第5話家に
ポツリポツリと雨粒が俺の頭に落ちてきた。気づけば空は鈍色の雲に包まれていた。
スマホを拾い上げて電源をつけると、18:21という数字が映し出される。あの通話から今の今まで固まってしまっていた俺は二時間程この場所に座っていたらしい。
振り始めた雨は次第にその粒を大きくしていく。激しさも伴って増していく雨から逃れるように俺は歩き出した。
いつもならば家に帰ってる時間。スマホを見れば妹からの不在着信の通知が10件程溜まっている。本来ならば折り返したほうが良いのは俺も分かっている。だが、今の俺は歩くことで精一杯だった。
雨に打たれながら数十分かけて家へと向かう。冷たい雨粒は俺の体温をじわじわと奪い去り、疲労感を促してくる。今の冷え切った心も相まってか、体の心から冷え切った感覚だった。
雨でびしょ濡れになった俺はなんとかマンションまで戻ってきた。誰もいないエントランスを抜けて、一人でエレベーターに乗り込み、部屋のある4階に向かう。
重くなった体を引きずり、俺は部屋の前までたどり着く。そしてゆっくりとドアノブを捻り、扉を開けた。
がちゃりと扉の開く音と共に奥の部屋の方から忙しない足音が迫ってくる。顔を覗かせた彼女は俺の顔を見るやいなや走り飛びついてくる。
「おに゛い゛い゛い゛い゛」
目にいっぱいの涙をためて半泣き状態で俺に飛びついてきた彼女は
長く伸びた前髪からのぞかせた片目は充血しており、今までないていたのだろうと察することが出来る。不在着信も溜まってたことから相当心配させてしまったようだ。
玲奈は濡れてびしょびしょの俺の胸元に顔を埋めながらまた泣き始めた。
「どこに行ってたのおにい!何回電話しても出ないし、変な人も家の中に勝手に入ってくるし、誘拐されちゃったのかと思ったよぉぉぉ…」
「ごめん玲奈…」
理由も話すことも出来ない俺はただ玲奈に謝ることしか出来なかった。それでも彼女は納得してくれたようで、「うん、うん…」と頷いてくれた。
「…ん、変な人…?」
ここで俺は先程の玲奈の発現に違和感を感じた。俺がその部分を口にしたことによって玲奈は泣いてぐちゃぐちゃの顔をばっと上げた。
「そうだよおにい!なんか変な人が家に入って私におにいのこと聞いてくるの!あの人勝手に家漁ってるし!早くなんとかして!」
俺の胸元をぐわんぐわんと揺らしながら玲奈は訴えかけてきた。
変な人、と言われるとやはり空き巣を狙った不審者だろうか?相手は大人だろうか?今の俺に抵抗出来るだろうか?思考を張り巡らせていると、俺の頭にふわっとタオルが舞い降りてきた。タオルを手に取り、顔を上げるとそこには他でもない瑠璃さんの姿があった。
「…ぇ、瑠璃さん?」
「おかえりなさい零くん。学園一の絶世の美少女が家にいることに困惑してるのは分かるわ。でも今はその体を温めたほうがいいわ。お風呂は沸かしてあるから」
「ひーっ、お、おにい何あの人!」
色々と疑問が浮かぶ状況であったが、瑠璃さんの言う通り今は風呂に入ったほうがいい。質問はその後にしよう。
「玲奈、あの人は俺の友達だから大丈夫だ。…ちょっと変かもしれないけど、危害は無いはずだから」
「ま、待ってよおにい!あんな人と二人っきりにしないで!またお金積まれる!私もお風呂入る!」
「いいじゃない玲奈ちゃん。私といっしょにお話しましょ」
…一体何があったのか気になるところではあるが、今質問したところで
▽▼
「あー…」
湯船に浸かった俺は天井を見上げて呟いた。俺が受けた通話は間違いなく本多からのもの。そしてそれは紛うことなき浮気宣言だった。俺と凛々子の関係は本格的に終わり。もう彼女とはデートに行くことも、誕生日を一緒に祝うことも無い。そう考えると心からまた何かが抜け落ちていく感じがした。
絶望してしまっている自分とせめぎ合うまだ諦めきれない自分。あの通話は本多っからのもの。まだ凛々子本人の口からはなにも聞けていないのだ。本人に聞けばなにか理由があるのではないか。脅されたりしているのではないだろうか。そう淡い希望を抱いてしまっているのだ。
いくら浮気されていたとしても、俺が凛々子を好きだったことに変わりは無い。諦めようとしても心のどこかでは諦めきれないのだ。
「零くん、着替え置いておくから」
扉の先から瑠璃さんが声をかけてきた。扉を挟んだ向こう側にいるようで、彼女の影が動いているのが見える。…そう言えばまだ脱いだ服置きっぱなしだったな。
「…零くん、脱いだ服は貰っていいかしら?」
「…どういう意味の貰うですか?」
「…」
「駄目です」
「でも」と食い下がらない瑠璃さんに俺は念を押して「駄目です」と言った。多分あの人持ち帰るつもりだ。気高き気丈な孤高の美少女様は案外変態気質なところがある。こんなところ学園のみんなに知られたら大変なことになるだろう。
「零くん」
「あげませんから」
「それはもう諦めたわ。…その様子だと、きっとなにかあったのよね」
俺は無言を持ってして答える。瑠璃さんは扉の前で立ち止まったままだ。
「…人生楽しいことばかりではないし、苦しいことが大半よ。今、零くんは深い谷の底にいる。抜け出すことは容易ではないわ」
するするとなにかが擦れる音が聞こえた。それに連動して瑠璃さんの影が動く。
「私は苦しむ零くんを見過ごすことはできないわ。貴方を助けることが出来るのなら、私は…」
瑠璃さんの影を凝視する俺。彼女の股から小さな影がするりと床に落ちた。それは軽く、小さく、ぱっと見ると三角形で、まるで下着のような…
「私はなんでもするわ」
最後に彼女の胸元からとあるものが落ちた。それは正しく、彼女の豊満な胸部を守るブラジャー。そう、彼女は今、裸になっているのだ。
「は!?」
「安心して。タオルは巻かないから」
「いやいやいや、ダメダメ!服着てください!てか入ってこないでください!」
「遠慮しなくていいのよ。零くんにならどこを触られても…」
「そういう問題じゃないんですよ!風紀的な問題です!」
「ここは学園じゃないから誰も風紀なんて気にしないわ。だから大丈夫よ」
「俺が気にするんですよ!入ってこようとしないでください!!玲奈助けて!!!」
「玲奈ちゃんなら部屋に封じ込めてきたわ。だから遠慮せずに…足だけでもいいら…!」
「なにも解決になってないんですよそれ!いいから服着てください!」
扉前の攻防は十数分続いた後に瑠璃さんの根負けで終わりを告げた。
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