10
◇ ◇ ◇
……。
気が付くと俺は真っ白な空間にいた。
上も下も右も左もあるのかもわからない空間にただ一人俺はいた。
自分がぷかぷかと浮いているような感覚がどこか心地良かった。
「俺は、死んだのだろうか……」
独り言のように呟いたその言葉に、誰かが返事をくれた。
「ううん、雉間は死んでないの」
姫乃さんだった。
姫乃さんの声はいつもよりずっとクリアに聞こえた。
「ここは夢の中なの。今、雉間は寝ているだけだから大丈夫」
そうか俺は寝ているのか。そう思っては、なんとなく安心した。
「あの後ね、あかりが屋上に呼んだ先生たちのおかげで紗は助かったの。でも今回は全部雉間のおかげだよ」
そう言って姫乃さんは俺に笑いかけた。
「雉間、ありがとね」
この数ヶ月、俺は姫乃さんに憑かれてきたがお礼を言われるのはこれが初めてだった。
それが俺には嬉しくて、その反面で密かに具合の悪さを感じていた。
心からの言葉を言う。
「それはよかった」
「うんっ!」
姫乃さんは大きく頷いた。
そして、
「だからね雉間。今までありがとう」
「……」
その言葉の意味を理解する一瞬、俺は言葉を失った。
いや、違う。本当は俺はどこかでそれがわかっていた。わかっていて、それでもそうとは思いたくなかった。
「私のやりたかった探偵局を作ってくれて本当にありがとう。雉間とあかりといた時間はすごく楽しかったの。本当にね、私の憑いた人が雉間で良かったの! 私、雉間がいてくれて本当に良かったの!」
「……」
その言葉は俺の心のどこかを優しく温めてくれた。俺は今まで自分が生きていることに価値がないと思っていた。
そして、それはあの日も……。
「姫乃さんは」
俺は、ずっと心に留めていたことを言わずにはいられなかった。
「俺が事故に遭ったあの日、姫乃さんは知っていたんですよね? 初めから」
姫乃さんは何も言わなかった。が、俺でわかるようなことを姫乃さんがわからないなんてことはない。
唾を飲む。
「姫乃さんは俺の憑依霊になる前はあの丁字路の地縛霊だった。そして姫乃さんが教えてくれた、人が地縛霊になる三つの条件。“死ぬこと”、“やり残したことがあること”、“生きたいと思っていること”。この三つがあったから姫乃さんは地縛霊になった。どんな物にも魂は宿るし、その魂は常にないとダメだからって。
だけどあの日の俺には……、その三つの条件は“一つも当てはまらなかった”!」
その言葉を言った時、姫乃さんが少し笑ったように見えた。
話を続ける。
「俺は事故に遭っても死ななかった。それにやり残したこともなかったし、生きたいとすら思っていなかった。もしそれらが三つ揃って初めて魂になるのなら、それらがなかった俺には魂がない状態だった。だから姫乃さんは俺に憑いた。一つの憑依先として、俺自身が打って付けの地縛霊が憑ける存在だったから!」
姫乃さんは何も言わずに頷いた。
それを見て俺は少しだけ声を上げる。
「でも、俺はもう違う。やり残したことがあるかはわからないけど、今の俺は生きたくないなんて少しも思わない。俺は生きたい! 生きて生きて、姫乃さんの遺志を継ぐ。だからもう、何も心配はいらない。姫乃さんは成仏できるんです!」
「うん、ありがとね雉間」
姫乃さんは一度頷いて、笑った。
「やっぱり、親子だね」
「……」
言葉が出なかった。
恥ずかしかったのではない。申しわけなかったから。今まで隠していたことが……。
「気付いていたんですか?」
「うん。だって雉間の家、私の家とも真逆で私が事故に遭ったところも全然通らないの。それなのに入学式の日だけあそこに行ったとなればすぐわかる。
ね、あの日雉間は新しい制服を見せに行ったんだよね。一年前、私を助けようとして亡くなったお母さんに」
「……」
俺は頷いた。
頷く他なかった、姫乃さんを前にしては。
「はい。俺の母さんは小学校の先生で、事故に遭ったのは出勤の時でした。ホント、昔からお節介な人だったんです。困っている人がいれば見過ごせない、誰彼構わず手を差し伸べる。そんな世話焼きで」
「ねぇ、どうして黙ってたの?」
「……」
きっと姫乃さんのこと、俺が気を遣ったと思っているんだろうけどそれは違う。
本当にただ、
「言えなかったんです」
正直に答えた。
「だって俺は、母さんが助けようとした女子高生が死んだと知ってから、ずっとこう思っていたんです。初めから知らない人なんか助けなければよかったのに。関わらなければよかったのに。見捨てればよかったのに。って、顔も名前も知らない人にそう思っていたんです。姫乃さんに……」
そして多分この時からだ。
俺が他人との関わりを持たなくなったのは……。
「誰かと関わっても良いことは何もない。関わり合いは必要最低限で十分。俺は今まで母さんを馬鹿だと思っていました。自分の身を犠牲にして、人を助けようとして、挙句の果てに誰も救えずに死んだ母さんが、本当に馬鹿だと思っていました。あんな死に方をした母さんにはきっと後悔しかないんだって……」
そして俺はあの一件以降、母さんの行いを反面教師にしていた。
人助けなんかで死ぬことがないように。
後悔しながら死ぬことがないように。
ずっと……。
「でも、今は違います。今日屋上で紗が落ちた時、初めてわかったんです。今動かなければ一生後悔する。死んでも後悔する。例え救えなくても動かずにいたら後悔しかないって。そこでやっと気付いたんです。母さんは後悔がない選択をしたんだって」
俺は言う。
「やっとわかりました。本当の馬鹿は俺だったんです。自分を犠牲にして姫乃さんを救おうとした母さんは俺の誇りです」
「うん」
姫乃さんは控えめに笑って頷いた。
そして、思い出したかのようにどこか遠くを見て言った。「もう、そんなに時間もないみたいなの」を前置きにして。
「あのね雉間、最後に一つ言いたいことがあるの。実は私、雉間にずっと謝りたかったんだ。お母さんのこともだけど、今まで雉間には私のせいでいっぱい迷惑をかけてきたから……。ね、ホントは雉間、探偵局をやるの嫌だったんだよね。楽しくなかったんだよね。私のわがままなんかに付き合わせてごめ……」
その先は俺が言わせなかった。
「楽しかった! 俺は! 俺には生きている意味なんてなかったけど、姫乃さんといた時間は本当に楽しかった!」
俺の本音は強がりに聞こえたのかもしれない。姫乃さんはくすりと笑った。けど、そんなの関係ない。先を言う。
「あまり人と関わりたくない俺だったけど、俺は姫乃さんと出会えてすごく良かった! 姫乃さんのおかげで久良さんとも出会えたし色々な人とも出会えた。何より俺に、探偵局という居場所ができた。それに、今では少しだけ人との関わり合いも悪くないと思ってる。だから、これは全部姫乃さんのおかげなんです。今の探偵局があるのも俺が探偵でいれたのも、全部! だからさ、姫乃さん……!」
俺は口ごもった。
その先を言おうにも、なかなかどうしたことか言えないのだ。
俺はこの場になって「もう少しだけいてくれないか」と言いたかった。
たったこれだけの言葉が、なぜだか口に出せなかった。それが言えたところで本当にいてくれるかなんてわからないのに……。
第一、それは言ってはいけないのだ。姫乃さんが死んで一年と数ヶ月、姫乃さんがどれほど成仏できるこの時を待ち望んでいたか。そして俺もその時を待っていた。待っていた、はずなのに……。どうしてだろう。今の俺は姫乃さんにいなくなってほしくなかった。
「あの、姫乃さん! 俺は姫乃さんに……!」
迷いに迷った挙句、やっとの思いで出た俺の言葉は途中で遮られた。
「あ、雉間、そろそろお別れみたいなの。
だからね、今までありがとう――――」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます