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 旅先で、ちょっとらしくない行動をしてしまった。民宿の畳の上で胡坐で、落ち込んだ。

 平日のど真ん中、民宿の客は俺ひとりで、ひとりなのがもったいないくらいの豪華な夕食は、唸るほどおいしかった。料理なら冬に来ればいいと教えてもらった。マスター(と呼んでと言われた)は、寒ブリはしゃぶしゃぶが流行っているけど、絶対おすすめは刺身だと言い切った。隣の漁港で蟹も揚がるとか。聞くだけで幸せなラインナップだ。

 さざえの炊き込みご飯と大根と人参の酢の物をおかわりした。若いのにおすわいを食べてくれるなんて、とマスターは喜んだ。


「大吟醸飲んでワインだけど、酒強いん?」

「いえ、めっちゃ弱いです」


 でも傷心旅行なんで普段と違うことをしたいのだと言うと、失恋かあ、とマスターは天井を仰いだ。目頭を押さえる。演出が強めだ。


「若いうちはさ、色々あった方がいいがいよ。飲んで風呂入って寝られ」


 大雑把に励まされるのが面白かった。そうしよう、と思った。


 小さいけれど檜風呂は心地よく、風呂桶に張られたお湯はぬるめだった。夜になってようやく気温は下がってきたけれど、お盆を過ぎてもここしばらくは熱帯夜が続いているということだった。水風呂でもいいくらい。外の熱風を感じながら、濡れた髪をかき上げた。


 夕方会ったひとをまた思い出していた。

 少し年上だったかな。大学の女友達にはないあっさりした印象だった。標準に頓着しない方言が可愛かった。夕暮れの熟れた太陽が赤く染めた肌と、健康的な笑顔。


「また会えたら、かあ」


 聞いている音楽が共通事項というだけで、なんだかとっても近い存在に思えたが、俺はあんなスピードで走れる気がしない運動音痴なので、盛り上がるような会話のネタもない。また会っても困らせるだけだろう、そう思うのだが。

 会いたいと思ってしまっている。

 失恋直後に眩しすぎた。もう、涙が出てくる。酔っぱらっている。


 別れてほしいと言われた。付き合って半年の彼女だった。向こうから告白してきて、嬉しかったのでオーケーした。半年経ってから、それが悪かったのだと言われた。

 毎日じゃないけれど、ラインはしたし、休みには出掛けたりもした。構内で会えば話もしたし、アパートの行き来もあった。


 ———だって、おとくんは、あたしのこと別に好きじゃない。


 ごめん、反省してる。俺は多分、彼女ができたことが楽しかっただけで、彼女のことを好きになったわけじゃなかったんだ。彼女は、想った分、返してくれる男を探すことにしたようだった。

 振られた直後は辛いなと感じた。今は、それよりも、なんだか悪いことをしたと思っている。





 枕元でスマホが震える。多少酔いが残っている頭痛を感じながらスマホを持ち上げた。何だ誰だと思って画面には〇八〇〇から始まる明らかな迷惑電話の番号。まだ四時。

 とてもがっかりして長く息を吐いた。ぽと、とスマホを畳に落として体を戻す。天井を見る。暗がりにごおごおと海鳴りが充満する。

 のそのそ起き上がって膝で窓に寄り、カーテンを摘まんで外を覗いた。途端にざあざあ降りがわかった。マジかよ、大雨じゃん。闇に降る雨は見えない。窓を叩く音にまばたきをして、また膝で這って布団に戻った。二度寝を試みたが、すっかり目が冴えてしまった。六時まで我慢して、起きて着替えた。テレビは地方色が出るCMが面白いくらいで、旅情がなくて消した。

 夜が明けた外は、いくらか明るい。カーテンを開けて雨を見る。民宿のすぐそばに見える黒い海に雨が吸い込まれる。


 このまま帰ってはいけない気がした。




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