第2話二人目

「浮かない顔ね」


 一時間目が終わった直後の休み時間。隣から凛と透き通る声が俺の耳を掠めた。声の方に顔を向けると、金色の双眼が俺を捉えていた。

 俺の隣に座る彼女は光ヶ原ひかりがはら瑠璃るり。少し青みがかった長髪が美しい学園のマドンナ的存在である。

 スレンダーな彼女は他を寄せ付けない圧倒的な美貌でこの学園のトップに君臨している。その美貌は一度は誰しもが虜になり、ワンチャンスを狙おうと羽ばたくのだが、彼女は尽くそれを撃ち落とす。誰一人として彼女のお眼鏡に叶った人間はいない。

 そんな彼女とはなんの縁があってか隣の席が続いている。俺みたいな人間は門前払いされることも多いのだが、ありがたいことに彼女とは意思疎通が図れる状態にある。もし俺もこの瞳で門前払いされていたらと思うと今も身震いがする。

 相手が瑠璃さんとは言えあまり話す気にもならず、俺は目を伏せたまま話す。


「あー…いや、今日はなんか元気が出なくて…」


「珍しいわね。いつもは元気がなくても取り繕ってるくせに。よほどのことでもあったわけ?」


「黙秘権は…」


「あるとでも?」


 どうやら俺は瑠璃さんに昨日の出来事を話さなければならないようだった。あいも変わらず高圧的な態度の彼女に昨日の一連の出来事を話した。話を聞いている彼女は対して驚いた様子でもなく、かといって表情でもない複雑な様子だった。


「…へぇ。やっぱりね」


「やっぱりってなんすか」


「怪しいと思ってたのよあの女。だって明らかに怪しいじゃない?素行は良くないし、制服だって着崩してネックレスとか付けてるし、頭髪検査には毎回引っかかってるし」


 言われてみれば、凛々子は素行が良い方ではない。俺は少しやんちゃだなぐらいに捉えていたのだが、瑠璃さんからすればこの展開は目に見えていたのだという。彼女のことを相談する時にいつも不機嫌そうな顔をしていたのはそういうことだったのか。


「それに浮気相手もあの男とか…センスないわね。金づるってだけだったら貴方よりはいいけど」


「相変わらず言葉が鋭い…」


「だから言ったじゃない。私にしておけばいいのにって。私にしておけば光ヶ原家の資産も総取りよ?」


「俺が瑠璃さんと付き合うとか、身の丈にあってませんよ。…冗談言ってないで、彼氏でも作ったらどうなんです?」


「私はいいのよ。既に好きな人がいるから」


 瑠璃さんの男をあしらう時の常套句だ。好きな人がいると言って有無は言わせずに追い払う。きっとこれは言葉だけで、好きな人なんていないのだろう。瑠璃さんは家が太いからきっとどこかの社長の息子とか、俳優とかと結婚するんじゃないだろうか。もし好きな人がいるのだとしたらそういう世界の人間なのだろう。存在するのだとしたら一目見てみたいものだ。


「…ところで零くん、貴方これからどうするの?」


「どうするとは…?」


「その女との話をどうするのかって聞いてるのよ。浮気されたんでしょう?それも自分達が付き合ってるって知られている上で。…復讐しようとか思わないわけ?」


 瑠璃さんからの真剣な問いかけに俺は少し思考する。昨日から落ち込んでばかりで復讐なんてことは一切考えてなかった。そもそも、復讐するなんて正しいことなのだろうか?浮気された原因の一端は俺にもあるかもしれない。それなのに相手が悪いと決めつけて復讐に走るのはどうなのだろうか?俺は少しの間天井を見つめる。


「…どうなの?」


「…いや、考えたこともなかったなって。でも、浮気されたからってやり返すってのもなんか違う気はします。原因は少なからず俺にもあるわけで…」


 俺の言葉を聞いた瑠璃さんは大きな溜め息をついた。


「…あのねぇ、貴方今どういう状況か分かってるの?彼女に散々こき使われた挙げ句に、その当の本人は他の男に目移りして一夜過ごしてるのよ?それであんなたは傷ついて昨日の今日。零くんとあの女、どっちが被害被ってるか分かる?」


 叱責とも取れる瑠璃さんの言葉に俺ははっとさせられた。こんな時に受け身になっていてどうする。これからいいように使われて自分は捨てられたのだ。相手からしたらいい鴨である。

 だが、それが分かっていても俺の中には迷いが生じていた。臆病な心が俺の足を締め付けるのだ。そんなことしてどうする。面倒なことになるだけだと。


「…私は、耐えられないわよ」


 不意に瑠璃さんがそう溢す。それはその一言で頭が真っ白になってしまった。

 

キーンコーンカーンコーン


 間が悪く、返答を返す前に呼び鈴が俺と瑠璃さんの沈黙に終わりを告げた。がらがらと扉を開けて次の授業の担当教師が教室に入ってくる。


「…時間ね。話は後にしましょう」


「え…はい」


 適当に返事を返してしまった俺は瑠璃さんの話のことで授業が頭に入ってこなかった。

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