夢診真千

あべせい

夢診真千



「すいません。こちらの席、空いていますか」

「エッ」

 男性は、周りを見て、仕方ないか。

「どうぞ、いいですよ。でも、わたしはやかましくしますよ」

「どうぞ、わたしも、声を出すと思いますから……きょうは混んでいますね。この喫茶店」

「あァ……そうですか」

 男性、ノートパソコンのキーボードを叩きながら、小さく、やかましい女だ。

 女性、近寄ってきたウエイトレスに、

「ホットコーヒー」

「お待ち下さい」

 と、女性続けて、

「ミィちゃん、ちょっと待って。コーヒー、それと何か、口に入るものが欲しいンだけれど……」

「ホットドッグにクロワッサン、サンドイッチ、パウンドケーキがございますが」

「その3度目に言ったのを」

「サンドですか?」

「そォ、サンドイッチね」

 ウエイトレス、イラッとして、

「かしこまりました」

 立ち去る。

「冗談の通じないウエイトレスね」

 女性、前の男性に目をやり、

「この席、4人掛けでしょう?」

「……」

「無視? それとも、虫の息?」

「何ですか?」

「生きていた。あのね、このテーブル、4人掛けでしょう」

「そうですが」

「あなた、一人で来て、4人掛けのテーブルによく腰掛けることができるわね。すごい、良識!」

「ぼくがここに来たとき、このテーブルには3人が腰掛けていたンです」

「じゃ、ここは最初、一人分しか、空いていなかったの。そこにあなたは強引に腰かけた。それって、もっとすごい。そういう非常識、わたし、大好きよ」

「そうですか。ぼくは、集中しなければいけないことがあるときは、周りのことは気にならないンです」

「あなた、そのタフな神経で、ほかの3人を追い出したンでしょう。あなたなら、やりそう」

「あなた、何しに来られたンですか。ぼくは忙しいンです」

「お気の毒さま。わたしは、こういう無神経も大好きよ。喫茶店に、そんなものを持ち込んで。いったい、何をしているン?」

「仕事ですよ」

「仕事なら、会社でやればいいでしょう」

「会社でできない仕事です」

「しくじったのね。だから、こっそりやっている」

「だったら、なんですか! ホント、やかましい人だ」

「わたし、あなたのような人にぴったりのグッズを持っているの。どう、これ」

 女性、針山のような四角なクッション、タテヨコ5×10cm、厚み5cmほどをとりだし、

「試してみない?」

「何ですか、それ。枕のミニミニミニ版ですか。柔らかな革で覆われていますが、中身は?」

「触ってみなさいよ。ほらッ」

 男性の手に握らせる。

「よしてくださいよ! 気持ち悪い」

「なによ。人が親切にしてあげているのに!」

 男性、さきほどのウエイトレスに、

「ちょっと! ちょっと、彼女、来て!」

「何か?」

「この店、おさわりバーじゃないよね」

「はァ!?」

「この人、ぼくの手を触るンだよ。無断で」

 ウエイトレス、女性客に、

「もしもし、どういうことでしょうか?」

「ミィちゃん、あなた、わたしのこと知っているでしょう?」

「少しだけ。営業の方ですよね」

「いま、その営業しているところよ」

「オイ、キミ。ぼくを相手に商売しているのか」

「当たり前でしょう。あなたも仕事しているンでしょう。この喫茶店で。だから、わたしも仕事をするの。ミィちゃん、ありがとう。もう、行っていいわよ。あそこで、ハゲ豚のマスターが睨んでるから」

「キミね」

「キミ、キミ、って慣れ慣れしく呼ばないで。はい、これ」

 名刺を差し出す。

「ドリーム企画 営業3課3係 夢診真千(ゆめみまち)」

「読んだら返して。いまこれしか持っていないの」

 真千、素早く名刺をバッグにしまう。

「その名前、本名ですか?」

「なわけ、ないでしょう。営業名よ」

「営業名!? ホステスの源氏名のようなものか」

「どう、試してみる気持ちになった?」

 男性、真千の手にある針山をみて、

「これは、何ですか?」

「ドリーマーよ」

「ドリーマー? 何ですか」

「これを使うと、働かなくていいの。眠らなくていいの」

「働かなくてもいい、眠らなくてもいいなんて。死ぬことじゃないンですか」

「バカね。そんなものが売り物になるわけないじゃない」

「じゃ、試してみます」

 男性、触ろうとして、

「待ッて」

「はァ?」

「お金はあるの?」

「試すだけですよ。買うなんて、言ってない」

「ダメ。これを使うと、人格が変わる。少なくとも、1時間は、別の人格になってしまうから」

「だったら、試せない」

「だから、お金を払ってくれれば、試用オッケーよ」

「いくらですか?」

「本気になってきたわね。お試しは10万円」

「腰が抜けるようなことをいわないでください。じゃ、本体はいくらで売るンですか?」

「決まっているじゃない。百万よ」

「こんなミニミニミニクッションが。べらぼうだ」

「いやなら、よしなさい。値引きするほど、お客に不自由していないから。お金ができたら、いつでもいらっしゃい」

 真千、立ちあがる。

「待ってください。ここに、3万円あります。会社の金だけれど」

 お金を差し出す。

「会社の金だろうと個人の金だろうと、こちらは頓着しないけれど、3万じゃね。どうしようかな」

「だったら、いいです。集金したお金ですから」

「いいわよ!」

 真千、引ったくるようにして3万円をバッグへ。

「はい、じゃ」

 真千、針山を手渡す。

「但し、お試し価格3万円分よ」

「これ、どうするンですか?」

「ちょっと貸してみて」

 真千、針山を鷲づかみにして、

「この表の革はカバーだから、こうやると裏返しになるの。すると、ここに指がちょうど2本入る袋があるでしょう、ここに人差し指と中指を入れて、ミニクッション全体を掴む。さァ、ここまでやってみて」

「こうですか。こうやって裏返しにして、指の形をした棒状の袋に人差し指と中指を入れて、クッションを掴む。なんだか、ボーリングの玉を掴むのに似ていますね」

「あなた、飲み込みが早いわ。ここまでやったら、あとはそうね。ここでは周りに迷惑がかかるから、ここの事務所を借りましょう。ねェ、ミィちゃん! 事務所貸して。ここはこのままにしておいてね」

「でも、マスターが……」

「いいの、ハゲ豚はわたしの胸チラでオッケーよ」

 真千は男を連れ、奥の事務所へ。

 キッチンのカウンター前に、初老のマスターの姿が。

「マスター、元気そうね」

 真千、ブラウスの胸の開きを大きくして、

 マスター、

「まァ……」

「奥借りて、いいでしょう。あとで、マスターにも相談があるから」

「いいが、あまり散らかさないでくれよ」

「わかって、るって」

 真千は男性を連れ、奥の事務所へ。

「ここが事務所ですか。狭くて、臭い……」

「裏はどこでもこんなもンでしょう。ここに腰かけて」

「この汚いソファですか」

「そう、贅沢いわない。始めるわよ。クッションをさっき話したようにして握り締めるの」

「はい」

「いい? そうしたら、目を閉じて、そのクッションを握ったまま頭の上に乗せる。さらに、もう一方の手をその上に重ねる」

「こうですか?」

「そォ、よくできたわ。そのままじっとしていて」

「はい」

「いくわよ!」

「?……」

「キェーイ!」

 真千、拳で力一杯、男性の頬を打つ。

「グァッー! イッタタタタッ、タ……」

 男性、気絶して崩れる。


 男性、ハッと目が覚める。

「ここは……3万円! シマッタ!」

 事務所を飛び出す。

「マスター! あの女!」

「どうしました。休んでいなくて、いいンですか?」

「ぼくと一緒に奥に行った女は!」

「10分ほど前に、大事な商売道具を忘れたから、会社に取りに戻る。3分ほどで戻るからと言って、出て行かれました。そういえば、もう3分たちますね」

「あいつ、ぼくの3万円をやりやがった!」

「お客さん、その顔、どうされたンです? 鼻血が出て、腫れあがっていますが」

 男性、鼻血を横なぐりに拭き、

「そんなことはどうでも、いい。マスター、あの女のことを知っているンでしょう」

「まァ。昨日、初めてお見えになって、いろいろ話しかけられましたから。しばらく、通い詰めるからって」

「その程度で事務所を貸すンですか」

「うちの事務所は金目のものは置いてない。着替えに使っているだけだから」

「あの女の会社、どこですか。知らないンですか!」

「聞いてない」

「あんたじゃ、話にならない。そうだ! ミィちゃん!」

 男性、ウエイトレスに走り寄る。

「キミ! ぼくと一緒にいた女、どこのだれだか、聞いているよね」

「エッ!?」

「あの女の名前だよ」

「夢診真千さん」

「そんなの本当の名前じゃないよ。営業用! あんたのこと、親しそうにミィちゃんと呼んでいたじゃないか!」

 ウエイトレス、名札を差し出し、

「わたし、原室未余ですから。でも、ミィちゃんなんて呼ぶのは、あの方くらい。友達はみんな、ミヨちゃんて」

「3万円、どうするンだ。あれは会社の金だ。きょう中に会社に入れないと、まずいッ。チクショー! また、サラ金か……」

 元のテーブルに行き、

「オイ、キミ! ここにあったノートパソコンはどうした? あれは大事な情報が入っているンだ」

「お連れの女性の方が、お持ちになりました」

「それは泥棒じゃないか! どうして、止めなかったンだ。そのままにって言っただろう」

「そのつもりで、『お帰りですか?』とお声をかけたのですが、『このパソコン、修理に出したいンですって』とおっしゃったので。いけませんでしたか?」

「いけませんでしたか、ダッ! 当たり前だろう。あれは、この春出たばかりの最新機種を借金して買ったンだ。使ってまだ、1日しか経ってない。おまえ、あの女とグルなンじゃないのか。これから警察に行って、訴えてやるからな」

「困ります」

「お客さん!」

「マスターからも、言ってください。わたし、何もしていないのに……」

「お客さん。お話のようすだと、あなたはいっぱい食わされた……」

「いっぱい食わされたンじゃない。殴られたンだ。拳で力いっぱい!」

「そうでしょうが。わたしのほうは、場所を提供しているだけで、お客さんがここで何をなさっているか、逐一監視しているわけではないですから」

「マスター、あんただって、あの女の胸の谷間を見て、よからぬことを考えていたじゃないか!」

「それとこれは、話が違う……」

「もういい。あんたらと話をしていても、犯人の思う壺だ。そうだ! あの名刺には、ドリーム企画とあった。マスター、この近くにあるドリーム企画という会社を知らないか?」

 マスター、首を横に振る。

「ミィちゃん、あんたは?」

 未余、首を横に振る。

「わかった! 警察から事情を聞かれるが、覚悟しておくンだな」

 外へ行きかける。

「お客さん! コーヒーの代金、まだいただいていません」

 男性、未余の差し出した伝票を見て、

「ねえ、これおかしくないか。ぼくはコーヒー1杯しか飲んでないよ」

「あとは、お連れさまが」

「コーヒーにサンドイッチ、あの女が注文した分か。待って、このショートケーキ6個って、なんだよ!」

「お連れさまが、お土産だとおっしゃって」

「見上げた女だ! 誉めるしかないのか。いや、第一、喫茶店は、ショートケーキなんか、置くンじゃないよ。レジの下に並べてあるから、つい欲しくなるンだ」

「マスターのアイデアなンです。コーヒーを飲んだあと、ついでにお土産に買っていく方が多いので」

「やかましいッー」


「そろそろ退社時間だ。会社に戻らないと……また、借りてしまった。5万円。これで締めていくらだ。48万か。切りよく、50万にしとけばよかったか。そうだ」

 ポケットから針山を取り出し、

「こいつだ。こンなものに……サインペンで何か、書いてある。『痛かった? 人格が変わったでしょう。3万円分だけれど』まだある。『これ、本当は、小物入れ。横のジッパーを開けて、使ってみて』だと。これか」

 ジッパーを開ける。

「なんだ。これは……バンドエイドに、痛み止め、腫れ止めの薬! それなら、首をくくるロープも入れておけ。それにしても、あのパンチは痛かった。女にしては……待て、ひょっとして、ボクシングをやっているかも……ジムを探せば、見つかるかも」


 女性が、

「すいません。こちらよろしいですか?」

「いいですが、ベンチはほかにも、あるでしょう?」

「わたし、いつもこのベンチで考え事をするンです。いつもの場所でないと落ち着かなくて」

 端のほうに体をずらし、

「いいですよ、どうぞ」

 女性、ノートパソコンをとりだし、操作する。

「キミ、そのパソコン! ぼくのパソコンじゃないか」

「いきなり、何をおっしゃるンですか」

 女性、パソコンを抱きかかえ、

「これは、わたしのです」

「とても、よく似ている」

「買ったばかりなのに。警察を呼びますよ」

「もし、ぼくのだったら、時間的にリセットはできなかった。ほかの保存フォルダは削除しても、削除し忘れているのが、きっとあるはず……そうか! ユーザー辞書で確かめることができる! キミ、いまそのパソコン、ワードが立ちあがっているよね。その文書に、『うさ』と入力してみて。いいから」

「こうですか、『うさ』と」

「それで変換キーを叩く」

「変換しました! これなんですか『宇筒鮫頭』って」

「それ、ぼく名前だよ。『うつつさめず』って読む」

「このパソコン、前はあなたが使っていたンですか」

「前じゃない、ついさっきまで使っていた。盗まれたンだ」

「そんな! わたし、これ買ったンですよ。5万円で。出たばかりの最新機種だけど、安くしておくからって」

「そうだ、発売したばかりの新品だよ。ぼくだって、買ってきょうが2日目。だから、返してもらうよ」

「何言ってンですか。例え、盗まれたものでも、わたしは善意の第三者です。お金を払って買ったンですから、欲しければ買い戻しなさいよ」

「キミ、かわいい顔して、言いたいことは言うンだね。いくらだ」

「手数料2万円付けて、7万円といいたいところだけれど、6万円でいいわ」

「これ、量販店で8万円で買ったンだ。それをどうして、6万円で買い戻さなけりゃいけないンだ。5万なら、いますぐ払えるけど」

「だったら、いいです」

「それなら、ぼくもいいよ。どこかで中古を安く手に入れるから」

「待って。いいわ。その5万円で」

 女性は、素早く、5万円を引ったくる。

「わたし、損しなけりゃいいンだから」

「なんだか、似たような展開だな……キミ」

「はィ?」

「キミ、夢診真千って人、知っているでしょう」

「そのパソコンを売ってくれた人が、確かそんな名前だったような」

「その女が、ぼくのパソコンを盗ったンだよ。キミは、その真千の仲間じゃないのか!」

「冗談じゃありません。わたしがドロボーの仲間とおっしゃるのですか」

「そうとしか思えない」

「だったら、警察を呼びなさいよ」

「呼ぶよ」

 鮫頭、携帯を取り出す。

「待って!」

「認めるンだね」

「電話をかける前に、パソコンを買ったとき付録についてきた、このミニミニクッション、試してみない? 3万円分だけ」

          (了)

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夢診真千 あべせい @abesei

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