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玄関で靴を脱ぎ、廊下を通って、わたしたちは部屋の中央にあるローテーブルの前に座った。広いのにもかかわらず物がほとんどない1LDK。わたしは一目でここらに座るのだと理解した。
菘はわたしに、
「男の子の部屋って初めて入りましたけど、結構綺麗なんですね」
と呑気なことを言ってきたけどそれは間違っている。
確かにこの部屋は綺麗だ。だけどそれは片付いているという意味よりも、物がなくて散らかりようがないってニュアンスの方が近い。この部屋にあるのは生活に必要最低限なものだけで、まるでショールームなのだ。
部屋に入ると天音さんは勝手にベランダの窓を開けた。天気もいいんだから寝てないで外の空気を吸いなさいって意味だろう。
「それにしても雉間くん、まだコンビニ弁当ばかり食べてるの?」
外の空気を吸いながら美味しそうに言う雉間。
「ううん。身体に悪いって綾季さんに怒られてからもう止めたよ」
言いながら、気持ち良さそうに背筋を伸ばす雉間。
へえ、意外と爽やかな人じゃない、雉間って。
ホッとしたように、
わたしと菘はその光景をほのぼのと見ていた。
「ところで昨日は何を食べたの?」
「いやいや、もう止めたよ」
「え?」
天音さんは初めてきょとんとした。
「いや、だから昨日はどんなものを食べてるのかなって……? 外食?」
しかし負けじと雉間もきょとんと、
「ん? だからもう止めたけど……」
天音さんが顔を青くする。
まさかといった感じで、
「えっと、もしかして雉間くん、それって食べるのを……?」
すると雉間は当然とばかりにうんうん頷いた。
「……」
わたしと菘はその光景を、
天音さんの頬を一筋の汗が流れる。
「な、何日前から!?」
「えっと、最後に綾季さんにコンビニ弁当は止めなさいって叱られた日だから……」
のんびりと指折り数える雉間。
それに堪らず天音さんが叫んだ。
「雉間くん、一週間も何も食べてないのっ!?」
「ん、あー、うん、そうだね。七日前だから一週間。うん、一週間だ。あー、やっぱり綾季さんは計算が早いね。流石は数学の教員免」
にこにこと言う雉間の言葉を聞き終わる前に天音さんは部屋を飛び出して行った。
そして数分後、近所のスーパーで大量の食材を買ってきた天音さんは叫んだ。
「雨城さん羽海さんお願い! 料理手伝って!」
それからわたしと菘はどんな事の成り行きか、雉間の部屋の台所で焼きそばとトマトのスープ作りを手伝うことになった。
天音さんは「ごめんね。雉間くんってちょっと抜けているところがあるから」って言ったけど、わたしは一週間もご飯を食べない人をちょっと抜けている人だなんて思わない。だいぶおかしな奴だ。
初めて立つ他人の家の台所だったけど、幸いにも手際の良い天音さんに助けられた。料理もそつなく熟せる天音さんはやっぱり素敵ね。……あ、他人の家の台所はおろか自分の家の台所にも立ったことのない菘は別にいなくてもよかったわ。
テーブルに置かれた焼きそばとトマトのスープを食べる雉間に天音さんが言う。一人ひとりを手の平で指しながら、
「改めまして、雉間くん。こちらが雨城結衣さんで、こちらがそのお友達で付き添いに来た羽海菘さんよ。そして雨城さんに羽海さん、この人が雉間荘の大家さんの雉間快人くん。雉間くん、雨城さんはこの春から月和大学に通うんだけど、可愛そうなことにお家がまだ見つからなくて、それで雉間くんのところに連れて来たの。あ、それと雨城さんも羽海さんも、雉間くんと同い年なんだって」
「…………」
天音さんはどこか同情を誘うかのように言っているけど、雉間はただもぐもぐと焼きそばを食べるのに忙しそうで、見ているわたしはなんだか悲しい。
「でね、私は雨城さんをここの三一二号室に住ませたいんだけど、ね? いいよね?」
「あー……」
一瞬、雉間は抗議したさそうな明らかに迷いを見せた。が、すぐに、
「ま、綾季さんが言うなら仕方ないか。じゃあさ、そこの棚に鍵があるから勝手に部屋を見てきてよ。電気も水も止めてないから、たぶん使えるよ」
むしゃむしゃと焼きそばを食べながら話す。先ほどの玄関前での攻防とは打って変わって、とんとん拍子で話が進んでいることに内心わたしは驚いていた。
天音さんから鍵を受け取って三一二号室を見に行く。
もらった鍵で三一二号室の扉を開けると部屋は先ほど見た通りの1DK。
「ふうん」
人知れず声が漏れた。それは安堵の声だ。
正直、どこか部屋の寸法を誤魔化しているのだと思っていたけどその様子はないわ。話の通り水もちゃんと出るし、電気も問題なく点く。日当たりも良ければ壁や窓にはひびがなく、天井には雨漏りの様子もない。ついでに押入れを開けてお札を探したけどそれもなく悪いところが一つも見当たらない。むしろそれどころか部屋の中には綺麗なテレビや冷蔵庫、洗濯機、テーブル、ベッドなどが備え付けてあり今すぐにでも新生活が始められる環境が出来上がっている。
「……」
わたしは部屋の設備を嬉しく反面で素直に喜べずにいた。
誰もいない部屋で呟く。
「変ね。不可解よ」
何がってこれだけの超優良物件が家賃一万円で、しかも『訳有り物件リスト』としてファイルに入れてあったことがだ。
わたしは今一度、部屋の中を見渡した。
が、特別その『訳』が見当たらない。
だったら……どうしてこの部屋の家賃は一万円なの?
いや、これで一万円なんて絶対におかしい! 何かあるはずよ!
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