして中に入る。中では一人の女子生徒が机に腰を預けて佇んでいた。


「やぁ零。久しいね。私に用事とは何かな?…もしかして、生徒会に入ってくれる気になったのかい?」


 「残念ながら」と紘会長に首を振る。少し残念そうに肩を落とした会長に俺は続けた。


「サッカー部の水無月先輩について聞きたくて。…ここ数日、何か変な行動はしてませんでした?」


「水無月くんかい?別に特にこれと言った行動はしていないが…なぜだい?」


「佳織の上履きが紛失したんです。だからここ数日関わった人について調べてて…」

 

 佳織の件を聞くのは初耳だったのか、会長は目を見開いた。


「佳織の上履きが?…もの好きな人間もいたものだ。彼女の上履きなんて取って何をするんだか。私の方でも探してみるよ。なにか手がかりがあるかもしれない」


「ありがとうございます。…ところで、それは?」


 俺は会長の影に隠れた書類の山を指さした。会長はよくぞ聞いてくれたと言わんばかりの表情でそのうちの一枚を手に取る。


「これは学園の部活や委員会からの報告書さ。予算を増やせだの、問題行動が多いだの、いろんなことが記載されている」


「随分と量がありますけど…」


「あぁ。いつものことさ。と言っても、期限は今日の昼休みまでなのだが」


「昼休み!?なんで今まで溜めてたんですか!?」


「いやはや、気恥ずかしながら面倒くさくてね。…零、手伝ってくれないかい?」


「はぁ…仕事をためる癖は治ってないんですね。いいですよ。話を聞いてもらったお礼です」


「ありがとう。頼りになる後輩で助かるよ」


▽▼


「はぁ…」


 あれから会長の書類作業を手伝った俺は教室へと戻る廊下を歩いていた。あの人の仕事をためる癖はいつまで経っても治らない。この前の生徒会総会で副会長に叱られていたのが記憶に新しい。


「お〜い、そこのお前!」


 廊下を歩く俺に背後から声がかかる。振り返ると、坊主頭の男が一人こちらに向かって小走りでやってくるのが見えた。


「すまん、これ預かっててくれないか?」


「え、ちょ、ちょっと!?」


 男は小脇に抱えた包を俺に押し付けると、そのまま廊下を駆け抜けていった。一体何だったのかと呆然としていると、男が向かった方向とは逆の方向から血眼になった佳織の上履き捜索隊がやってきた。


「おい、お前この辺で坊主頭の奴を見なかったか?」


「え、あっちに行きましたよ」


「あの野郎…!」


 なぜだか知らないが、男は捜索隊に追われている様子だった。捜索隊はすぐさま男の向かった方向に駆け抜けていく。


「…なんだったんだ今の」

 

 再び取り残された俺は虚空に呟くのだった。

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