雨城姫乃の探偵局

hororo

プロローグ

 四月の初週。

 その日は月和つきわ高校の入学式だった。クラス発表が入学式前にあるのは雨天時でも変わりなく、あいにくの雨の中、俺は傘を差して家を出た。


 本当に、いつからだろう……。

 雨の日に憂鬱を感じるようになったのは。


 新しい制服に新しい通学路、新しいクラスと新しい出会い。そんなおニューだらけの学生生活が始まると思うと俺はいつにも増して憂鬱だった。

 憂鬱な理由を述べるならそうだ。俺が『人間嫌い』だから……いや、それだと少し語弊がある。正しくは“あまり他人ひとと関わりたくない”のだ、俺は。

 対人関係なんてわずらわしいだけ。他人と関わっても良いことなどないのだし、関わり合いは必要最低限で十分。そんな信念を持つ俺はこの春から月和高校に通う新月和高生。入学式に参加するため月和高校に向かっていた。


 ……しかし、結果として俺は入学式に出ていない。なぜならその日、俺は交通事故に遭うのだ。

 丁字路で左折目的の車と出会い頭に衝突。飛ばされた先のガードレールに頭を打って即気絶。その後は救急車に運ばれて病院へ。入学式どころではないだろう。

 事故の原因は雨中での視界の悪さと見通しの悪い道路だったこと。それと現場に立てられたカーブミラーへの確認不足が挙げられた。


 一方で撥ねられた俺はというと奇跡的にこれといった外傷もなく、病院に着いて一時間後には普通に起床。ガードレールに打った頭も脳への異常は見つからなかった。


 それでもまあ、その日一日は病院のお世話になるのだが……。


「さて」


 だだっ広い個室にぽつんとベッド。テレビも何もないその部屋での使命はただ一つ。


「寝るか」


 医師の言う通り、安静に眠ることだった。

 布団を被り目をつむる。


 ……まったく。


「ついてないな」


 ――。


 ――――。


 ――――――――。




「えぇーっ! 嘘でしょぉーっ!」


 夢の中。誰かの声がする。


「お姉ちゃん、ホントに合格しちゃったのぉっ!?」


 見渡すとそこは誰かの家の中。

 見知らぬ二人の少女がリビングにいた。


「ふふうん。まあねー」


「すごいよお姉ちゃん! すごいよ、だってあの月和高校だよ! 信じられない!」


 どうやら彼女たちには俺が見えていないよう。

 そして話の雰囲気から察するに彼女ら二人は姉妹のようで、確かに全体的な容姿や顔のパーツは似ている。明確な違いとしては髪の長さだろうか。長い髪をシュシュでくくっているのが姉で、ショートカットの方が妹だ。


「ふふうん、私が合格するのなんて当然なの」


 そう言って姉は妹の頭をくしゃくしゃにでまわした。

 おいおい、せっかくの整った髪型が台無しじゃないか。とは思うも妹の方は嬉しそう。


「ふふっ、あのね! お姉ちゃん!」


 妹は気恥ずかしそうに笑う。




「合格おめでとう――」




 ――と。次の瞬間、映画のワンシーンのように場面が転換した。


 周りを見れば、俺は知らない部屋にいた。

 ティーカップが置かれたガラステーブルを挟んで、これまた例の姉妹が話をしている。

 不思議と嗅覚は利くようで俺はレモンティーの甘い香りを感じた。


「そういえばお姉ちゃんは高校では何の部活に入るの?」


「実はお姉ちゃんはねぇ……」


「ああっ、わかった! 剣道部でしょ! 剣道部! だってお姉ちゃんすっごく強いんだもん!」


 興奮隠しきれない様子の妹を前に、姉はチッチッチと指を振る。


「ふふふ、それが違うの。実はここだけの話……」


 秘密を告げるかのように声を潜める。


「お姉ちゃん、高校では新しく部活を作ろうと思ってるの。困っている誰かの助けになる、そんな部活を」


「ふーん。それじゃあ何? ボランティア部とか?」


 そう言ってカップのレモンティーを啜った妹に、姉ははっきりと言い切った。


「ううん。お姉ちゃんはね、探偵局を作るの!」


 その途端、妹は咽返むせかえした。

 ケホケホと咽る妹を知ってか得意気に言う。


「そう、名前は姫乃探偵局ひめのたんていきょく!」


 その言葉が言われるや否や、今度は我慢の限界とばかりに笑い出した。


「あはははっ! 何それお姉ちゃんダサいでしょ!」


「ちょっとー、ダサくないってばーっ!」


「それに局ってもう部活じゃないじゃん――」




 ――と。

 そこで再び場面は転換。待つ暇もなしに今度は玄関だ。どこぞの玄関では月和高校の制服を身にまとった姉と、そのお見送りであろう妹の姿がある。

 高校指定の黒の革靴を履き、ステンレスの傘立てから傘を引き抜く。

 そしてつま先で床を蹴り、姉は言う。


「それじゃあ入学式に行ってくるの。ママも入学式には来るみたいだからお留守番よろしくね」


「うん、行ってらっしゃい」


 胸の前で手を振る妹を見て、姉はドアを開けた。


 そして外に身を出しかけると、

「あの! 待ってお姉ちゃん!」

 妹が叫んだ。


「ん?」


「あの、ね。私も……」


 数秒の間を空け、それから妹は意を決したかのように姉を見た。


「私も来年、月和高校に入るから!」


「……」


「ほんとに。絶対に入るから! だから! あの、ね……」


 そこまで言って、急におどおどし始める。どうやらその先の言葉はないよう。

 そのことを察してか姉は笑って出て行った。




「うん、待ってるよすず――」




 ――――――――。


 ――――。


 ――。




 まったく、つまらない夢を見たものだ。それも見知らぬ姉妹が出るとは夢占いではどう診断されるのだろうか。調べはしないが“脳に異常あり”の言葉で片付けられないことを願うばかりだ。いやでも、考えてみれば大抵の夢はつまらないのだから意外と普通なのかもしれない……。

 と、次第に薄れゆく夢の内容にそんなことを思いながら俺が目を開ければ、




『初めまして、雉間快人しいまかいとさん』




「はあ?」


 なんと俺の目の前では、先ほどまで見ていた夢の“姉”が、覆い被さるように俺の顔をうかがっていたのだ。月明かりが薄く照らす部屋の中、月和高校の制服を身にまとった彼女は俺と目が合ったのを確認すると、とびっきりの笑顔になった。




『私はあなたの憑依霊の雨城姫乃うじょうひめの。これから色々とよろしくね!』




「…………」


 …………。


 あー、なるほど。


 どうやら俺の脳には異常があるらしい。阿呆のようにポカンと口を開けている俺はどこかおかしいのだ。


 生まれて初めて迷いなくナースコールに手を伸ばしたところで、

『あーっ! まってまってまって! 大丈夫! 事故の後遺症とかじゃないのっ!』

 両手を振って大抗議。


 大丈夫かどうかは俺が決めることでは? と思うも、そこまで必死に言われると押せなくなるのが不思議だ。

 ひとまず俺はナースコールから手を遠ざけて、代わりに一度咳をする。


「ええっと、雨城姫乃うじょうひめのさん?」


『何、雉間快人しいまかいとさん?』


「あの、ここは俺の病室ですよ」


『うん』

 こくりと頷く。そして、

『知ってる』


「じゃあですね」

 俺は部屋の扉を指差した。

「早くご自分の部屋に戻ってください!」


『えーっ!』

 この言葉にいたく驚く自称憑依霊。

『うそでしょ? もしかして雉間は私の話を信じてないの!?』


 テンション高いなぁ、と思いつつも俺は黙って頷いた。幽霊なんて信じられないのだ。


『ふふうん。雉間がその気ならいいですとも。それじゃあ……えい!』


 本当に突然だ。

 いきなり目の前の雨城何某なにがしが俺の鼻先めがけて渾身こんしんのストレートをかましてきたのだ。


「……っ!」


 思いがけない攻撃に成す術なく拳は見事に直撃……かと思いきや、その拳はすうっと俺の顔をすり抜ける……。


 …………。


 いや、意味がわからない。今、腕を伸ばした彼女の拳は位置的には俺の頭の中なのだがその感覚はまるでない。しかし鼻先から伸びる彼女の腕に手を伸ばせば、こちらは不思議に触れた。



「はぁぁっ!?」



 思わず素っ頓狂な声を出した俺に、彼女は得意気になった。


『ふふうん。どう? これで信じた? これはね、意思なの。今腕は私の意思で触ることを許しているけど基本は触れない。だって幽霊だもん。あっ、その証拠に私がやろうと思えば、今頭に手だけを実体化させることもできるけど……』


「わかったわかった! 信じるよ、あんたが幽霊なのは!」


『うん、よろしい。だけど幽霊じゃなくて憑依霊で、あんたでもなくて姫乃なの』


 無邪気にそう言い、彼女は俺の頭から手を引き抜いた。手が入っていた感覚など微塵もなかったが、今後これが原因で俺の頭がおかしくなったら俺はこいつを絶対に許さないだろう。


『それじゃあ、次行きます! 私が雉間の憑依霊になったわけを話します!』


 俺が考えていることなど露知らず、構わず話す姫乃さん。


『雉間は今日、事故で頭をガードレールにぶつけたでしょ? 私はね、去年の今日そこで事故に遭って死んだの。ガードレールに頭をぶつけてね。だからここにいるの』


「はあ」


『理解した? じゃあ言って』


 なぜに復唱を求めるんだとは思うも、実際には素直に従う。


「ええっと、つまりは一年前にその場所で姫乃さんは亡くなって、一年後その場所で事故に遭った俺に憑依した、と?」


『うんうん、そうなのそうなの。そういうことなの。で、信じてくれた?』


 皮肉を込めて言ってやる。


「まあ、信憑性に欠けますがね」


『ふふふ。でも憑いているんだな~、これが』


 意地の悪い笑みで言われた。


 あはは、憑いているんだよね~、君が。

 はあ、笑えない。

 って、あれ?


「あの、それで姫乃さんはいつまで俺に憑いてるんですか?」


 ふと気になったこの問いに、彼女はすぐに回答した。


『さあ、ずっとじゃないかな? 私もどうにかしたいんだけどさ、雉間から十メートル以上は離れられないみたいなの。ね、これってどうにかならない?』


 いや、それを俺に言われましても。それが憑依なんだと思いますが……ってか知らん!

 質問を変える。


「なんで姫乃さんは成仏しないんですか?」


 この質問、俺はすぐに答えが返ってくるかと思ったがそれは違った。

 初めて首を傾げた姫乃さんはしばらく考えたのち、

『さあ? 私はしたいんだけどできないの。なんでだろ?』

 両手を挙げて答えた。


 どうやら成仏できないのは本人の意思ではない、と。

 つまり、お手上げ?


「ええっと、それならほら、やりたいこととかは? よく言うじゃないですか。この世にやり残したことがあると成仏できないとか。で、姫乃さん何かないの?」


『うーん。何かねぇ……んー……』


 あごに手をやり、再び首を傾げる姫乃さん。

 長い髪も一緒に垂らし、しばし沈黙。




『…………………………』




 おいおい、本当に何もないのか?

 このまま一生姫乃さんにきまとわられてはさすがにしゃくだ。それに俺は他人とも関わりたくないっていうのに、なぜに幽霊と関わるのか。

 だから俺はさっさと片付けてやりたかったのだ。

 この、憑依霊を。


「あの、俺にできることなら何でもするからさ」


 あくまで協力的な笑みを作る俺に、姫乃さんははっと顔を上げた。

 そしてその日一番の笑顔で彼女は俺にこう言った。


『私、探偵局を作りたい!』

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