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 ◇ ◇ ◇




 数十分後。

 俺は個人でやってるコーヒー店に来ていた。


 待ち合わせにしていた駅からそう遠くない所にある複合商業施設の一階で営業するコーヒー屋さん。道路に面している立地の良さもあってか、店内はほどほどに埋まっていた。いい感じに空調が利いた四人がけのテーブル席。そこで俺は注文したホットコーヒーを飲んでいた。インスタントでは味わえない、絶妙な苦みとあと引く香り……。うん。なかなかに良いじゃないか。これまで一度も入ったことがなかったが、確かにこの味はファンになりそうだ。




『はぁ……』




 俺の向かいの席では姫乃さんが本日何度目かのため息を吐いた。


『せっかく来たのにぃ……。私のスマイルくん……』

 別にスマイルくんは誰のものでもないと思うが。


 当然だが姫乃さんの隣には久良さんもいる。姫乃さんの背中をさする久良さんは、いったい一般人にはどう見えているのだろうか? 少し気になる。


「ごめんなさい、姫ちゃん。わたしが事前に調べていれば…………」


 そう。遠い中縁も遥々はるばる訪れたショップは臨時休業だったのだ。


 店の入り口はシャッターで完全に締め切られた状態で、シャッターには手書きで書いたと思われる臨時休業を伝える張り紙が出されていた。詳細なことまでは知らないが、なんでもスマイル君に欠かせない重要な人物が戻って来たとのことで今日は急遽休業なんだとか。


 店が閉まっていることに落ち込む姫乃さん。そんな姫乃さんを慰めるため、久良さんの提案で近くのコーヒー店に来たのだ。


 ちなみにだがスマイル君の店を離れる間際、俺がガラス窓から二度と訪れることのない店内を覗くと、店の中にはぎょっとするほどにおびただしい数のスマイル君が並べられていた。


 大きさも色も異なるそれらが売られた店は、やはりというべきか男子高校生が入るようなところではなく、俺は密かに今日が臨時休業であることに感謝した。


『うぅ……。悲しいけどあかりのせいじゃないの。仕方ないの……はぁ……』


 まるで生気が吸い取られたかのようにテーブルに突っ伏す姫乃さん。


 生き生きとしていない姫乃さんを見るのは非常に珍しいが、思えば姫乃さんは正真正銘の幽霊。だから生き生きとしているいつもが変なのだ。


 と、俺がコーヒーを啜ると、




「まあまあ、姫ちゃん。?」




 突然の提案。

 思わず俺は咳き込んだ。


 嘘だろ? あんなファンタジーショップにまた行くと言うのか!?


 あいにく、周りには客や店員はいない。それを知ってか久良さんが声を上げて言う。


「ね、そうしましょうよ、姫ちゃん! 実は来月には着ぐるみのスマイル君が来るらしくて、なんと一緒に写真撮影ができるんですよ!」


 姫乃さんの顔が上げる。


『着ぐるみの……スマイル君と……?』


 ああ、よしてくれ……。


「そうですよ! 写真ですよ、写真! スマイル君との写真撮影ですよ。ね? 写真なら雉間さんもいいですよね? ちょうど探偵局、みんなでの集合写真もなかったことですし、スマイル君も入れてみんなで撮りましょうよ!」


『うんうん。それいい! それに私、一度でいいからスマイル君との写真が欲しかったの!』


 そんな心霊写真いらんだろ。




 ……と、そこに、




「お待たせしました。こちらでございます」




 ウエイトレス姿の店員がやって来て、これこれとテーブルにスイーツを並べ出した。

 けど誰もスイーツなんて頼んでいない。


 俺は言う。

「すみません。これは注文して……」


『わーい! 来たきた』


 は?


「美味しそうですね。どうもありがとうございます」


 言いながら久良さんはティラミスの皿を自分の方に引き寄せた。

 久良さんの反応に店員は「ごゆっくりどうぞ」と言い去って行く。


 俺の前にチーズケーキを置いて……。


『わー、美味しそー!』


 そう言いながらチーズケーキを自分の前に寄せる姫乃さん。

 先ほどまで落ち込みが嘘のよう。いや、そんなことより。


「いつ注文したんですか?」


『うふふ、ごめんね雉間。お店に着いた時あかりに言ってたの。あのね、わたし食べ物の中で一番チーズケーキが好きでね、もう一年も食べてなくて、そしてずっと夢だったの。もう一回チーズケーキを食べることが。うふふふふふ……』


 好物のチーズケーキを前にいつになくご機嫌な姫乃さん。死してなお夢を叶えようとするその姿勢こそ見習いたいがこのチーズケーキ、いったい誰が会計すると言うんだ。


 姫乃さんの勝手な行動ならこれまでにも何度かあった。そしてその度に、俺は目をつむってきた。が、今更になって思うが今後もこのような勝手が続けば困るのは間違いなく俺ではないだろうか。

 姫乃さんの幸せの分だけ俺にしわ寄せが来る……そんなの、いいわけがない!


 軽くむかっ腹を立てる俺を察してか、久良さんが申し訳なさそうに囁く。


「あの、雉間さん。今日誘ったのはわたしです。姫ちゃんの分はわたしがお支払いします」


「ええ、そうですね。俺は払わないですからね」


 俺としてはそこまで本気で言ったつもりはなかった。


 けど、




『え……。うそ、何言ってるの雉間。ここは雉間が払うんだよ?』




 姫乃さんが本気で驚いた顔をしているのにはさすがに驚いた。


 そうまで当たり前のように言われては、つい言い返してしまう。


「嫌ですよ。払いません。何が悲しくて幽霊のチーズケーキ代を出すんですか」


『はあっ!? 雉間、それ、本気で言ってないよね? こういうのはペットとかと一緒で飼い主もとい憑依先が払うものなの。それにこれくらい、私のこれまでの功績を考えたら安いもんじゃない』


「功績って、実質依頼もまだ二つしかないのによくもそんなこと……」


『むぅっ』

 途端にしかめ面になる姫乃さん。


『はあ? じゃあ何? 雉間は私の実力を疑ってるの?』


 逆鱗に触れた。

 ような気がしたので思わず横の窓に目を向ける。


「いや、別にそういうわけじゃないですけど……」


『別にって! やっぱり雉間は私の実力を疑ってるの!』


 言いながらテーブルをドンドン叩く姫乃さん。怒りの矛先が何だかシフトしている。


とか、疑ってなければ言えないの! 雉間は私をバカにしてるの!』


「まあまあ、落ち着いてください。誰も姫ちゃんの推理の腕を疑っていませんよ。それに雉間さんがチーズケーキ代を出さないならわたしが払いますから、ね?」


『いいの! あかりは出さなくて! 絶対に、雉間に払わせるんだから!』


 なぜに俺に支払わせる気満々なんだ、この憑依霊は!


 そう思いつつ、俺が窓の外に目を向けたまま無視を決め込んでいると……。




 ん?




 その時、店の前の道路にワゴン車が止まった。


 ワゴン車が停止して間もなくすると運転席から若い男が出てくる。

 白のシャツに紺色の帽子、それと軍手を身につけたその男は、車の後ろから大きめのダンボールを引き下ろす。

 下ろしたダンボールにはふうがされてないようで上部の蓋は四方に開き、そこからはネギだろうか? 先が二手に分かれたひょろ長い緑の棒が顔を出していた。見るからにあれは……ああ、やはりネギだ。と、そこで気付いたがダンボールの側面には黒のマジックで『たまごのレストラン』と書かれていた。


「ああ、たまごのレストランですね」


 言ったのは久良さん。

 見ると久良さんも姫乃さんも窓の外を見ている。


『たまごのレストラン?』


「はい。たまごのレストラン。ここのコーヒー屋さんの上にあるお店です。朝採れ卵を使用した卵料理が売りの、今若い女の子に人気の可愛いお店です」


 へえ、“可愛い”ね。

 それなら金輪際、その店の敷居をまたぐことは……。


『ね! 今度行こっ!』


「ええ、行きましょ!」


 ……。


 顔を見合わせる二人を無視して再び窓の外を見ると、ワゴン車の元に黄色いエプロンを着た女の子が小走りでやって来た。見目形からするに10代後半だろうか。どことなくまだ幼い彼女は、ワゴン車に駆け寄ると、おぼつかない手つきで男からダンボールを受け取り、中身を確認する。


「あれ? あの子……」


『知ってるの?』


 久良さんは一度「はい」と言った後ですぐさま直前の言葉を否定した。


「ああ、いえ、名前とかは知りませんが、先月友達とたまごのレストランに行った時に見かけました」


 見ればダンボールの中を確認する彼女のエプロンには『たまごのレストラン』と白の糸で刺繍がされている。よほどの店のファンでもない限り雇っているアルバイトだろう。


『ふーん。新人さんみたいね』


 言いながら姫乃さんは辺りを見渡し、チーズケーキをフォークで一欠け崩して食べた。


『ん~っ!』

 嫌味なほどに美味しそうな顔をする。


 そういえば姫乃さんが何かを食べているのを見るのはこれが初めてだ。久しぶりのチーズケーキに至福の表情を浮かべる姫乃さんに、久良さんが言う。


「ええ。たまごのレストランの店長さんが言っていたんですけど彼女は新人さんみたいですよ。高校一年生で、趣味のカフェ巡り代が欲しくて始めたそうです」


 高一というとバイトデビューだろう。あのたどたどしさ……。確かにそう見えなくもない。


 アルバイトの女の子はダンボールの中身の確認を終えると、それを抱えて窓枠の外に去って行った。


 後ろ姿を見送ってから、


「あ。そういえば……」

 ふと久良さんが思い出したかのように呟いた。


「その。友達とたまごのレストランに行った時、少し不思議なことがありましてね」


『不思議なこと……』


 前のめりになる姫乃さん。


『なになに? それってどんなこと?』


「それはですね……あっ!」


 興味津々な姫乃さんを前に、名案閃いたとばかりに久良さんが叫んだ。


 俺を見る。


「そうです雉間さん! わたしとこんなゲームをするのはどうでしょう? これからわたしがするお話。

 それをもし姫ちゃんが解けたら雉間さんが、解けなかったらわたしが、ここのケーキ代を払うというのはどうでしょうか?」


 思ってもいなかった事の運び。


 正直、場の流れでは言ったものの姫乃さんのケーキ代は払う気でいた。けれど、もしそれを久良さんが負担するなら断る理由はない。


 久良さんの提案に俺が乗ると、久良さんは笑顔で話を始めた。




「ふふ、では決まりですね。いいですか? それは先月のことでした――」

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