第7話対面

 瑠璃さん襲来から一夜。俺はあいも変わらず学園に登校した。俺が浮気されようと世界は変わらず進んでいく。時間だって、地球の自転だって、俺を待ってくれない。

 俺は今日、とある目標を持ってこの学園にやってきた。その目標とは、凛々子に接触すること。そしてあの日、あの夜見た光景の真実を彼女の口から問いただすこと。それだけだ。


 俺と凛々子は別々のクラス。接触するにはわざわざこちらから出向くか、彼女が来るのを待つしか無い。今回俺は彼女のいる3の4へと向かっていた。

 3の4に着いた俺は教室の中を覗き込む。いつもハーフアップの彼女を目で探すが、姿は見当たらない。今は不在のようだった。

 俺はあたりにいないかと探し回る。廊下、階段、他クラスの教室。様々な場所を探し回ったところで俺は渡り廊下で彼女と出会った。


「凛々子」


「…零」

 

 俺を見た凛々子は目を見開いて少し驚いた様子だった。まさか俺が直接来るとは思っていなかったのだろう。こんな行動は愚行以外のなにものでもないのだから。

 凛々子は気まずそうに視線を泳がせた。俺がなぜここに来ているのかは察しが着いているはずだ。ならば、彼女のその態度が意味することはすなわち。


「…昨日の電話、どういうことだ?」


「…別に、そのままの意味だけど」


 分かっていたのだ。それだけにその言葉を受けての衝撃は少なかった。俺は更に質問を投げかけた。


「浮気ってことでいいんだな?」


「…まぁ、そういうことになるかな。別にアンタとは長続きしようとは考えてなかったし」


 ちくりと心が痛む。針に刺されたような鋭い痛みが俺の心を襲った。

 まだ痛む俺の心に追い打ちをかけるように凛々子は続けた。


「最近羽振り悪くなってたし、そろそろ捨て時かなって思ってたんだよね。優くんのほうがスペックいいし、私にお金使ってくれるし。今までアンタみたいな奴と付き合ってあげてたんだから感謝してよね」


 続く言葉に俺は言葉を返すことが出来なかった。あくまであちらの都合で捨てられただけ。暴論も暴論。こちらに納得出来る要素など一つもない。反論の余地はいくらっでもあった。だが、俺は反論出来なかった。

 

「…なに?もしかして今まで私が本気で付き合ってると思ってた?馬っ鹿じゃないの?アンタみたいな凡人と誰が付き合うかよw」


 不快な笑い声で俺を罵る凛々子からは一切の悪気を感じられなかった。俺が抱いていた淡い希望はいとも容易く打ち砕かれる。

 俺が今まで付き合っていたのは偽りの彼女。本当の彼女ではない。俺は今まで翻弄され続けていたのだ。デートで見せる笑顔も、二人で過ごしたクリスマスも、二人で水を掛け合ったあの時間も、全て嘘。全部虚偽のものだったのだ。

 今までの凛々子との思い出が空白になり、頭を埋め尽くしていく。俺は彼女を前にして立ち尽くしてしまった。


「…それじゃ、私行くから。これからはあんまり関わってこないでね」


 冷たく斬りつけるような言葉を残して凛々子は去っていく。残された俺に残ったのは虚しい感情だけだった。


「…」


▽▼


 長く続く教室までの道のりをトボトボと歩いていた。肩にのしかかる負の感情。形容出来ない喪失感。裏切られていたことに対するショック。全てが負の方向に向いてしまっていることに俺は絶望していた。俺がきっと嘘だと思っていたものは全て本当で、本当だと思っていたことは全て嘘だったのだ。何たる皮肉だろうか。

 結局俺は何者にも成れない。それが結論だ。


「ん?零ではないか」


「あ、会長…」


 目線を上げると、そこには一人の女子生徒が立っていた。黒が基調の制服の上でゆらゆらと揺れる美しい白髪。キリッとした目つきにメガネをかけた風格のある姿。胸元で輝くバッチはこの学園のトップである証拠。

 彼女は金村かねむらひろ。この学園の生徒会長である。何度か委員会で関わりのある俺は会長と呼んでいる。

 会長は俺の顔を見てぎょっとした表情になる。おそらく酷い顔をしているのだろう。


「どうしたそんな顔をして。お前がそんな顔をしてるところなんて初めて見たぞ…」


「えっと、色々ありまして。今はちょっと…会長はなぜここに?」


「あぁ、いや、零がいるのが見えた…ではなく、二年の生徒会役員に用事があったのだ。今度の生徒会役員会議のことでな」


 この学園を取りまとめる生徒会長である彼女はいつも業務に追われている。生徒会のことで奔走する彼女を指示する声は未だに多くある。その整った容姿も相まって彼女の人気はこの学園の中ではトップクラスだ。 


「その…なんだ、良かったら私に相談してみてはどうだ?生徒会長としてなにか手伝えることがあるかもしれない」


 沈んだ俺の様子に気を使ってか、会長は胸を張りながら俺に頼れとアピールしてくる。いつも凛々しく、威厳に溢れている彼女は生徒のみならず、職員からも頼られている。そんな彼女に頼るのも一つの手ではあるが、彼女は生徒会長。俺の些細な悩みを聞くよりもやるべき仕事がたくさんある恥ずだ。俺が邪魔するわけにもいかない。


「…お気持ちはありがたいですけど、大丈夫です。自分のことは自分でなんとかするので。それじゃ」


 俺は会長の返答を聞く前にその場を去った。彼女は世話焼きだからきっと食い下がらない。強制的に会話を打ち切らない限りはだが。


「あっ、待て零!…行ってしまった。後で佳織にでも聞くか」


さんかく


 とぼとぼと頭を垂れながら戻った教室には心配そうな様子で俺を見つめる佳織がいた。眉尻を下げて不安に浸っている顔だ。人は不安に駆られると誰しもそういう顔になる。自分のことでも、他人のことでもそうだ。

 佳織は整えられた毛先を揺らしながら俺の元へ駆け寄ってくる。

 

「零くん、さっき凛々子ちゃんと一緒にいるのが見えて…その、大丈夫?」


「…実は昨日、電話があってさ」


 俺は事の内情を佳織に話した。本多から電話があったこと。俺が信じてきたことは嘘だったこと。凛々子とはもう終わりだということ。いつも彼女に悩み事を話しているからか、俺の口からは言葉がスルスルと出てきた。

 俺の言葉を耳にした佳織は信じられないような表情になった。


「そんな…そんなのって、ないよ…」


「…俺が馬鹿だったんだよ。いくら彼女が欲しかったとは言え、人は選ぶべきだった。…少し焦り過ぎたったのかもな」


「なんで、零くんにこんなことを…私だったら、そんなことしないのに」


 ぽつりと佳織が呟いた。その言葉は俺の耳をなぞり、脳に直接入り込んでくる。彼女の声の響きにはぞわりと感じる謎の感覚を感じた。俺が想像し得ないような恐ろしい、なにか振れていはいけないもののような、そんな感覚。俺は思わず一歩のけぞってしまった。


「…えいっ」


 俺がたじろいだ刹那、佳織が俺に抱きついてきた。ふわりと香るフルーティーな香水の匂い。俺の体に形を合わせて形を変える柔らかな胸。様々な部分が触れ合い、二人の熱が伝わり合う。まるで一つに溶けてしまいそうな感覚だった。

 数秒の空白を経て、俺の脳はフル回転し出す。急な佳織の行動に驚くまではそう時間はかからなかった。


「ちょ、か、佳織!?」


「…ハグをするとちょっとだけストレスがなくなるんだって。零くん、きっと今すごく辛いでしょ?楽になった…かな?」


「そ、そうじゃなくて、ここ教室!みんな見てるから!」


 俺が動揺している最たる理由は場所が教室であることだった。

 この七星学園の中でも人気トップの彼女が冴えない男である俺に抱きついている。そんな異常事態にクラスメイト達の目線が引き付けられないはずがない。浮ついた視線が突き刺さるのが見なくても分かった。

 

「柊さん大胆だねぇ…こんな教室で堂々と」


「確か柊さん好きな人いるって言ってたよね。…もしかして」


 ありもしない噂が作られる予感がした。こんな状況をこの人数が見ているのだから尾ひれが着いて俺じゃ対処しきれないことになる。一刻でも早くこの状況を脱したいのは山々だったが、佳織にかなり強い力で抱きしめられているため抜け出せそうにはなかった。

 まずい。非常にまずい。一部の佳織ファンから鋭い視線が送られている。何としても抜け出さなくては。もがく俺に救いの手を差し伸べてくれたのはやはり彼女だった。


「…柊さん、そこら辺にしておいたほうがいいんじゃないかしら?」


 溜め息混じりな言葉には呆れた感情が含まれていた。瑠璃さんは佳織を俺から剥がすとしばらく離れていろと俺に目線で伝えた。


「少し話しておきたいこともあるわ。…それに、零くんには一人の時間も必要よ」


「うぇー?で、でももうちょっとだけ…」


「いいから離れなさい。…ほら今のうちよ」


 瑠璃さんに促された俺は少しの間教室から離れることにした。


▽▼


 その衝撃は突然に訪れた。

 氷織零くん。私の好きな人。中学の頃からよく話していて、密かに想いを寄せていた。いつかこの想いに気づいてくれたら。私と貴方が手を繋いで歩く時が来たなら。私は零くんに対してそんな淡い願いを抱いていた。

 

 高校に上がった零くんは彼女を作った。相手は私よりもちょっとだけかわいくて、メイクも上手な女の子。彼女が出来て変わっていく彼を見ているのは少しだけ心がチクチクした。

 そしてその時は唐突に訪れた。零くんが彼女に浮気された。相手は隣のクラスのイケメン。みんなから好かれる学園の王子様。そんなことってあっていいのかと私は無力さに歯噛みした。

 好きな人の辛い顔を見ているのは辛かった。私だったら絶対に浮気なんてしないのに。零くんを悲しませたりしないのに。そんな言い訳に近い後悔をしてももう遅い。既に事は起こってしまったのだから。


 私はあの女が許せない。私の好きで好きで大好きでたまらない零くんを悲しませた。絶望させた。それが許せない。

 私は今まで我慢してきた。誕生日も、夏祭りの日も、クリスマスも、彼を忘れた日は無い。なのに、なのに。

 

 零くんは優しいからきっとこのまま一人で苦しむ。でも私は彼に報われてほしい。少しでも、彼に救われてほしい。だから、私は______


「待っててね、零くん…」

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