第9話疲労

「はぁ…」


 溜め息と共に俺の体はソファに沈む。ストレスとショックから押し寄せる疲れに俺は寝転がらずにはいられなかった。

 淡い希望は抱いていたものの、やはり現実は非情だ。結局は俺が一人で舞い上がっていただけで俺の一人芝居に終わった。ここ数日は凛々子のことに振り回されてばかりだ。それに伴う疲労感は馬鹿に出来ないものがある。


「疲れた…」


 まだ制服も脱がないでいるというのにも関わらず俺は意識を手放してしまいそうになる。俺はなんとか意識は繋ぎ止めたものの、この体がソファから動いてくれる気配はなかった。


「おにい、大丈夫?すごくお疲れ」


 ソファに伏した俺に玲奈が声をかけた。ずるずると顔を向けると、玲奈が心配そうに眉を下げて顔を覗き込んできている。長い前髪の隙間から覗かせた瞳はくりくりとしていて我が妹ながら可愛らしい。

 高鳴ってしまう鼓動にシスコンを感じながらも玲奈の頭に手を伸ばした。


「大丈夫だ。ちょっと疲れちゃってるだけ。心配させて悪いな」


「私の事はいい。…でも、おにいの辛そうな顔見ると心配。なにかあったの?」


 そう言えば玲奈には凛々子に浮気されたことは話していなかった。妹を巻き込むことでもないと感じていたが、今や佳織や瑠璃さんも巻き込んでしまっている。今更隠しておくことでもない。

 俺は意を決して玲奈に事情を打ち明けた。玲奈は少しオーバーなぐらいに驚愕の表情を見せた。


「えぇぇ!?おにい彼女いたの!?」


「そこかよ…いたわ。去年の夏ぐらいから」


「だって、おにいは彼女に告白出来るほど勇気のある人間じゃ…」


「我が妹ながら失礼だな。…俺だって変わろうと努力してたんだよ」


「そ、そんな…おにいがいなくなったら誰が私のお世話してくれるの?や、やめてよ私の許可無しで彼女作るの!」


 玲奈はブンブンと腕を振りながら俺に抗議してくる。彼女は生活力が終わっている。大半の家事は出来ないどころか、片付けすら出来ない。一人で生きていける人間かどうかと問われたら首を横に振るだろう。俺が居ないとこいつは生きていけないのだ。可愛らしくも、どうしようもない生物である。


「お前はいい加減一人で生きていく術を覚えろ。いつまでも俺が一緒に居てやれるわけじゃない」


「おにいが彼女作らなければいい。振られたのは神からの啓示。彼女なんて必要ない!おにいは私のお世話してればいい!」


 暴論も暴論であるが、玲奈は本気らしかった。こいつはそのぐらいには俺に依存している。これは誇張抜きだ。


「どんな啓示だよ。兄妹と一生と共に過ごすとか笑えないぞ」


「私は笑ってられる。おにいが無理矢理私から離れようってなら既成事実も考える」


 なんと恐ろしい子に育ってしまったのだろうか我が妹は。俺を納得させようとしている動きの一つ一つは可愛らしいものであるものの、言動が冗談で済ませていいものではなくなっている。これが思春期か。恐ろしい。


「おい、励まそうとしてくれてたお前はどこに行った?あんま冗談言ってると雷の日一緒に寝ないぞ」


「い、嫌だ!雷の日は一緒に寝てくれないと困る!へそ取られる!」


 俺が昔散々脅したことが功を奏したのか、玲奈は焦った様子を見せる。いつまでも幼稚な妄想に浸っているがいいぞ我が妹よ…


「わかったならくだらん事を言うのはやめろ。そんなんじゃいつまで経っても彼氏出来ないぞ」


「そ、そんなのいらない!お、おにいは私に彼氏が出来てもいいの…?」


「俺は別にお前に出来たって…出来たって…?」


 あろうことか、俺は言葉を喉に詰まらせる。この出来の悪い妹の横に親しげな男が存在している絵を想像してしまったのだ。手を繋いで、楽しそうに笑い、縮まった二人の距離は次第に肉体的にも精神的にも…


「…無理かも」


「で、でしょ!ほら、おにいも人のこと言えない!」


 我ながらシスコン過ぎる。今さっきけしからんと叱ったばかりだろうが。何を言ってるんだ俺は。自分を叱責するのもなんだか虚しくなってきた。

 俺と玲奈こいつはシスコン&ブラコンである。認めよう。あぁそうだ。シスコンだ。


「…無理だ。お前の横に変な男が出来るなんて…!」


「そ、そう!私に彼氏なんて出来たらおにいは破滅!死刑!」


 あぁダメだ。冷静になれ俺。まだ彼氏ができたわけじゃない。それに、どっちみち俺とこいつが一生一緒にいることなんて出来るはずがない。別れの瞬間は来るのだ。落ち着け俺。ここは素数でも数えて…


「…いや待て待て。お前に彼氏なんて出来るはずないだろ。お前は一生独り身だ。そんな未来来るはずがない」


「な、なんて酷いことを…!そ、それでも血縁者かおにい!」


「血縁者ぐらい親しくてよく知ってるから言えるんだろうが。論破出来なくて残念だったな。…大人しくテレビでも見てろ。今晩飯作ってやる」


 俺は不服そうに頬を膨らませる玲奈を置いてキッチンへと向かう。

 何気ないやり取りは俺に活力を与えた。少なくとも今は、こいつがいるウチはソファに沈んでる暇は無い。明日も、明後日も、明々後日も俺を求めてくるはずだ。


「おにい!今日はチャーハンがいい!」


「へいへい。座って待ってろ」


 可愛らしい我が妹に微笑みながら俺はフライパンを手に取った。


▽▼


「んー…」


 光ヶ原瑠璃は部屋の中で一人唸っていた。彼女の目の前には一つのUSBメモリ。それに睨みつけるように視線を飛ばしながら彼女は悩んでいた。とある一件を解決するためである。


 今回の篠原凛々子に関する事件は彼女にとって許せないものであった。なにしろ彼女のお気に入りである氷織零を傷つけたのだ。彼女にとって万死に値する事態である。

 即刻殴りつけて金にものを言わせて退学に追い込むのも悪くない手ではあったが、表での評判を気にする彼女は残った僅かな理性で踏みとどまった。しかし、彼女は凛々子を蹴落とすことを諦めなかった。最愛の零のためである。彼女はとある策を考えた。

 光ヶ原の情報網で得た情報によれば、凛々子とその浮気相手はとあるホテルに入り浸っている。普通のホテルではない。ラブがつくホテルだ。二人はそこを根城として飲酒やらなんやらをしているらしかった。

 この事を知った瑠璃はすぐさま行動に移った。光ヶ原に繋がりのある人間を買収し、映像データを買い取ったのだ。目の前のメモリがそうである。


 後はこれをどうにか露呈させて学園で詰めればチェックメイト。そうなる手筈だ。

 だが、瑠璃は迷っていた。どの方法を試せば本人達に一番ダメージが大きいのか。ネットに晒すだけではたりないのではなかろうか?これを晒したことによる周りへの被害はどれほどのものか?自分が特定される危険性は視野に入れるべきだろうか?全てを計算しつつ、瑠璃は慎重に結論を待つ。

 ただ陥れれば良いのではない。周りへの被害もできるだけ少なく、正しい時と場でやらなくてはならないのだ。


(どうしたものかしらね…こんなもの、世間に見せるのも億劫なのだけれど…ん?)


 ふと思考にふけていると、机においていたスマホが鳴った。瑠璃はすぐさま手に取り開くと、買収した男からの連絡だった。そこにはとある映像が出回っているという旨のメッセージと共にとある映像が添付されていた。瑠璃は画面をタップして映像を確認する。


(これは…!)


 その瞬間、瑠璃の元に光明が差した。

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