第16話あ〜ん

 零の後を追っていたのは優だけではなかった。彼の上に馬乗りになった佳織の手には先程まで優が握っていたカッター。横から蹴り飛ばした際に拾い上げたものだ。


「柊!?なんでお前がここに…」


「こっちのセリフだよ。せっかく退学してお役目御免になったのに、わざわざなんの用?」


「うるせぇっ!俺はあいつに用があんだよ!いいから退けろ!」


「こんなもの握ってた人に言われてもねぇ」


 優は暴れようにも佳織が上に乗っているせいで手足をばたつかせる事しかできない。カッターも既に回収されてしまっているため、主導権は佳織にある。


「…こんなものでなにしようとしてたわけ?」


「これであいつを刺して殺してやるんだ!僕をこんな目に遭わせた報いを受けさせやる」


「こんなお粗末なカッターで?」


 紅色の瞳が黒く濁った。数センチ程出たカッターの刃をなぞって優の顔に刃先を向けた。ぞわりとなぞるような寒気が優を襲う。


「…ふざけるのも大概にしなよ。こんなので零くんの顔に傷でもついたらどうするわけ?責任取れるの?罪償えるの?」


「うるせぇッ!あいつが悪いんだ。あいつが凛々子ちゃんに接触しなければ、関わっって来なければ!」


 殴りつけるように言葉を投げかけてくる優を佳織はゴミを見るような目つきで見下した。

 優は自分しか見えていない。自分中心に世界が回っていると考えている、いわば自己中心的な人物だ。他人のことなどどうでもいい。自分が良ければ何でもいいのだ。

 彼の瞳には今は零しか見えていない。彼を殺す。何があろうと、絶対に。執念に取り憑かれた男は厄介だ。

 

「…そうか、お前もあいつとグルなんだな。おかしいと思ったんだ。お前、ただじゃ済まないからな!僕には裏の世界の人間の友達もいるんだ。下手したら海に沈められるかもな」


 取って付けたような威嚇だった。目の前の女を笑い飛ばす優は不況にあれど勝ち誇った気分だった。自分が行けと言えばこの女は終わる。自分の勝ちだ、と。彼以上に馬鹿な人間はいないだろう。そんな屑を黙らせるように、大層蔑んだ目つきで睨んだ。そして彼女の手は優の口元に伸びる。


「ふがっ!?」


 優は足で両腕を、手で口元を封じられる。ぎりぎりと食い込んでくる佳織の手は優の口を開いたままに固定した。とてもその細い指とは見合っていない力で握られた優は動揺すると共にとてつもない恐怖に襲われた。


「いるんだよねこういう冗談ばっかり言う人。自分に力がないって認めてるのと同じだからねそれ?…それじゃ、おしおきターイム」


 佳織は片手に握ったカッターの刃を数センチ程出すと、優の口に向かって近づける。


「がぁっ、あ゛、あ゛ッ!」


「あーんだよ。ほら、いいから大人しくしてな?あ〜ん」


 数センチ、また数センチと優にカッターの刃先が近づく。恐怖に歪んだ優の表情を見てもこれっぽっちも表情を崩さない佳織は優の瞳に化け物のように映る。

 無様な声を上げてもカッターは止まらない。復讐の意を込めた刃は肉薄していく。


「あ゛あッ、ぅ、あああああああぁぁぁぁぁぁぁぁあああ」


 ついに限界に達した優は無様にも白目を剝いて意識を手放した。


「…ビビリすぎでしょ。脅しぐらいで」

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