一章 探偵はゴーストです

1

 病名“あまり他人ひとと関わりたくない病”をわずらう俺にとって新学期は地獄のようなものだった。互いに探りを入れ合い、良い人間関係を築こうとするクラスメートたちは見ているだけでなんとも疲れる。様子見に人間観察に勤しむ者もいれば、自ら交流の輪に入っていく者もいる。「名前は?」、「部活は?」、「中学は?」決まってそう言うのは俺が知らないマニュアルにでも書いてあるのだろうか?


 そんなことに思考を巡らす俺は入学式に参加していなかったためか、クラスの一部では“スーパー転入生”と、そしてまた一部では入学式をすっぽかした“札付きのワル”という、何とも近寄りがたい称号を得ていた。まあ、他人との関わりを望まない俺からすればそのようなレッテルはおあつらえ向き以外に言いようないのだが。


 高校への登校が始まって、まず俺は部活を作るための新部活動申請書なるものを書いた。記入欄にあった部の名前欄には『姫乃探偵局』と一度は書いたものの、提出先のクラス担任のいぶかしげな顔を想像して、結局は『雉間しいま探偵局』で落ち着いた。それでも提出時にはクラス担任からは「色々と大変だったね。困ったことがあったらなんでも相談して」などと言われたが、事故で頭をおかしくした残念な生徒だと思われていないことを切に願う。


 そしてそんな苦労を要して提出した申請書はものの見事に本日受理をされ、これまたものの見事に今は使われていない特別校舎の空き教室、三〇一号室を部室として手に入れたのだった。

 部室を簡単に掃除して、適当な空き教室から椅子と机を拝借し、俺は今椅子に座っている。わけなのだが……。


「あの、姫乃さん?」

『ん? 何か?』


 成仏していないのはなぜだろう?


 と、ここで誤解をまねかぬよう記すが俺に彼女が見えるのは“俺の脳に異常があるから”ではない。病院での検査の結果、俺は至って正常であることが証明されたし、それに俺に憑いた彼女自身も『雉間の脳は正常なの』と言うのだから、それはもう正常だ。


 そしてついでに記すなら彼女は本物の幽霊であるのに間違いない。それもどうもたちが悪く、俺以外の人間には彼女の“姿”や“声”は見えも聞こえもしないのだ。どんなに相手の視界を妨げようと、大声を出そうと、彼女に気付く者は誰ひとりとしていない。


 これに対して当の本人は、『私の存在を認識するにはそれなりの強い力、すなわち霊感が必要なの。雉間は私に憑依されているから私を認識できるけど、普通の人には認識できない存在なの』と、授業中教壇に立って教えてくれた。俺はなんとなく、百聞は一見にしかずを理解した。


 ちなみにだが姫乃さんが憑いたことで俺自身になんらかの特別な力が宿ったとかはないらしく、予知夢や彼女以外の幽霊が見えるなどといった特典は一切ない。俺はどことなく、百害あって一利なしを理解した。

 それはさて置き、問題は……。


「どうして成仏しないんですか?」


 俺は並べた机の上で横になる姫乃さんを見た。


 制服姿の姫乃さんは仰向けのまま、

『それはきっと何もしてないからなの』

 と退屈そうに答えてくれた。姫乃さんの声は無人の教室によく響く。


『依頼の一つも解決してない名ばかり探偵局なんて私はいらない。だってそれじゃあただのお遊びと変わりないもの。そんなんじゃ私は死んでも死にきれないの。私がやりたかった探偵局はね、もっとこう、いくつもの依頼をこなした実績のあるすごい探偵局だから』


 高い志だなとは思いつつも、一応で返す。


「ですが姫乃さん、そんな実績ある探偵局も依頼がなくては何も始まりませんよね?」 


『うーん、確かにそうなの』


「困りましたね」


『うん。困るの……』


 …………。


 沈黙。

 いや、正しくは思考。考えているのだ、俺は。


 このまま依頼がなければ、それは間違いなく楽だ。少なからず俺は他人ひとと関わらずに済むのだし、この合法的に得た私的空間を悠々自適に堪能できるのだからメリットしかない。それに第一、俺が依頼を解決したとして、そのことで誰かに恩を着せるなんて真似したくもないし、されたくもない。いかなる場合であれ俺は他人と関わりたくないのだ。


 ……が、現状背に腹はかえられなくなっている。俺の軽いミザントロープが原因でこのまま一生彼女に憑かれては、俺もまた死んでも死にきれない奴になるだろう。いや、そうならないためにもまずは依頼が必要なのだ。解決する依頼が……ん?

 静寂の中で考えを進めていると必然的に一つの不安要素に気付かされた。


「ところで一ついいですか?」


 むくりと机から起き上がる。

『うん、いいの』


「依頼がくるのはいいですが、その依頼を俺が解決できなかった時はどうすれば……」


 姫乃さんはくすりと笑った。それから手を大きく振り、


『そんなことないから大丈夫。そもそも雉間が頭を使う必要はまったくないの。だって依頼を推理して解決するのは探偵の私なんだから』


「ええっと、それはつまり?」


『依頼は私が解決に導くの。だから雉間は私の言う通りに動けばいいだけってわけ』


 ああ、なるほど。

 つまり表向きこそ探偵だが、実際は真の探偵である姫乃さんの助手というわけか。探偵が幽霊の操り人形とは変わった役回りになりそうだが、


「でも、それなら姫乃さんが俺の体を乗っ取った方が早くないですか? ほら、映画とかでよくある“ノリウツル”ってやつ。あれなら話も早いと思いますけど」


『あー、残念だけどそれは無理ね。ああいうのは生前に恨み辛みを沢山持った高等憑依霊ができる技だから、私みたいな可憐な憑依霊にはできないの』


 机に座り、脚をぷらぷらと揺らすことで可憐さをアピールする姫乃さん。

 俺はそれを見なかったものとする。適当なところに座り、


「そういえば姫乃さんって俺に憑くまでは何してたんですか? 去年の入学式の日に死んだって聞きましたけど、それなら丸一年空白の期間がありますけど」


『ああ、雉間に憑くまでの一年間はね、地縛霊だよ』

 そつなく答えた。


「じっ、地縛霊!?」


 俺は二重の意味で驚いた。地縛霊の存在はもちろん、まさかなんの気なしに訊いたこの質問に答えがあったことに。


『うん、地縛霊。ほら、雉間が事故に遭った通学路。あそこで私は死んだの。で、死んでからはそこの地縛霊をしていたの。ずっと』


「はあ」


『ちなみにだけど雉間は人が地縛霊になる条件って知ってる?』


 唐突に来たこの質問に、俺は首を横に振った。


「いや、知らない」


 その返答に姫乃さんは少し嬉しそうにうんうん頷いた。


『じゃあ教えてあげる。人が地縛霊になるには三つの条件をクリアする必要があるの。

 まず一つ目に“死ぬこと”。二つ目に“生前にやり残したことがあること”。そして三つ目に“生きたいと思っていること”。この三つの条件をクリアした場合のみ、人は地縛霊になれるの。そもそも地縛霊ってのはその土地の心だから』


「心、ですか」


『うん、心。いや、魂と言った方がいいかな。ほら、雉間は聞いたことない? 物にも魂が宿るって話』


付喪神つくもがみのことですか」


『うん、そう。それと同じでね、土地にだって魂は宿るし、魂は何にでも宿るの。もちろん人にもね。そしてそれは常に宿ってないとダメ。あ、もう一つ訊くけど、雉間は地縛霊になった人が地縛霊を辞める条件って知ってる?』


 再び来た問いに、俺は首を横に振った。


『そう、じゃあ教えるね。地縛霊になった人が地縛霊を辞める条件は一つだけ。

 それは“”なの』


「……」


『一つの土地にいられる地縛霊は一人だけ。これは決まったこと。そして地縛霊がいる土地で後から別の人が地縛霊になれば前にいた地縛霊は成仏できる。これも決まったこと。でも、そもそも地縛霊になる条件を三つとも満たす人っていないの』


 姫乃さんが言う。


『初めこそ、大抵のなりたての地縛霊は地縛霊としての日々を楽しむ。そりゃあ地縛霊になるための条件を満たしたわけだし楽しめる。だけどね、来る日も来る日も同じ日を繰り返すのはとても退屈。死んだ場所から十メートル以上離れられず、どれだけ声を出しても誰にも気付かれない。おまけにお腹も減らなければ死ぬこともできない……。そんな毎日を繰り返すとね、いつしか地縛霊は代わりの人を待つようになるの。言わば、悪霊の一種となって』


 そこで姫乃さんは言葉を切った。

 それが俺の言葉を待っているものだとはわかっていても何も言えなかった。


『もうわかったと思うけど、その悪霊は自ら事故を起こして自分の代わりを作ろうとする。それはとても悲しいことで、辛いこと。そうはわかっていても、みんながみんなそうするの。だってみんな成仏したいから。孤独が辛いから。ずっと一人は嫌だから……。

 人の生き死にはとても曖昧。それがわかっているからみんな事故を起こす。自分の代わりを作るために……。

 でもね、私は誰かを犠牲にできなかった。だから私は一年間、雉間が来るまで地縛霊をしていたの』


 姫乃さんはまっすぐな目で俺を見た。


『だからね、私は雉間にすごく感謝しているんだよ。こうして雉間と話せるし、それに雉間が行くところなら私もついて行けるしね! ……あっ! 言っておくけど雉間が事故に遭ったのに私は関係ないから。雉間がおっちょこちょいなだけだから』


 言われなくても姫乃さんが悪霊でないことくらいわかってる。それに俺が事故に遭ったのだって、原因はその日偶然降っていた雨とドライバーの不注意。誰も姫乃さんを疑っていない。

 第一、俺は……。


『ま、雉間が地縛霊になれるとも限らないしね』


 さいですか。


 放課後の空き教室には意図せず沈黙が下りた。

 そんな中で俺は壁に掛かった時計を見て、今日の訪問はないと読む。


「姫乃さん、今日はもう帰りましょう」


 小さく言った俺の言葉に姫乃さんは何も言わなかった。

 雉間探偵局の初日はそれで終わった。

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