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 そこまで話すと久良さんは唇を湿らすかのようにウインナーコーヒーに口を付けた。


 ふう、と短く息を吐く。

「で、どう思います?」


『うーん。確かに不思議だね』


 そう姫乃さんは腕を組みながら答えたが、俺にはまるっきし擂粉木すりこぎに羽が生えた話とは思えない。


 ただ単に、

「久良さんが食べたローストビーフが運良く美味しかっただけで、他のは本当に美味しくなかったんでしょう。その、パサパサで」


 この発言に久良さんは真っ向から否定した。


「いえ、それはありえません。だって友達が頼んだのはローストビーフ丼ですよ。一枚ずつ焼いたお肉なら焼きムラもあるでしょうが、ローストビーフは一個のお肉の塊を焼き、それを後から切ったもの。パサパサだったならすべてのお肉がパサパサになるはずです」


 確かにそれもそうだが。


「それじゃあ美味しさの決め手は素材ではなく技術だったんでしょう。素材や工程が同じでも、新人よりも店長の方が上手に……ん?」


 上手に……なんだ?


 途中で言い止めた俺を久良さんは要領通じたとばかりに真っ直ぐ見た。


「そうなんですよ、雉間さん! ! 乗せるローストビーフは予め焼いていたもの。加熱もしないし、包丁も使わない。工程も盛り付けだけ。その工程さえ守れば美味しくないなんてことはないんです」


 なるほど。読めてきた。


 オムライスを作るにはかたいがローストビーフ丼はやすい。

 なのに新人が作れば不味くて店長が作れば美味い。

 それも“”と言いたいのか。


 おそらくは新人がローストビーフ丼を任されたのは久良さんが言うよう盛り付けだけの簡単なメニューだからだろう。オムライス作りを任せないのを「新人にはまだ早い」って考えているのかは知らないけど。


『あかり、確認だけどその工程は本当に同じだったの? 順番も?』


「はい。見ていましたけど順番も同じでした。まず炊飯器のご飯をどんぶりに盛って、冷蔵庫から取り出したローストビーフを扇状に乗せる。その上に卵の黄身を落として、ミキサーで溶いた白身を円を描くように回し入れる。そして最後に白ゴマを振って、特製のタレをかける。

 新人さんも店長さんも同じ工程でしたし、店長さんの方が一つ工程が多かった、なんてこともありませんでした」


 工程の数が同じなら、“入れるべき調味料を新人は入れ忘れた”という線もなくなる。


『それじゃあ提供までの時間はどうだった? もともと冷蔵庫にあった食材を使ったなら、調理する時間の分だけ鮮度は落ちるし美味しくもなくなるよね』


「ふふ、それもないと思いますよ」


 言いながら久良さんはティラミスのスポンジケーキをスプーンですくった。謎解きを持ち掛ける久良さんはどこか楽しそうに見える。


「新人さんも店長さんも、出されるまでの時間に大差ありませんでした。それに」


 一瞬溜めて言い放つ。


『あ。そっか』


 空いていた。

 その一言で妙に納得したかのような姫乃さん。


 そんな姫乃さんに俺は訊く。

「どういうことですか?」


『ん、だからね』

 チーズケーキをフォークで一欠ひとかけ切る。


『混雑時とかならまだしも、あかりが入店したのはお店が空いてる時間。だから提供までの時間は、なんだったら通常よりも早い方だったと思う。

 つまり新人さんの調理が遅いから美味しくなかったっていうのは考えにくいの』


 切ったチーズケーキをもぐもぐと食べる姫乃さんに、久良さんが頷いた。


「はい、わたしもその考えです。それに料理自体、注文から一〇分も待たず来ましたし、姫ちゃんの言う通り早い方だと思います。仮にそれでも美味しくない原因が調理の遅さにあるなら、新人さんは提供前から気付いていたはずです。でもあの時に見た新人さんは、自分の失敗に後から気付いて店長さんに謝っているようでした。なので最初のローストビーフ丼が美味しくなかったのは、新人さんのミスなのだと思うんです」


 確かにそうだろう。悪意を持って不味い料理を出されても店は困るだろうし。


『うん、そうだろうね』


 チーズケーキを食べながらに考える姫乃さん。

 と、ティラミスを食べ終わる久良さん。


 手持無沙汰てもちぶさたの俺はコーヒーを啜る。


「じゃあ新人には教えてない工程でもあったんじゃないか?」


 まったくの袖手傍観しゅうしゅぼうかんではよろしくない。そんな思いから大した考えもなしに言ったところ、久良さんが食いついてきた。


 驚いたように、

「雉間さん、それってどういうことです?」


 正直、この場になって考えなしに発言したなんて言いにくい。ので、ない考えの先を即席で開陳する。


「企業秘密とか、新人には教えられない工程でもあったんでしょう。仕上げに塩をひとまみみたいに」


「なるほど。ローストビーフを美味しくするのに塩を入れるやり方があるんですね」


 さあ、どうだろう? 俺は料理をしないから。


 手をポンと打った後で、久良さんは気付いたかのように首を傾げた。


「あれ? ですが雉間さん、それならそもそも作り方がわからない人に調理を任せるでしょうか? それに見ていた限り調理の工程は同じでしたよ?」


「……」


 お説ごもっとも。

 俺は黙ることに専念した。


『ところであかり、気になることがあるんだけどいいかな?』


 はい、と頷く。


『あかりもローストビーフ丼は食べたんだよね? その時ってどうだった? 何か気になることはなかった?』


「気になること……」


 言いながら久良さんは、まるでそうでもすれば思い出せるかのように手を伸ばし、その後で手を口元に持って来た。いったい何をしているのかと見て入れば、どうやらあの手は箸の見立て。ローストビーフを食べた時を思い出しているのだ。なんて健気けなげ


 一通りの所作を終えて、

「そうですね、特にはなかったかと思います」

 久良さんが言う。


「ローストビーフは美味しかったですし、唯一気になったことといえば友達が言った『パサパサしてる』くらいです。それに、今思えばわたしがもらう時にはローストビーフ丼の上の卵は崩されていて、黄身がお肉に満遍なくかかっていました。だからパサパサなんて、やっぱり変な気がします」


『じゃあオムライスはどうだった?』


「オムライスですか?」


 久良さんは不思議そうに言った後で、明るく答えた。


「ええ、それはもうとても美味しかったですよ。家で作るオムライスのケチャップライスって、どうしてもべちゃっとした感じになりがちですけど、たまごのレストランのケチャップライスはそんなことなく。バターの甘みとトマトケチャップの酸味、それからふわふわとろとろの卵の滑らかさが絶妙にマッチしていて……はあ、とても美味しかったです……」

 恍惚の笑みを浮かべる。


 久良さんがそこまで推すならそのオムライス、少し食べてみたい気もする。


 向かいでは姫乃さんがあごに手をやった。


『ん~……』


 どうやら長考に入るみたいだ。


 しかし悩ましく考える姫乃さんには申し訳ないが、極論この謎解きはただの暇潰し。そこまでして頭を悩ませる必要はまるでない。謎を持ち掛けた人だって同じ探偵局内の久良さんだし、途中で放棄しようと誰にも石を投げられることはないのだから。


 そう俺が言うと『依頼者が誰であろうと、依頼は絶対に成し遂げる必要があるの』と語気強く言われた。


 ここまで熱意に溢れているとは……。

 この探偵、そのうち誰かの尾行までするのではなかろうか?


「あ、ではでは、姫ちゃん。こういうのはどうでしょう? 


 なるほど。


 だけどそれだと……。

 俺が思った疑問は久良さんが自分で言った。


「……あれ? でもそれなら、どうして友達は『美味しくない』と言ったのでしょうか?」


 清々しいほどの自問自答に俺は苦笑した。


「ないでしょうね。それに量がおかしかったなら配膳時にウエイターが気付きますよ」


「あ。確かにそうですね」


 盲点だったのか、久良さんは言われて初めて気づいたような顔をした。


 そうだ。新人が作ったローストビーフ丼は少なくとも配膳をするウエイターが見ている。新人のミスが見た目でわかる範疇はんちゅうならウエイターが提供を許さない。となれば新人のミスはやはり友達が言うよう“”になる。


 実際問題、一度は提供した料理を戻したわけだしミスはあったはず。

 しかし久良さんいわく、新人と店長の料理はどちらも同じ味。それを裏付けるべく、工程も使う食材も同じだった。残る線としては久良さんの味覚がおかしいか……。




 と、その時。




 深く考えていた姫乃さんがゆっくりと顔を上げた。

 心なしか、口角は上がっているように見える。


『うん。だからの』


「うー、そうですよねぇ……」

 うなる久良さんに、あっけらかんと付け足す。


『でもあかりの“”って考えは今まで出た中で一番惜しい。もうちょっとでわかると思うよ』


 惜しいって、それじゃあやっぱりその顔は……。


「姫乃さんには解けたんですか?」


 俺が言うと、姫乃さんは至極当たり前のように頷いた。


『解けたって、もう雉間、私は名探偵だよ? 当然なの』


 久良さんの顔つきが変わる。


「ええっ、本当ですか? それなら聞かせてください。いったい新人さんと店長さんとでローストビーフ丼は何が違ったんでしょう?」


 久良さんの言葉に姫乃さんが正面を見る。


 口元を緩め、

『ふふん。推理するまでもない簡単なことよ』

 語り出す。

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