第4節


 今までが上手くいきすぎていたのだ。

 辛酸しんさんめさせられた魔王軍としては、かつての雪辱せつじょくを一刻も早く果たしたくて仕方がなかったのだ。

 魔王自身も比類なき力を持っており、更には存在するだけで他の魔族の潜在能力を強化するという無比な能力まで持っている。普段は絶対的な防壁として機能する件の結界も、ある程度時間をかければ破壊できる程にまで増強される。

 国境沿いの監視をしていた騎士団の部隊から情報が伝えられるまでに、既に侵攻を許してしまっていた。元々、種としての戦力差が歴然れきぜんであり、人間側の戦力では侵攻を阻止などできる筈もなく、牽制けんせいで進軍を抑えようにも焼け石に水だった。

 そうして勇者達の出撃を余儀よぎ無くされ、どうにか魔王軍を撤退てったいさせるに至った。


「ここはその時、勇者様達が放った大規模魔術の跡なんです」

「……その国境付近とやらから、ここはかなり離れているようだが」


 蓋羅がいらの指摘に答えるように、実際の戦場となった地点の方角へ指差して説明を続けた。


「アーシェラの『空間転移』で、魔王軍側へ放たれた大規模魔術をここへ飛ばしたんです。双方に被害者が出ないようにと、咄嗟にだそうで」


 その大規模魔術がどれ程の威力だったか、魔王軍へと着弾に成功していたらどうなっていたか、わざわざ赤肌の青年は質問しなかった。話の腰を折らないようにという配慮と、眼前の光景から言葉による説明は不要だという判断だった。

 諸々の惨劇さんげきを物語るこの荒地を見渡し、目の前で淡々と語る金髪の令嬢へ再び双眸そうぼうを向ける。


「王は戦力を整え、魔族のいる国へ侵攻するよう勅令ちょくれいを出しました。流石にルキウスお兄様の進言で今すぐに、というのは回避できましたが、お兄様も侵攻そのものには賛同していましたので、時間の問題です。今も、勇者様達を同盟国へと派遣し、進軍する準備を進めています」

「…………、」

「それでも、それでもやっぱり……。まだできることはあるのでは、と思えてならなかった。ヤツハラ様やコウサカ様に、今までのことやアーシェラとの関係、魔族との共生という望みを話して、協力してほしいと嘆願たんがんしたのも、私の勝手な理想のためです。でも、でもこれ以上、皆が無闇に血を流さないようなればという願いがあったのも本心なんです……」


 心中の固く閉ざされていた門が決壊し、押し込まれていた感情が溢れ出る。

 きっかけは確かに、酷く利己的な動機だった。助けてくれた恩人と争いたくない。至極当然で妥当な願いは、しかし達成させるにはあまりにも課題も懸念も多すぎた。

 今までの手段、算段は適切だったのか。そう思案する中で最善手を何度も思考し、策謀さくぼうし、今、逃亡という悪手を取っている。


「ミヤサキ様を筆頭に、魔術師の称号や恩寵ギフトを持った勇者の皆様が、『境戒壁きょうかいへき』を強化する術式を考案してくださったんです。推定で二千年。あらゆる攻撃も通さない、今度こそ絶対の防壁に。それこそ、魔王の力でも、破壊できないでしょう」

「確証があるのか?」

「ミヤサキ様達の御言葉を、信じていますから」


 答えになっていないなど、双方理解している。この世界の人類の為に、遥か遠い世界から呼び出され、勝手に宿命を背負わされる。そんな彼ら彼女らに、更に無理難題な懇願をし、皆嫌な顔一つせず協力してくれた。先述した『境戒壁きょうかいへき』の強化も、彼らが提案したものだ。

 初代、二代目、三代目と、召喚された勇者は一人ずつ。

 しかし今回は千人を超える。半分が魔術に関する究極の力を授かった者ばかり。あらゆる机上の空論も、現実にできる技術と実力と人的資源がある。

 人類の悲願と、魔族の宿願を真っ向から否定する彼女に対し、話を聞いた勇者達も賛同の意を示した。膠着こうちゃく状態を利用して、事態を知らない他の勇者達にも話をつけてくれた。

 先延ばしにしかならなくても、恒久こうきゅう和平わへい実現への足掛かりにはなるかもしれない。

 

「魔王軍侵攻の準備に乗じて、監視塔から『境戒壁きょうかいへき』の強化術式を発動する手筈になっています。成功すれば、こちらから侵攻する必要も、向こうから侵攻される心配もなくなります」


 物理的に断絶する形で、人類と魔族との衝突を回避する。

 先にも述べだが、ただの先延ばしに過ぎない。

 時間が解決してくれるという甘い考えなど毛頭ない。ただ少なくとも、殺戮さつりくの歴史をこれ以上繰り返さずに済むのならば、一切の関わりと交わりと断つのが双方にとって一番良い。


「単に壁の強度を上げるだけではなく、生命が到達できない天空の果てから、灼熱の水が溜まる地の底にまで、結界を広げるそうです。空間を移動する類いの力も遮断しゃだんする効果も付与して、何人なんぴとたりとも行き来を、不可能に……」


 友との永遠の別離。戦争によってお互いが討たれ、どちらかが滅亡してしまう未来よりも、何億倍もマシ。そう考え続ける事でしか、この決断を下せないようになってしまった。


「……殲滅以外の手段で、双方が争い合う状況を排除できると、貴様の父や兄に言えなかったのか?」

「……女神アスレア様が望むのは、魔族の滅亡です。人類としても、たとえ戦わずに済むとしても、敵国が生き残っているよりは、全滅していた方が安心できますから」


 進言した途端に謀反むほんと見做されるだろう。そもそも最初、異世界の勇者を戦わせてはならないという虚偽を流布した時点で、最後まで欺き続けるしか道はなかった。

 それが、たった一度の油断で瓦解した。魔族と共謀していたと知られた以上、王族といえども極刑きょっけいは免れないだろう。

 だが、国家転覆の主犯という大罪の烙印らくいんを押されることに、今更ミシェラは怖気づいたりしない。自身の罪を真正面から受け止め、当然の報いを受ける覚悟はとうの昔にできている。

 むしろ彼女の思いは別にあった。その思いを伝え、叶える為に、わざわざこの場所まで護衛させ、わざわざこの場所で事の経緯をつらつらと説明した。


「ガイラ様、今一度お願い申し上げます。『境戒壁きょうかいへき』の完全防壁化が完了するまで、勇者様の帰還を待っていただけませんか」

「…………」

「ミヤサキ様の話では、今日の夕刻までには完成できると。そうなれば、あとは国が保有する魔術師達の手で結界を維持するだけで事足ります。ですので、どうかお願いいたします。必要であれば、帰還への助力も惜しみません」


 王族として、まだやれる事はある。

 親友として、してやれる事はある。


「知らなかったとはいえ、ガイラ様や、ガイラ様の世界の神々を……異世界の神々の逆鱗に触れてしまったこと、許されざる大罪だと理解しています。にも拘わらず帰還までの猶予ゆうよを求めるなど許されないことも……」

「…………、」

「どのような罰も受ける覚悟です!! ですから、どうかお願いいたします!!」

「私も!! 初代勇者の血を引く者として、姫様の従者として、あらゆる罰も受ける覚悟だ!! だから、どうか!!」


 二人が頭を下げる様を、ただただじっと見つめている。

 世界の為、人類の為、一族の為、恩人の為、心友の為、力を貸してくれた異世界の勇士達の為に。

 苦心する国家の中枢に座する者と、その従者の思いを受け、有角の青年は一息……言葉を発した。


「…………貴様らに謝罪せねばならぬことがある」

「…………え?」

「我々の目的を悟られぬように、貴様らが自身の都合の良いように、かんちがいしてくれるように、あえて伝える情報を限定して、秘密にしていた。結果、貴様らをだます形になったことを、謝罪せねばならぬ」

「な、何を、おっしゃって……」


 おもてを上げた視線の先に、蓋羅がいらの顔があった。

 声音から僅かに感じ取れる謝意しゃい。その表情も心なしか、僅かに罪悪感の色を覗かせているようだった。


「俺は……」


 言葉の続きは、地響きと轟音によって掻き消されてしまう。


「っ!!!!」

「な、なんだ一体っ!!!?」


 出所は自分達が抜けてきた方向とは別の、樹海の中。音だけではなく、陽光降り注ぐ昼間であってもはっきりと見える稲妻や爆発の炎と煙、あらゆる破壊の光が爆音と共に視界で暴れ回っていた。


「この魔力、ヤツハラ殿達の……!?」

「やはりあちらも襲われて……。メイ、急ぎ加勢を……!!」


 魔術によって魔力が入り乱れ、僅かに八津原達が戦っている程度にしか把握できない。だが傍観ぼうかんしたままという訳にもいかず、速やかに加勢し合流しようとする。

 しかしけたたましく響く戦闘音が続く中、不意に二人の足が止まる。

 向かおうとしている森の上空に、何かが飛んでいる。黒い羽のようなものを広げる何かが、人のようなものを持ち上げてこちらへと飛んできていた。


「……ようやく来たか、が」


 警戒して足を止めてしまった二人の背後で、赤肌の青年がそう口にした。

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