第17話帰宅

 エレベーターに乗り、4階のボタンを押す。あの後佳織と別れた俺はまっすぐに家に帰ってきた。家にいるであろう可愛い妹を待たせるわけにはいかない。寂しくて泣くこともあるぐらいだから放っておけないのだ。

 家の前まで来た俺はキーカードを出して扉を開けた。玄関には玲奈のものの他に光沢を見せるローファーが一つ。なんとなく察しはついていた。

 とある孤高のお姫様の顔が脳裏に浮かんだところでリビングの方から人影が近づいてきた。


「おかえりなさい零くん。ご飯にする?お風呂にする?それとも、わ・た・し?」


「玲奈で」


 俺は脇目も振らずに玲奈の部屋へと向かう。エプロンを携えた瑠璃さんの姿は実に眼福で合ったが、あんなのに付き合っていると大抵ろくなことにならない。まずはおそらく怯えて待っている玲奈の救出が先である。

 玲奈の部屋の前まで来た俺はドアを3回ノックする。反応が無いためさらに呼びかけてみることにした。


「玲奈、帰ったぞ、俺だ」


 呼びかけに応じて部屋の中からがさごそと物音が聞こえてきた。数秒経って、少し扉を開けて玲奈が顔を出した。


「おにい!」


 玲奈は俺の顔を確認するとすぐさま飛びついてくる。俺の胸元に顔を埋めてぐりぐりと押し付けてくる。小動物の求愛行動みたいで可愛い。


「おかえりおにい!この人また勝手に入ってきたんだよ!」


「愛する人の帰りを待つのは許嫁として当然でしょう?」


「なにが許嫁ですか。…ていうかどうやって入ったんです?ウチのマンションカードキー制なんですけど?」


「光ヶ原マジ〜ック」


 マジックで済ませて良い事態では無い気がするのだが。ますます光ヶ原家ってどんな家系なのかが気になってくる。

 学園では孤高の女王様。俺の前では愉快な女の子。出来ないことの無い光ヶ原家。この人に関する謎は深まるばかりである。


「零くん、お腹空いてるでしょ?ご飯にしましょう」


 俺は玲奈を連れてリビングに向かう。当然のように我が家でご飯を作っている瑠璃さんにツッコミを入れたい気分ではあったが、この人にはツッコミというものが通用しない。するだけ無駄だ。

 瑠璃さんは既に準備していたか、手際良く料理を並べていく。

 ハンバーグ、ポテトサラダ、白米、コンソメスープ、リンゴ。一汁三菜が揃ったバランスの良い食事だ。人の家で勝手に作ってるという点を除けば完璧な料理である。


「…相変わらずすごいですね」


「そうでしょう?さ、冷めないうちに食べちゃいましょう。玲奈ちゃんも」


 俺と瑠璃さんは手をあわせて食べ始める。玲奈も遅れて俺に異変を確認したところで食べ始めた。こいつ兄で毒が無いか試しやがったぞ。


「…!お、おいしい…」


「でしょう?これからは家族になるのだからたくさん食べさせてあげるわ」


「なーに変な事言ってるんですか。光ヶ原に婿入りとか冗談じゃないですよ」


 瞳を輝かせた玲奈は瑠璃さんの料理にときめいている様子だった。彼女の料理の腕は確かだ。俺も他人の手料理なんて普段は食べれないからか、瑠璃さんの手料理がすごく美味しいと感じた。


「どう?零くん」


「…おいしいですよ。勝手に家に入ってることを除けば完璧です」


「あら、零くんは私が嬉しくなることを簡単に言ってくれるわね」


 釘を刺したつもりだったが、どうやら光ヶ原の人間には効かないようだ。わざとらしく頬に手を当てながらキャッキャしている。この鋼の精神は一体どうやって形成されているのか。


「で、でも、おにいの料理のほうが美味しい!調子に乗るな、変な人」


「変な人、じゃなくてお姉様と呼びなさい。私は将来貴方の姉になる女よ」


「え!?お、おにいこの人と結婚するの!?」


「なわけないだろ…この人が勝手に言ってるだけだから、気にするな」


 玲奈は瑠璃の一言一句に目を白黒させる。その反応を見て瑠璃さんが楽しむというのがもはや流れとなっていた。大丈夫かなウチの妹…


「…ところで零くん。私怒ってるの」


 玲奈が混乱しないように訂正しつつ食べ進めていると、瑠璃さんが急に矢印を俺に向けてくる。言葉では言うものの、表情はそれほど怒っているようには見えない。多少ムスッとしているぐらいだ。


「俺なにかしましたか?」


「貴方、今日佳織さんとデートしてたでしょ」


 飲みかけていた水を思わず吹き出して咳き込んでしまった。瑠璃さんから差し出された高そうなハンカチで口を拭うと、彼女に問いかける。


「…デート?なんの話ですか。俺はただカフェに付き合っただけで…」


「年頃の男女が放課後に二人きりでカフェに行く。…これのどこがデートじゃないの?」


「…いや、だって佳織は別に」


「女友達だ、って言いたいのかしら?…残念ながら、その言い訳は私には通用しないわよ」


 俺の言葉を遮るように瑠璃さんが続けた。俺が口を拭ったハンカチをスムーズに懐にしまい込んで瑠璃さんは話を続ける。


「いい?零くん、貴方は今浮気されて彼女を失った一人の悲しい男子生徒。容姿は申し分無く、女子からの好感度は高い。…狙われてるのよ?」


「そんな、佳織が俺のことを狙ってるわけ…」


 その先に出るはずだった否定の句は喉につっかえて出てこようとしなかった。否定しようとすれば脳裏に佳織の顔が浮かんでくる。

 図書室で見た頬を赤らめた彼女の横顔はまさに恋する乙女の表情。それを記憶してしまっていたことが俺の否定の言葉を押し留めていた。


「否定出来ないでしょう?えぇ。そうなのよ。自由になった貴方は今、女子から狙われる存在なの。十二分に気をつけてもらわないと困るわ」


「そんな、俺を狙う女子なんて…」


「ここにいるけど?」


「そういうことを簡単に言わないでください!」


 平然と好意を見せてくる瑠璃さんに俺はタジタジだった。…この人平常時からフルスロットルなんだよな。


「…ていうか、それと瑠璃さんが怒ってることのどこが関係あるんですか」


「氷織零の許嫁として見過ごすわけには行かないでしょう?」


「アンタはいつから俺の許嫁になったんですか。…家ではともかく、学校でこういうこと言うのやめてくださいよ?」


「へぇ、学校で言えば零くんの居場所は私の隣だけ…」


 あーあ、焦って余計な事言っちゃったよ。この人こういう事言うと本当にやる人なんだから。

 終始ご立腹なのかご機嫌なのか分からない瑠璃さんに振り回されながら俺はなんとかハンバーグを食べ進めるのだった。

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