7
「ただいま戻りました!」
浮蓮館に入るなり美和さんが大きな声で言った。何となくだけど、それほどまでに浮蓮館が広いということがわかった。浮蓮館の天井には煌びやかに輝くシャンデリアがあり、その明かりが吹き抜けとなった一階に当たっている。今、わたしたちがいる一階の玄関ロビーから見えるのは、正面の奥にある二本の階段と左右の通路。左右の通路はどちらも奥に行くまでにいくつかの扉が見える。玄関のそばにあった『浮蓮館:館内案内図』を見ると、左右の通路はどちらも奥で直角に折れているらしく、左の通路の先が美和さんの話にも出てきた大浴場で、右の通路の先が食堂に行くみたい。つまり浮蓮館は俯瞰するとローマ字の『U』の字を角ばらせたような形なのね。そして正面の二本の階段は結果としてどちらも同じところに出るようで、右の階段を上がったからといって左の階段でいけないところがあるというわけではないみたい。
美和さんが声を上げてから数秒が経つと、右の通路からメイドさんの格好をした女の子が出て来た。
「おかえりなさいませ、美和さん」
おっとりとした愛嬌のある顔と華奢な体躯。この人が美和さんの話に出て来た、メイドの
千花さんの髪はショートカットで、その見た目は想像していたよりもだいぶ若い。もしかしたらわたしよりも歳下なのかも。
隣の菘がうっとりとした声で言ってくる。
「うふふ。いいですわねぇ、メイドさん」
わたしは昔よく遊びに行った菘の家を思い出しながら言った。
「そういえばあなたの家にもいたわよね?」
「はい、五人いましたわ。私も一人暮らしを始めたことですし、そろそろメイドさんを雇おうかと考えていますの」
「……」
菘よ、それじゃあ一人暮らしにならないじゃない。
わたしが一人呆れかえっていると、千花さんは不思議そうにわたしたちを見た。
「あの、ところで美和さん。朝はどちらへ行っていたのですか? それにこちらの方々は?」
すると、それまで優しい顔付きだった美和さんの顔がほんの少し険しくなった。
「千花さん何を言っているのですか? この方々は今日、研司様の招待でお越しになるお客様ではないですか。研司様から何も聞いていないのですか?」
責めるとはまた違うその言葉に千花さんは困ったような顔をして、
「そうなのですか? すみません。そのようなこと私は聞かされていないので……」
どうも食い違う二人の会話。
なんだかおかしい……。
と、そのとき。
「おお、美和さんじゃないか。今までどこに」
声がする方を見ると、二階の吹き抜けからこちらを見下ろす男性がいた。その人は美和さんに気付くと正面の階段を使い一階に下りてきた。
千花さんが言う。
「あ、研司様」
どうやらこの人がわたしたちをここに招待した能都カンパニーの社長、能都研司さんのようね。
研司さんは五十歳くらいの優しい顔をした人。中年太りなのかお腹がポッコリと出ていて、イメージとしては太ったタヌキね。身長は百八十センチくらいで、身なりはスーツ姿。別にこれといった装飾はなしね。
「いえいえ研司様『どこに』って、わたくしは研司様の使いで皆様をお迎えに行っていたのですよ、陽和港へ」
「陽和港? お迎え? いったい何のことで?」
「な、何を言っているのですか研司様。研司様がわたくしの寝室に浮蓮館の鍵五本と、この手紙を置いたんじゃないですか。三日前に」
そう言って美和さんは鍵と手紙を取り出した。
すると研司さんはその手紙を初めて見るかのような顔で読み、そしてゆっくりと首を傾げた。
「んん? 美和さん何ですか? これは? こんなもの私は書いてないが」
ええっ!?
もちろん、こうなるとざわつくのはこちらサイド。
所々では「何で」、「どういうことなの」などという声が聞こえてくる。
初めて動揺の色を見せる美和さん。
「そんな、研司様が皆様をここに招待したのではないのですか?」
その問いに研司さんはただ違うと一度頷いた。その後で美和さんは千花さんを見るけど、千花さんも自分じゃないと首をぶんぶん振っている。
それじゃあ、誰がわたしたちを招待したの?
「ちょっとすみません。失礼します」
その声と共に後ろにいた広瀬さんが研司さんの前に出てきた。
「あの、僕は広瀬という者でここへは能都家の家宝を見せにもらいに来たのですが……」
「家宝? 確かにうちに家宝はありますが、どうしてそれを?」
その言葉に広瀬さんは封筒を取り出し、それを研司さんに見せた。
「僕のところにこの封筒が届いたのです。見覚えありませんか?」
渡された封筒を開け、中に入った招待状の文面にじっくりと目をやる研司さん。
研司さんが読み終わるまでの間、場に沈黙が降りる。
そんな中、手紙の内容が余程気になったのか、手紙を読む研司さんの横からメイドの千花さんがちらりと手紙を覗いた。千花さんは手紙を読み進めるなり、「すごい、鑑定士です」と呟いた。
一方で手紙を読み終わった研司さんは相変わらずの不思議な顔で、
「やはりこのような手紙に見覚えはないですね。それに鑑定士を頼んだ憶えも」
「そんなぁ……」
一瞬にしてがっくりと肩を落とす広瀬さん。一体どれほどの鑑定料を期待していたのかは知らないけど、まあ、同情するわ。
「あのぅ……」
次に、恐る恐るといった感じで言い出したのはカリンさんのマネージャーの白石さん。
「それじゃあ、うちの
「愛美……?」
研司さんは優しい顔で容赦ない言葉を吐いた。
「それは誰ですか?」
「はぁああー……」
途端に腰が抜けたかのようにへなへなとその場に座り込むカリンさんと白石さん。その落胆は呼ばれてないことになのか、それとも知名度がなかったことになのか……いや、おそらく両方ね。
「ねえねえねえ、それじゃあ探偵のぼくは?」
笑顔で言う雉間に研司さんはこれまで以上に堂々と首を振った。
「呼んでません!」
「あー、お呼びじゃないか」
呑気に肩をすくめる雉間。広瀬さんや白石さん、カリンさんとは違い、まるでショックを受けていない。それを謎に思ったのか菘が訊く。
「どうして雉間さんは落ち込まないのです?」
「んー。どうしてだろうね」
ろくすっぽ考えもせずに雉間は言っているけど、
「雉間は仕事に対する情熱が皆無だからよ!」
わたしは言ってやった。
それから久良さんも「警察官として呼ばれた」みたいなことを言って首を振られ、結果として「全員呼ばれていない」という一連の流れを千花さんは目をぱちくりとさせ見ていた。
落ち込む者も多くいるわたしたちに研司さんが笑いかける。
「まあまあ、手紙は誰かの悪戯でしょうが浮蓮館に来た以上、皆様はお客様。それも二泊三日の予定まで立てて来たのでしょう? だったら尚更、追い返すなんて真似はしません。ここは何もないところですが都会にはない落ち着きがあります。どうぞ二泊三日ゆっくりしていってください」
間違いで来たというのに嫌な顔一つせず歓迎してくれる研司さん。家賃をひと月滞納したくらいで追い出そうとするどこぞの大家に爪の垢を煎じて飲ませたいくらいだわ。
「ところで美和さん、泊めるとなれば部屋ですが今浮蓮館にある空き部屋はいくつかな?」
「はい。それは五部屋です。手紙には五組泊まるから五部屋空けておくようと書いてあったもので、何とか五部屋だけでも泊まれる状態にしました」
美和さんは懐から鍵を四本取り出し、それを研司さんに手渡した。鍵には一〇四を飛ばして一〇二から一〇六と書かれたプレートが付いている。
唸る研司さん。
「ふうむ。誰の仕業だか凝った悪戯をするものです。五組泊まるから五部屋とは……ん? 五組? ここに来られた方々は四組しかいないように思えますが。それに、美和さんから預かった鍵も四本では……」
「あっ、そうでした」
美和さんが思い出したかのように言った。
「あともうひと方、呉須都様という研司様のご友人も来ています。先に浮蓮館で休むとのことでしたのでもうお部屋で休まれているかと」
「呉須都?」
研司さんが眉根を寄せた。
「そんな友人私にはいないが……」
「ええ?」
思わずといったように美和さんは声を漏らした。慌てたように言う。
「いえ、ですが確かに研司様のご友人と申しておりました。わたくしらがここに来る五分ほど前にこちらに来られませんでしたか? あの、マスクに帽子にサングラスをした、背の高い二メートルくらいの方が。一〇一号室に」
「うーん、私は見てないが……」
千花さんを見て、研司さんが言う。
「千花さんはどうです? そんな人、見ました?」
「いえ」
千花さんはすぐに頭を振った。
そして控えめに、
「あの、私さっきまで食堂の前を掃除していたのですが、そのような方見ていないかと……」
「食堂……」
わたしはすぐそばの『浮蓮館:館内案内図』を見た。館内案内図を見る限り、食堂は廊下の突き当たりで、一〇一号室はその手前にある。
「あー、これなら見逃さないね」
それじゃあ呉須都さんはどこに消えたの?
周りの人たちを見れば、この不可思議な現象に約二名を除いて顔色を変えていた。顔色一つ変えないのは楽観的な雉間と好奇心旺盛な菘だけよ。
わたしは不敵な笑みを浮かべる二人から少し離れて言った。
「でも、まだ呉須都さんがここに着いていないだけかも」
「あー、それはないよ結衣ちゃん」
妙にのんびりと雉間が言う。
「ここに来るまでの道で舗装された道はぼくたちが通ったあの一本だけ。だから迷っているというのは到底考えられないね」
そう言われれば確かにそうだ。でも、それならますます呉須都さんの行方がわからなくなる。迷ってないなら、呉須都さんはどこへ?
全員が考えるように黙っていると、やがて雉間が言った。
「うーん。手っ取り早いし、みんなで一〇一号室に行こっか」
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